2013年11月12日 京セラドーム大阪にて
午後7時から、京セラドーム大阪で、ポール・マッカートニーの来日ツアー公演「OUT THERE」を聴く。今回が最後の来日になるのではないかと噂されているポール・マッカートニー。ビートルズナンバーもたっぷりということがそれを示唆しているともいわれる。

東京・田安門の武道館でコンサートを聴いたことはあるが、ドーム球場での音楽公演に接するのは初めてである。東京ドームには1回しか行ったことがないが(そこはスワローズファンなので。もっとも神宮球場に行ったことも数えるほどだが)、何度も通っている京セラドーム大阪(大阪ドーム)で初のドームコンサート体験というのはやはり嬉しい。
3万人以上の聴衆が押し寄せるということもあってか、京セラドーム大阪は午後5時開場。野球の時とほぼ一緒なので、対応には全く問題はないだろう。

本当は今日が日本ツアー初日だったのだが、満員御礼につき追加公演が組まれ、昨日が追加公演で初日となった。昨日のコンサートの様子は各紙が取り上げているが、今日は昨日のは違ったラフな格好でポールは現れた。
私の席は野球開催時にはバックネット裏の特等席となる場所だが、残念ながら、今回はバックスクリーンのある場所にステージが組まれている。ということで、ステージからかなり遠い。京セラドーム大阪はホームプレートからバックスクリーンまで122mだが、ホームプレートから、後部フェンスまで十数メートル。更に後部フェンスから私の席までの距離が十数メートル。ということで、約150mほど先にポールがいることになる。「いるな」「動いてるな」ということぐらいしかわからない。ステージの両袖に巨大スクリーンがあり、そこにはポールがアップで映っている。
セットリストであるが、ビートルズナンバーを想像以上に多く、「あのビートルズナンバーが好きなのに歌ってくれなかった」と思う人はごく僅かではないかと思うほどである。
ポールが「まいど、オーサカ、ただいまー」と言ってコンサートスタート。新聞にも出ていたが、ポールは、「コンバンハ、ニホンゴ、ガンバリマス。デモ、エイゴノホウガ、トクイデス」と言ったり、「オーサカ、めっちゃスキヤネン」と叫んだりする。「ワタシノ、ニホンゴ、ドウデスカ?」と聞いたりもしていた。
いきなり、ビートルズナンバーである「エイト・デイ・ア・ウィーク」でスタート。大いに盛り上がる。新作アルバム『NEW』から「セーブ・アス」を挟んで再びビートルズの「オール・マイ・ラヴィング」、ウイングス時代の「あの娘のおせっかい」と「レット・ミー・ロール・イット」、再びビートルズの「ペイパーバックライター」、ポールのソロ曲である「マイ・ヴァレンタイン」、「1985年」(ウイングス)、そしてビートルズの代表作の一つ「ロング・アンド・ワインディング・ロード」が歌われる。その後、「恋することのもどかしさ」(故リンダ夫人に捧ぐということで、スクリーンには在りし日のリンダの映像が映し出される)、「夢の人」(ビートルズ)、「恋を抱きしめよう」(ビートルズ)、「アナザー・デイ」、ビートルズの初期の代表作の一つ「アンド・アイ・ラヴ・ハー」、「ブラックバード」(テレビでアメリカの公民権運動を知って作ったというポールの説明あり)、ジョン・レノンに捧げた曲である「ヒア・トゥデイ」、『NEW』より「NEW」(演奏前にポールから、『NEW』を日本の海外アルバムチャート1位にしてくれてありがとうとのコメントあり)、「クイーニー・アイ」(『NEW』)、「レディ・マドンナ」(ビートルズ)、「オール・トゥギャザー・ナウ」(ビートルズ)、「ラヴリー・リタ」(ビートルズ)、コンサートのタイトルにもなった「エヴリバディ・アウト・ゼア」(『NEW』)、「エリナー・リグビー」(ビートルズ。まさかこの曲を歌ってくれるとは思っていなかった)、「ビーイング・フォー・ザ・ベネフィット・オブ・ミスター・カイト」(ビートルズ)
ポールは、「次はジョージに捧げる曲です」と言って、ウクレレを弾きながらジョージのナンバーである「サムシング」を歌う。ウクレレを弾きながらというところに捻りが利いている。
