観劇感想精選(108) こまつ座音楽劇 「イーハトーボの劇列車」
2013年11月24日 西宮北口の兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールにて観劇
午後1時から、西宮北口の兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールで、こまつ座の音楽劇「イーハトーボの劇列車」を観る。こまつ座は音楽劇の劇団なので、こまつ座の音楽劇というと少し変なのだが、それ以外に書きようがない。こまつ座が音楽劇の楽団ということを知る人以外、というより演劇はそもそも「観たことがあるかどうか」から話が始まるので、大抵の人はこまつ座が音楽劇の劇団だということを知らない通り越してこまつ座を知らないため、説明するため、「こまつ座の音楽劇」という言葉を使わざるを得ないのである。作はこまつ座の座付き作家であった井上ひさし。演出は鵜山仁。音楽:宇野誠一郎&荻野清子。出演:井上芳雄、辻萬長(つじ・かずなが。有職読みの「」つじ・ばんちょう」でも知られる。)、木野花、大和田美帆、石橋徹郎、松永玲子、小椋毅(おぐら・たけし)、土屋良太、田中勝彦、鹿野真央(しかの・まお)、大久保祥太郎、みのすけ。ナイロン100℃の関係者が二人も出ている。ピアノ&スネアドラム演奏:荻野清子。荻野清子は三谷幸喜の作品で良く音楽や演奏を手掛けている人である。三谷幸喜の映画最新作「清洲会議」の音楽担当もこの人。
題から分かるとおり宮沢賢治を主人公とした作品である。「イーハトーヴ」という表記がよく知られているが、これは岩手をエスペラント語風に発音したもので、エスペラントでは名詞は「o」で終わるようなので(作中に出てくる)、「イーハトーボ」が採用したものと思われる(賢治自身は「イーハトーヴ」、「イーハトーヴォ」、「イーハトーブ」など様々な表記を用いている。名詞と形容詞が一致する場合は、エスペラントの形容詞が「a」で終わるため、そちらを優先させるようである)。
途中、15分間の休憩を挟み、約3時間という大作である。二幕四場という形を取っている。
第一幕第一場は、序章(代表作の一つである「注文の多い料理店」の序文、これも賢治が書いているのだが、これに想を得たセリフを舞台上に出演者全員が揃って、一人一人読み上げたり、全員で言ったりする。この時は皆、農民の格好をしている)に続き、宮沢賢治(井上芳雄)の妹で、日本女子大学校(現・日本女子大学。「大学」と名前は入るが、この時代の日本女子大学校はまだ専門学校である。ただ、今の専門学校とこの時代の専門学校はまた別物である)に通う、とし子(賢治の詩「永訣の朝」で知られる人である。「アメユジュトテチテケンジャ」は勿論、劇中に使われる。演じるのは大和田美帆)が肺結核で倒れたため、母のイチ(木野花)と共に上京するシーンから始まる。花巻駅から上野駅までの旅である。
列車には西根山の山男(小椋毅)という屈強な体の人間が乗り合わせている。山男は背中に岩手県の県章の入った法被を着ており、上野精養軒で開催されている民俗文化学会に出席してスピーチを行うのだという。山男は南部弁研究の第一人者なのだそうだ(矛盾した表現になるが、岩手県の中部・北部から青森県の東部に跨がる地域の名前が「南部」である。南部というのはこの地域を治めていた大名の苗字から取られたもの。アクセントは「な」ではなく「ん」を強く言う。南部鉄器などで知られる。岩手県の南の方を指す南部は仙台・伊達藩の領地であった)。
そして、とし子が入院している永楽病院(現・東京大学医学部付属病院小石川分院)の病室へと舞台は移る。
第一幕第二場は、賢治が家族に無断で上京し、本郷にある出版社でガリ版刷りの仕事(真面目な東大生が書いた授業ノートを製本して、不真面目な東大生のために売るという仕事をアシストするというもの)をしながら、鶯谷にあった国柱会館(国柱会は日蓮宗系の在家団体である。宮沢賢治は熱心な日蓮宗の信者として知られるが、より正確に書くと国柱会のメンバーである)に通っては、図書室にある本を読み、すでに作家を目指していたので童話を書くという生活を送っていた1921年が舞台である。
