ロリン・マゼール逝く
フランス・パリ近郊に生まれ、アメリカで育った世界的指揮者にして作曲家、ヴァイオリニストとしても活躍したロリン・マゼールが死去。
8歳で指揮者デビューするという、絵に描いたような神童であった。
「10歳で神童、15で天才、二十歳過ぎればただの人」という言葉通りになってしまう人も少なくないが、マゼールは順調に世界的指揮者に成長している。
独特の解釈をする指揮者であったが、マイクやカメラが入ると常識的な指揮をしてしまう人だったようで、彼の真骨頂に触れるには収録一切なしのライブを聴く必要があり、今年のPMFオーケストラ大阪公演をマゼールの指揮の指揮で聴く予定であったのだが、マゼールは今年に入ってから体調を崩しており、PMFでの指導と演奏会の指揮を全てキャンセル。結局、体調が戻らないままでの逝去となった。そのため、彼の驚くほど独自の解釈を聴くことが出来る音盤はウィーン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮したラヴェルの「ボレロ」だけとなる。
ロマンティックな音楽表現にも長けており、当時音楽監督を務めていたクリーヴランド管弦楽団を指揮した、プロコフィエフのバレエ音楽「ロメオとジュリエット」全曲(DECCA)は、歴代最高峰を争う名盤である。
ドイツ・オーストリア圏では余り評価されていない作曲家も積極的に取り上げており、「シベリウス交響曲全集」は2度制作。若い頃にウィーン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮した「シベリウス交響曲全集」(DECCA)はマゼールの若さが裏目に出てしまって薦められる出来ではないが、ピッツバーグ交響楽団を指揮した2度目の「シベリウス交響曲全集」(ソニー・クラシカル)は眼光紙背に徹すという姿勢でシベリウスの本質を突いており、名盤であると同時にマゼールの深化を感じさせるものとなっている。
また、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のニューイヤーコンサートの常連であり、ウィリー・ボスコフスキーが引退してからはその後を襲い、毎年ニューイヤーコンサートの指揮者を務め、ウィーン・フィル・ニューイヤーコンサートが毎年、違う指揮者を招くようになってからも何度も指揮台に上がっている。ヨハン・シュトラウスⅡ世と同じような、ヴァイオリンを弾きながらの指揮も見せた。
ベートーヴェンやモーツァルト、ブラームス、ブルックナーといった王道レパートリーでは高い評価を得るには至っていないが、マーラーは得意としており、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団による初の「マーラー交響曲全集」(ソニー・クラシカル)の指揮者を務めたのはマゼールであった。
ライブの人であったため、本当の姿はもう知ることが出来なくなったのかも知れず、残念である。
ただ優等生的な演奏しか録音しなかったにも関わらず、レコーディングアーティストとして世界的な評価を得たということが逆にマゼールの真の凄さを示しているように思える。
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