ポールは今度は、「この曲はみんなで歌いましょう」と言って、「オブラ・ディ・オブラ・ダ」が演奏される。
ウイングスの「バンド・オン・ザ・ラン」を経て、再びビートルズナンバーが続く。「バック・イン・ザ・U.S.S.R.」、「レット・イット・ビー」、ウイングスの「007死ぬのは奴らだ」
そして今回のコンサートの山場ともいうべき、「ヘイ・ジュード」の演奏に入る。ポールは「Na Na Na Na Na Na Na」のところを聴衆全員に歌わせ、続いて、「男性」といって男性客のみに歌わせる。そして「女性、ガールズ&レディース」といって女性客の歌声を響かせる。そして「エブリバディ!」と言って、全員での大合唱となる。
アンコール。ポールが日章旗を持ち、もう一人がユニオンジャックを持って現れる。「デイ・トリッパー」(ビートルズ。この曲も歌ってくれるとは思っていなかった)、「ハイ・ハイ・ハイ」(ウイングス)、ラストはビートルズナンバーである「ゲット・バック」で締めた。
ポールは、再度のアンコールに応えて、登場。「イエスタデイ」をギター一本で弾き語りする。歌詞とメロディーが惻惻と胸に染み込んでくる名曲中の名曲である。
ポールは、下手袖にはけようとするがそこにメンバーが待ち構えており(という演出)エレキギターを渡してアンコール続行となる。「ヘルター・スケルター」、「ゴールデン・スランバー」、「キャリー・ザット・ウェイト」そして、最後は「ジ・エンド」でジ・エンドとなる。
約2時間の演目を終えた後で、更に5曲のアンコール。計約2時間半のライブである。
ポールは、年齢を全く感じさせない熱唱。ギター、ベース、ピアノ、シンセサイザー(オルガン風外観)、ウクレレを演奏する。ギターは何種類も取り出し、そのうちの一つはジミ・ヘンドリックスが愛用していたものだという。
チケット料金の割りにはステージから遠いというのが不満であったが(パーヴォ・ヤルヴィ指揮パリ管弦楽団の演奏会は、チケットを買うのが遅れたため、今回は高めの席で聴いたが、それでも今日のコンサート料金よりは安かったし、パーヴォは目の前にいた。確かにポールは歴史に名を残すことが確実な偉人であるが、パーヴォも歴史に名を残す可能性の高い人物である)、それ以外は満足のいくコンサートであった。ポールがどう思うか、またポールの年齢にもよるが、また来日して貰って、今度は近い席で聴いてみたい。ただ、近くの席はファンクラブ優先などがあるかも知れない。
私はビートルズは好きで、19歳で大学に入ったとき、真っ先に買ったのが、版権の遅れのためCD化されたばかりの赤盤、青盤であった。オリジナルアルバムもほとんど持っていて、カラオケでビートルズナンバーを歌うこともある(ジョンの作品である「ノルウェイの森」が一番多いと思う)。
ただ、ビートルズ解散後は、私はもともとジョン・レノン派であったということもあって、ジョン・レノンのアルバムは折に触れて聴くことはあっても、ポールのアルバムはほとんど聴いてこなかった。ジョンがビートルズ解散後に賛否両論はあっても独自の道を見つけたのに対し、ポールの方はビートルズ時代の実験精神が嘘のように売れ線のシンガーソングライターになってしまい、物足りなくもあった。メロディーメーカーとしての才能はポールがビートルズの中でナンバーワンだったと思うし、ジョンもジョージも他界した今ではそれはもう揺るがないだろう。しかし、ビートルズの時の時代を切り取ったようなシンクロナイズなパワーが消えてしまったように思うのはなぜなのか。変わったのはポールなのか時代なのか、あるいは両方なのか。それはわからないが、今日もポール・マッカートニーやウイングス名義の曲よりもビートルズナンバーの方に力強さを感じた。技巧的にはビートルズ解散以降の方が上であり、メロディー的にもビートルズ時代の方がシンプルなのだが、ビートルズという稀有な四人が集まって(晩年は不仲であったが)作り上げた作品群は、ポール・マッカートニーという個人が個人のみによる作業で作り上げた音楽を上回る何かを持っていたのかも知れない。
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