賢治が下宿しているのは東大本郷キャンパスに近い本郷・菊坂にある稲垣未亡人(木野花。二役)の住まい。ここに賢治の父親である宮沢政次郎(読みは「みやざわ・まさじろう」。演じるのは辻萬長)が訪ねてくるところから始まる。
宮沢政次郎は裕福な商家を営む、地元・花巻の名士であるが、熱心な浄土真宗の信者である。そのため、日蓮聖人の考えに共感し、日蓮宗に入れ込む賢治と対立することになる。
ここでは宗教談話が展開される。
休憩後の第二幕第一場は、農学校の教師を辞めて、上京し、エスペラントやチェロ、オルガン、タイプライターなどを学びながら、築地小劇場や歌舞伎座に通うという日々を送っている賢治の物語である。
花巻から上野まで行く電車で、賢治は伊藤儀一郎という男(辻萬長。二役)と出会った賢治。伊藤が「宮沢さんじゃないですか」と語りかけ、「あなた様はどちら様ですか?」聞くと、「あなたは私のことは知らないだろうが、私はあなたのことをよく知っている。そういう男です」と述べる。伊藤は賢治のことを実によく知っている。
東京の賢治の住まいで、伊藤は、エスペラントを習う。この時、エスペラントの名詞は「o」で終わるということが説明される。花巻は「Hanamakio」になるという。仙台は「センダーノ」になるらしい。
ここで、賢治の思想が共産主義に近いのではないかという話が展開される。伊藤の正体はほぼ全員が登場した時から感づいている通りのものである。ちなみに、井上ひさしは共産党員であった。
第二幕第二場は、花巻にある東北砕石工場のセールスマンとなった賢治が、営業先の東京で倒れて、療養している旅館の一室が舞台である。
このあとにエピローグがある。
赤、黄、緑の三色が定式幕のように順番に並んでいる幕が上がり、序章がスタート。宮沢賢治の文章を基にした詩的で美しい言葉が用いられている。谷川俊太郎の詩集『はだか』の収められた「むかしむかし」に通じるものもある。
そして、舞台は移り(通常のステージの上に回り舞台が設置されている)花巻駅。背の高い、赤い帽子の車掌(これで役名である。演じるのは、みのすけ)が「はなまき、はなまき」とコールするが、岩手弁である。登場人物も岩手弁を喋る人が多い。ということで、岩手県を舞台にした朝の連続テレビ小説「あまちゃん」を思い出して懐かしくなった。石川啄木の「故郷の訛り懐かし停車場の人混みの中にそを聴きに行く」という短歌を本歌に「『あまちゃん』の訛り懐かし宮沢の賢治の劇にそを聴きに行く」という短歌が瞬時に浮かぶ。「あまちゃん」に出ていた木野花が出ているのは偶然なのか、それとも、もう「あまちゃん」に出ることはわかっているので、岩手弁の方言指導を兼ねてキャスティングされたのかはわからない。木野花は青森県出身で、国立弘前大学を出るまではずっと青森で過ごしてきたので、津軽弁は達者である。津軽弁と南部弁は近いのかも知れない。
永楽病院の一室。賢治の妹である、とし子と、やはり同じ病気で入院し、同室となった福地ケイ子(松永玲子)、そしてケイ子の兄で、三菱の社員である福地第一郎(石橋徹郎)が見舞いに訪れている。第一郎は、東京音楽学校(現在の東京藝術大学音楽学部)にも合格したほど音楽の才能がある。結局、東京音楽学校には進まず、同時に合格した東京工商(東京高等工商学校。現在の芝浦工業大学の前身)に入学。戦時なので、三菱は採用枠を増やしており、工業系学校の出身者は優先的に入社出来たのだという。「僕の読みは当たる」と胸を張る第一郎。この第一郎が狂言回しとなり、病室を訪れた賢治の紹介などを行う。いわゆる説明ゼリフが多用されるのだが、これは状況をわかりやすくするために井上が敢えて行う手段である。その後は、文学的に高度な作劇方が展開される。
