深津篤史氏よ、さらば
劇団「桃園会」主宰で、劇作家・演出家の深津篤史(ふかつ・しげふみ)氏が死去。46歳という若さだった。新聞で癌を患っていることは知っていたが、これほど早く逝去されるとは思ってもいなかった。
入念に計算された緻密な本を書く劇作家であり、独特の深みのある心理劇は全国区でも通用したと思われるが、深津氏自身は関西密着型の指向を持っており、大阪市内や伊丹AIホールでの上演を好んだ。
同志社大学文学部卒、同大学院修士課程修了。自己紹介では半ば冗談で「インテリです」と記していた。学部在学中に同志社の第三劇場に入り、演劇を始めている。
関西の演劇人というと、自分の身内の劇は見に行くがそれ以外はさっぱりという方も多いのだが、深津さんのお姿は自身とは何の関係もない演目を上演している劇場でも何度かお見かけした。勉強熱心だったのだと思われる。 また、料理上手という意外な一面を持っていたという。
関西の演劇人とは、何人かの方とは面識があるのだが、深津さんとは最後まで他人のままであった。劇場ではたびたび見掛ける間柄だったので、「こいつよく見るな。芝居好きなんだな」と深津さんは思われていたかも知れないが。
深津氏の逝去により、関西の演劇シーンがまた一段と寂しくなった。
| 固定リンク | 0
コメント