第一郎には、「これは実に稀なことだ」、「これはよくあることだ」という二つの口癖があるのだが、賢治はそれをカウントしており、「これは実に稀なことだ」の方が、「これはよくあることだ」より多いので逆だと指摘したりする。
賢治はベジタリアンであるが(「ビジタリアン大祭」という作品を書いている)、とし子には精が付くようにと、牛肉を食べるようにと勧める。だが、とし子が牛肉を食べようとする度に、日蓮宗のお題目である「南妙法蓮華経」を唱える。
第一郎は、「人間は生物と、穀物を食べて生きているのであり、穀物しか食べないというのは、人類の半分を飢え死にさせろ言っているのだと一緒だ」と賢治をなじるが、賢治は、「牛、一頭が食べる草の料を知っていますか?」と聞く。第一郎は三菱の社員なので、小岩井農場(三人の設立者から一文字ずつ取って農場の名前としたもので、「岩」は「岩崎」の岩である)にも詳しいのである(小岩井農場にも来ており、「岩手山の宵の風景の美しさ、いや風景などという下劣なものではない、あれは詩だ。その詩を知っている君と僕とは親類のようなものだ」などといったりする)。牛一頭育てるための草を育てる面積で穀物を作れば、相当な量が取れる。世界中が牛を育てるのを止めて穀物を作れば、誰も喰うに困らなくなるという。
第一郎は、「君は白樺派の作家のような思想の持ち主だな」と言う。この後の賢治のセリフで仕掛けがある。賢治は「自分は人を生かす道はねえのす。自分を生かす。これしか出来ねえのっす」という言うのだが、これは白樺派の作家である武者小路実篤の言葉、「この道より我を生かす道なし、この道を行く」のパロディである。賢治は「新しい村のようなものを作りたい」というような意味のことを言うが、これも武者小路らが中心となって作られた「新しき村」から取られている。
第一郎は作詞作曲をするのだが、第一郎が農村を題材に作った歌に出てくる、「広場」というものは村には存在しないと賢治は指摘する。第一郎は東京生まれの東京育ちで農村のことを知らないのである。
第一郎は、賢治と、とし子の兄妹は変だと言うが、実際に変なのは福地兄妹の方で、ケイ子は変なところで大笑いするし、第一郎は近親相姦のことを言い当てられたのだと勘違いし、「知ってたのか!」、「一度だけなんだ。それも10年も前の話だ」などとつい口にしてしまう。賢治は鈍くて、「何が一度だけなんですか?」、「何が10年前なんですか?」と全く気付いていない(宮沢賢治は、「生涯、女を知らなかった」と言われる。同性愛者であったわけではない)。
第一場のラストに、「背の高い、赤い帽子の車掌」が登場する。花巻にいた時は岩手弁であったが、ここでは東京の言葉を話す。車掌は「思い残し切符」なるものを賢治に手渡す。
今日、この病院で亡くなった二人からの思い残し切符であるという。車掌は宙乗りで舞台上方へと消えていく。姿形こそ「背の高い、赤い帽子の車掌」と同じであるが、正体はどうやらこの世の人ではないようである。
第一幕第二場
賢治が家出するために花巻駅から東北本線の列車に乗るシーンから始まる。
賢治の下宿先である稲垣未亡人の家の居間。稲垣未亡人を演じる木野花が、賢治の作詞作曲である「星めぐりの歌」を歌い、踊る。
そこへ、賢治の父親である宮沢政一郎が訪ねてくる。法華経かぶれの賢治を論破して、家に連れ戻そうと政一郎は考えており、日蓮に関する知識もたっぷり入れてきたという。ちなみに政一郎は標準語も話すことが出来る。言葉遊びが行われて、「けんじ」といって、「賢治」のことかと思ったら、更に続いて「賢者は」だったりする。
賢治が帰ってきて、「南無妙法蓮華経」と題目を唱える。
政一郎と賢治の対面。宗教の話になる。政一郎は日蓮宗の方が優れた教えだと証明出来なかった時は家に戻るように言い、「日蓮は、法華経以外の教えを認めない。キリスト教もイスラム教も駄目だという。そして全ての経典を読み、その結果、法華経以外の経典は全て劣っている結論づけた。今ある、経典は全て釈迦の言葉を書き残したものだ。それに優劣を付けるなんてとんでもない」と言うが(稲垣未亡人はクリスチャンであり、「キリスト教は認めて下さいまし」という)、賢治は、「夏目漱石の『満韓ところどころ』と『こゝろ』を比べてみて下さい。『満韓ところどころ』はそれほど良い作品ではねえです。『こゝろ』は傑作です。同じ作者でも書いたものに優劣はあるのっす」と返す(実際は浄土真宗も優劣こそ付けないが、浄土三部経以外の経典は用いることはまずない。親鸞聖人の師である法然聖人が経典全てを読み、民衆を救うのに最も適した経典を探した結果、浄土三部経が良いとしたためである。般若心経を読むのは禁止ではないが、基本的に用いることはない。私は門徒である)。
政一郎は、「日蓮は『立正安国論』の中で、念仏宗(浄土系宗教のこと)が流行っているため、民衆は阿弥陀如来ばかりを信仰し、本来の釈迦を敬うことを忘れていると書いている。今の惨状は全て念仏宗のせいだと(実際に『立正安国論』の中で日蓮は、「法然」と実名を挙げて批難している。『立正安国論』は戯曲仕立て。対話で語られている。私は現代語訳で読んだが面白い本である)。そうやって自分こそが正義だという姿勢が気に入らない」というようなことを言う。そういう考えの人間はすぐに家長になろうとする。だから法華経は駄目なのだという。
また、「死が迫っていて、もう僅かしか力がない。そういう人が唱えるのに、『南無阿弥陀仏』は適している。『南無妙法蓮華経』は長い。全部唱える前に事切れてしまう」。
「『南無阿弥陀仏』は小声で唱えて内省的であるが、『南妙法蓮華経』はうるさい」
政一郎「『南無妙法蓮華経』は書物を敬う。『妙法蓮華経』という経典の名前を唱える。『南無阿弥陀仏』は阿弥陀如来だ。阿弥陀如来は悟りを開いた人だ。今まさに死が迫っているときに人は何という? 誰のことを思う?」
賢治「おかあさん」
政一郎「そうだ。人の名前だ。『おかあさん』、おかあさんがいないなら『おとうさん』。だが法華経は書物だ。『南無おとうさんの日記』、『南無おとうさんの日記』」などというか?」
と畳みかける。
部屋の中には蝿が飛んでおり、賢治が政一郎が話している時に、「そこです!」と言い、反論するのかと思いきや、「そこです!」は「そこに蝿が止まっています」という意味だったという言葉遊びが行われる。
政一郎は、「念仏経には、西方浄土というものがある。この世を穢土として西方の極楽浄土に行くことを望む。法華経の浄土はどこにあるのだ」と問うと賢治は「この世界を浄土にするのです。西方に行く必要はねえのです」というが、ここで気がつき、尻もちをつく。自分の出身地である花巻から、南西の方角にある東京に賢治はいるのである。出身地を浄土に出来ないのに、東京に来ているというのは日蓮宗の教え背いているのである。そして東京という恵まれた場所に行っているのは浄土教の西方浄土に行っているのと同じことなのである。
政一郎はあらゆる言葉で賢治をなじるが、とうとうなじる言葉が尽きてしまう。そこで賢治は「木偶の坊などはどうですか?」という。これが実は伏線である。「木偶の坊」は「雨ニモマケズ」に出てくる言葉であるが、更に深い意味が浮かび上がるのである。
賢治は頭を冷やしてくると行って、表へ出ようとする。去り際に「狸おやじ」と悪態をつくが、政一郎が「他には」というと、「以上です」と行って出て行ってしまう。政一郎は「高等農林学校(盛岡高等農林学校。現在の岩手大学農学部の前身)まで出ていながら情けない」という。
稲垣夫人は、「賢治さんを論破できなかった時はどうなさるおつもりだったのですか?」と聞くと、政一郎は「あれは妹と実に仲が良い。『とし子危篤』。この電報ですぐに戻ってくる」と言う。これが一幕のラストシーンである
劇の中に出てくるフィクションではあるが、これが言霊となったのか、本当に、とし子は結核で危篤状態となってしまい、賢治は帰郷。とし子は若くして亡くなるのである。そのことは劇中では後に思い出として語られる。
休憩後、第二幕第一場
出演者のうちの4人が舞台後方に座り、「ドッドドドドウドドドウドドドウ」と『風の又三郎』の冒頭の擬音を歌う。
若者(パンフレットには「風の又三郎らしき少年」とある。演じるのは18歳の若手、大久保祥太郎)が賢治が農学校の教師を辞めて、上京するので花巻駅まで見送りに来る。若者は賢治の教え子であり、教師辞任を撤回して欲しいと懇願するが、賢治はこれからは新しい教育が必要であり、羅須地人協会(らすちじんきょうかい)というものを作り、そこで教育を始め、音楽鑑賞会など色々なことをやるので来なさいと告げる。
この時には賢治はすでに訛りはほとんどなく、標準語を話す。「背の高い、赤い帽子の車掌」も少し訛るだけで標準語を話す。標準語化教育が浸透しているのがわかる(標準語は東京の山の手の言葉を基準にして作られた、人工言語である。江戸弁ではない。江戸弁は「てやんでえ! べらぼうめ!」といった風の乱暴な言葉である。ドラマなどで勝海舟が江戸弁を喋ることがあるが、「あっちはねえ!」という威勢の良い荒い言葉であることがわかる)。
花巻から乗った列車の中で、賢治は中年の男から、「あれ、宮沢さんじゃないですか」と話しかけられる。賢治はその男に見覚えがなく、「あなた様は、どちら様ですか?」と尋ねるが、返ってきたのは「あなたは私のことは知らないだろうが、私はあなたのことをよく知っている。そういう男です」という曖昧な返事。男の名前は伊藤儀一郎。伊藤は賢治についてよく知っている。賢治が、詩集『春と修羅』と童話『注文の多い料理店』を出版したことを知っており、「大したものだ」というが、賢治は「いや、どちらも自費出版で1000部刷ったがほとんど売れないので大したことないです」と答える。伊藤は、花巻駅前の書店で『注文の多い料理店』を買う客を見たという。しかし、買った客は後でカンカンになって戻って来て、「『注文の多い料理店』というから料理店経営のための本かと思ったら変な物語ではないか」と突き返したそうだ。買った男の後を着けてみると、確かにその男は料理店の経営者であったと告げる。
伊藤は賢治に「どちらまで行かれます?」と聞く。賢治が「上野までです」と答えると、伊藤は「では、私も上野まで」という。賢治が不審に思って「では?」と聞くと、伊藤は「いや」といって濁す。
賢治が上京したのは、花巻で音楽劇を上京するために東京で勉強するためである。エスペラントは花巻でも勉強していたが、東京の方が書物は多い(今のようにネットで日本中どこからでも欲しい本が手に入るという時代ではなく、花巻にいては今どんな本が出版されているのかもわからないのである。劇の序章で、「ちくま文庫から出ている『宮沢賢治全集』から」というセリフがあるが、私が千葉にいたころは、ちくま文庫から作家の全集が出ていることを知らなかった。千葉市の書店には置いていないのである。明治大学に入学して神田の書店街に足繁く通うようになってから、ちくま文庫が作家の全集を出していることを知ることになる)、チェロやオルガンなども習ってはいたが、東京の方が学べるところが沢山ある。また、この劇には出てこないが、賢治は劇場に通い詰めており、台本を書くためにタイプライターも習っている。高村光太郎とも親交を得たそうである。
舞台は賢治の東京の住まいに移る。伊藤は賢治の話を聞いているうちにエスペラント語に興味を持ったので、エスペラントを習いたいという申し出て、賢治の家で、エスペラントを学習している。冒頭で、賢治役の井上芳雄と伊藤役の辻萬長が賢治の作詞作曲による「エスペラントの歌」を歌う。
エスペラントは簡単であり、すぐに習得出来るという(実際、トルストイが学んで30分で簡単な会話が出来るようになったという話が伝わっている)。エスペラントはユダヤ人のザメンホフが作ったものだという。ザメンホフはユダヤ系ポーランド人であり、ポーランド人といわれることが多いのだが、この劇では敢えてユダヤ人としている。
エスペラントは単語の終わりの音が決まっており、名詞は「o」の音で終わり、形容詞は「a」で終わるという。ちなみに「イーハトーブ」と書いた場合の「u」は何かと思って見てみると、命令形で「u」が使われるようである。
賢治は、「あなたは誰なのですか?」というエスペラントを書いて読み、伊藤に復唱させる。「そして私は○○です」という言葉を使うのだが、「ポリティシオ」という言葉を予め用意し、伊藤にそれを言わせる。「ポリティシオ」とは警官のことである。ほぼ全ての観客が気付いていたと思うが、伊藤の正体は警官である。花巻署の刑事だ。
賢治は伊藤が自分を尾行していることに気付いたという。一人で上野の図書館に行き、それから御茶ノ水に向かってYMCAに行ったのだが、その途中で何度も伊藤の姿を目撃している。そして、今度は逆に伊藤を尾行してしまうのである。伊藤が警察署に入ったので、署の受付で、「今入っていった人は、知り合いの人によく似ているのですが、○○○太郎さん(名前は漢字に直すと5文字のものであったが、二度しか出てこないので最後の「太郎」しか覚えていない)ではありませんか? 久しぶりに見かけたので、懐かしくて会いたいのですが」というと、受付の署員は「馬鹿なことを言っちゃいいけない。今、入っていったのは花巻署の刑事で伊藤儀一郎さんという人だ」と口を滑らせたという。
賢治は身に覚えがないので、何故、自分が刑事に尾行されなくてはならないのか訝しむ。伊藤は、賢治が上野の図書館で共産主義のことが書かれた本を手にしたのを目にしたとい。賢治は巻末にエスペラントの良い例文が載っていたからだというが、それも共産主義に繋がるものではある。伊藤は、「エスペラント語はユダヤ人の作ったものだったね。ユダヤ人の作るものは実に危険なものが多い。共産主義とか」という。賢治が、「それはカール・マルクスのことですか」と聞くと、伊藤は「そうだ」と答える。
また賢治が農民のための活動をしているが、それも共産主義に繋がるという。更に賢治が岩手労働党という左翼の政党に資金援助していることも突き止めている。賢治は「岩手労働党は農民のための政党です。知り合いも沢山入党しています。資金援助するのは当たり前です」というが、伊藤は、「君ね、『農民』なんてご大層な言葉を使うが、彼らは『百姓』だ。農民なんていう良い身分のような言葉を使われても彼らはポカンとするだけだ」といい、裕福な商家を営み今は政治家である宮沢政次郎の長男である賢治に農民の気持ちなど解るはずがないという。賢治が「ひょっとして、お生まれは農民ですか?」と聞くと伊藤は不承不承ではあるが肯く。
賢治は農民達のための活動として、劇を行いたいと言う。それも音楽劇が良いのだと。それが花巻の農民には一番適していると。伊藤は「それでチェロだのオルガンだのを習っているわけか」と腑に落ちる(「腑に落ちる」は明治以降に使われ始めた比較的新しい言葉である。「腑に落ちない」が古くから使われている言葉で、その肯定形として明治以降に考案された言葉である。辞書には載っていない場合もあるため、今でも「誤用」と考える向きもある。もし「腑に落ちる」を昔からある言葉に言い換えるなら「得心する」が一番であろう。次いで「納得する」だろう)。
賢治は更に、エスペラントでセリフを書きたい、そうすれば世界に発信出来るという壮大な構想を語るが、そうした高等遊民的思想は更なる怒りを買うのである(伊藤は激昂すると岩手弁で話す)。
伊藤が去った後で、車掌が出てきて思い残し切符を賢治に手渡す。賢治が「あなたは一体誰なのですか? いつもの背の高い、赤い帽子の車掌さんの格好をしているが、あなたはあの車掌さんではない」と聞く。車掌はエスペラント語で、「私はコンダクトーラ」だと言って、宙乗りで猿、じゃなかった去る。宙乗りをするのは猿之助(先代も当代も)であるが、猿ではない。
急いで「コンダクトーラ」という単語をエスペラントの辞書で探す賢治。「コンダクトーラ。あった! 『車掌』。いや、車掌なのはわかっている!」と賢治はいう。車掌は英語で「コンダクター」。指揮者と一緒である。「導きを行う」という意味の形容詞の名詞化として語尾は「o」でなく「a」が適用されるのであろう。
第二幕第二場
賢治が舞台の中央で寝ている。「背の高い、赤い帽子の車掌」が、次は「岩沼、岩沼(宮城県岩沼市)」とコールする。
賢治はゆっくりと起き上がり、「誰にも必要とされない木偶の坊と呼ばれ」という「雨ニモマケズ」の一節を述べた後で、再び眠ってしまう。賢治の周りには農民達がいる。賢治が眠り込んで、セリフを「言わぬ間」に農民達が賢治について色々話す。
賢治は体が弱いのにセールスマンとしてあちこち飛び回るようになり、野菜しか食べない上に過労がたたって、肺病で倒れてしまったことが告られる。
舞台は、賢治が療養している東京にある旅館の一室に移る。先程から登場していた松永玲子は仲居さんであることがわかる。人が訪ねてくる。変装をしているが、正体は福地第一郎である。賢治に会い、声音を変えて「宮沢さん、お久しぶりですね。12年ぶりでしょうか」といい、第一郎は変装用のかつらを取る。「第一郎さん!」と賢治は気付く。第一郎が変装しているのは、賢治が寝ている客室の隣の部屋に泊まっている前田という男に恨みがあるためである。前田は三流小説家であるが、女にだらしなく、第一郎の妹であるケイ子と恋仲になったが遊んで捨て、ケイ子はショックの余り睡眠薬を飲んで自殺を図り、命は取り留めたものの昏睡状態だという。第一郎は前田を射殺するための拳銃を持っている。
第一郎が、賢治に「妹さんは元気か」と聞くと、賢治はこう答える「妹はあれから一年持たないうちに亡くなりました」と答える。「冬の日に、妹はなくなりました。霙の降る日でした。妹は『アメユジュトテチテケンジャ』と言いました。『アメユジュ』は花巻の言葉で『霙や霜』、『トテチテケンジャ』は『取ってきて下さい』です。それが最後の言葉でした」
第一郎は三菱で出世しており、満州に渡って、石原莞爾(いしはら・かんじ)と組み(ここでピンとくる人はピンとくる)、新たな事業を展開する計画がある。
口癖である「実に稀なことだ」と「これはよくあることだ」は変わっておらず、賢治に指摘される(第一幕第一場で賢治が第一郎の口癖をカウントするのが伏線になっている)。
第一郎は、「世の中には『実に稀なことだ』と『これはよくあることだ』の二つしかない」と主張する。
第一郎は、自身も国柱会に入会したということを告げる。石原莞爾が国柱会のメンバーだからだという。それゆえ、「同じ国柱会に入っているのだから、君と僕とはもう親戚のようなものだ」と語る。親戚になるのが好きな人のようである。
「井上日召(血盟団の首領)先生や、北一輝(二・二六事件の思想的主導者とされる人物である)先生も国柱会だ(実際は二人とも日蓮宗の信仰者であるが国柱会には入っていない)。今、日本は国柱会によって動かされようとしているのだ」と主張する第一郎。
「今の日本は腐りきっている。私利私欲を貪る奴らばかりだ。そうした連中を我々の中の一人が一人殺す。それで多くの者が幸せになる。そう、『一人一殺』、『一殺多生(いっさつたしょう)』(共に血盟団のスローガンとして知られる)だ」と第一郎は唱える。それで前田を殺そうというのである。
しかし、賢治はそれはおかしいという。第一郎は三菱の社員である。財閥というのは私利私欲に走らねば成り立たないものであり、三菱財閥に務める第一郎が私利私欲に走るのはけしからんというのは矛盾している。そういうことをいうなら三菱を辞めるべきですという。
舞台の一部が跳ね上がり、床下から車掌が現れ、「思い残し切符」を第一郎に渡す。思い残し切符は第一郎の妹のために渡したものであり、車掌は賢治に「あなたのはありません」と言い、賢治は「それはわかっています」と答える。更に車掌は第一郎にも「あなたのもです」と言って、奈落へと駆け下りていく。
思い残し切符は賢治によると「受け取った者は、最低でも今後3年間は死ぬことはない」という縁起の良いもので、いわば幸福の切符である(ということで、自分の分は貰えなかった第一郎も近く、命を落とす運命にあるということである)。
賢治は第一郎に妹さんに渡せば命は助かる、意識も戻るかも知れないという。
起き上がった賢治は「山男のような強いからだに生まれたかった。岩手には色々な踊りがある」と足を上げるだけの舞をする。
そして賢治は、「日蓮聖人は自分のことを『木偶の坊』だと言いました。『駄目な人間』、『賢しい痴れ者』、私は自分のことをそう言う日蓮聖人が好きなのです。今の日蓮宗系の新宗教は日蓮聖人の強い部分ばかりを強調します(共産党の政敵でもあるあそこなど)。でも日蓮聖人は弱い人です。日蓮聖人は釈迦の生まれ変わりでも神でも仏でもない、日蓮聖人は人間です。そういう弱い日蓮聖人を好きな人が一人くらいいてもいいではないですか」と唱える。
「自分は木偶の坊だ、駄目だと思う。そういう人間が増えることがこの修羅を浄土に変える方法なのではないでしょうか」というのである。
エピローグ
キャスト陣が舞台後方に並び、演奏家である荻野清子を除いた、舞台上にいる全員が「あなた方の行く先は決して幸せなものではないでしょう」から始まるセリフを語る。彼らは死者である。「この舞台は、あなた方を乗せたこの劇列車はこれでもうお終いです」これが終幕であることが告げられる。
グスコーブドリ号(東日本大震災の福島第一原発事故で有名になった「グスコーブドリの伝記」から取られている)の女車掌であるネリ(大和田美帆。二役)が現れ、グスコーブドリ号の出発を告げる。死者達は全員、農民である。一人一人が、思い残す言葉を告げる。
賢治が現れ、死因を「肺病をこじらせてしまいました」と言い、「広場が欲しかったな。町の真ん中に広場があれば、色々なことが出来る。岩手には踊りがあり、歌がある」と語る。ネリは「中心にそういうものがあれば様々な表現が出来ますものね(劇場も含まれる。偶然の一致であるが、今回の公演では西宮公演だけが兵庫県立芸術文化「センター」で行われている)。中心にないと目移りしてしまう。皆、ここが世界の中心だと思えばいいのです」という。これは賢治と親交があった高村光太郎の『智恵子抄』に収められたの最後の詩に出てくる。岩手県花巻市で書いた詩である。光太郎は「ここを世界のメトロポオルと一人思う」書いているのである。光太郎は戦災を逃れて花巻に疎開し、親交のあった宮沢賢治の実家である宮沢家が名門だというので世話になることにした。家は賢治の弟である清六が継いでいる。その後、光太郎は花巻市郊外に質素な家を建てて移り住む。ここは現在、「高村山荘」という記念館になっており、私も1994年に訪れたことがある。
中央の柱が赤く光る。それは国の柱ではなく村の柱である。しかしこの柱は世界のメトロポオルなのだ。
車掌が現れ、長い時間敬礼を行った後で、思い残し切符を数多く取り出し、客席に向かって「幸あれ」とばかりにバーッと撒く。撒いて幕である。
偶然であるが、メッセージは「あまちゃん」でGMT5が歌っていた「地元にかえろう」に非常によく似ている。勿論、宮藤官九郎も演劇人且つ東北人なので、「イーハトーボの劇列車」を知っていた可能性もあるのだが、「あまちゃん」で語られるメッセージは今は主流ともいえるものである。ただ、当然ながら、「イーハトーボの劇列車」の初演はかなり前であり、それが現代の潮流に合ってきたということになる(宮沢賢治もそうだが、建築家で実業家のウィリアム・メレル・ヴォーリズも近江八幡を「世界の中心だ」として永住した人である。近江八幡市の八幡堀周辺の街並みはとにかく美しく、私もあそこは世界の中心だろうと考える)。マザー・テレサは、「あなたが平和のために何が出来るかって。とにかく早く家に帰って家族を愛しなさい」と唱えたように、身近なところで自分に出来ることをする。その大切さが語られる。ただ自分の身内だけを考えているだけでは駄目なのである。中心で皆にメッセージを送る必要があるのだ。それは文化であり、思想であり、芸術であり、教育であり、とにかく皆のためにすることをしないといけないのだ。
皆のために、「幸あれ」と思い出し切符を撒くような、他者の幸福を願うことが必要なのである。
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