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2014年8月23日 (土)

コンサートの記(152) 広上淳一指揮京都市交響楽団第579回定期演奏会

2014年5月24日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団の第579回定期演奏会に接する。今日の指揮者は京都市交響楽団常任指揮者兼ミュージック・アドヴァイザーの広上淳一。広上はミュージックアドヴァイザー兼任になってから京響の指揮台初登場となる。チケットは完売御礼、当日券もなしである。

オール・フランスもののプログラム。ベルリオーズの序曲「ローマの謝肉祭」、プーランクのバレエ組曲「牝鹿」、ベルリオーズの交響曲「イタリアのハロルド」(ヴィオラ独奏:川本嘉子)
序曲「ローマの謝肉祭」は、ショーピースとしてよくプログラムに載る曲であるが、他の2曲は知名度こそそこそこあるものの、コンサートで聴く機会は余りないものである。

午後2時10分頃から、広上淳一、京響ヴィオラ首席奏者の小峰航一、京響事務局総務担当シニアマネージャーの浅井雅英(だと思う。京響は公営オーケストラであるため、スタッフも公務員であり、異動があるため、毎年のように顔ぶれが変わるのである)の3人にプレトークがある。小峰航一は、「イタリアのハロルド」がヴィオラ独奏付きの交響曲であるため、ヴィオラの専門家として広上がステージ上に招いたものである(広上は小峰のことを「小峰ちゃん」というあだ名で呼んでいた)

まず指揮者の新体制についての話になる。この4月から、広上淳一が常任指揮者から常任指揮者兼ミュージック・アドヴァイザーに昇格(ではあるが、定期演奏会の出番は減った)、高関健が首席常任客演指揮者、下野竜也が常任客演指揮者に就任した。
高関と下野について広上は、「二人とも音楽的教養の深い、私よりも深い」と述べ、「高関さんは、珍しい曲を取り上げるよりも、よく知られた曲に新しい解釈で光を当てるタイプ」、「下野さんは、私のクラスで学んだ指揮者なのですが、今では私よりも色んなことを知っていて、4月の定期演奏会を聴いて貰った通り、余り知られていない曲を積極的に取り上げる指揮者」と評した。

それから、京響が、来年の5月から6月に掛けてヨーロッパツアーを行うという話になる。京響がヨーロッパツアーを行うのは18年ぶりだという。チェコの2都市(プラハは京都の姉妹都市だがプラハでは公演は行われない)、ドイツにおける京都の姉妹都市であるケルン、イタリアの京都の姉妹都市フィレンツェなどを巡る。

ヴィオラの話。広上も大学1年の時にヴィオラを少しだけ習ったことがあるそうだ。「ベートーヴェンはピアノの名手で、ヴィオラは余り上手くはなかったのですが、生活のために宮廷楽団でヴィオラを弾いていたことがあります、他ですとドヴォルザークもヴィオラ奏者出身、(指揮者である)デュトワ先生もヴィオラですね。指揮者はヴィオラ奏者出身が多くてジュリーニ先生などもヴィオラです」と広上は語る。

小峰航一は、幼少時からヴァイオリンを習っていたが、小学5年生の時にヴィオラに転向したそうだ。「普通は高校、大学ぐらいでヴィオラに転向する人が多いのですが、私はなぜか早かった」と小峰。転向した理由は「小学5年生の時なので、もう良くは覚えていないのですが、『ヴィオラ』という響きは好きでした」と語る。

交響曲「イタリアのハロルド」について広上は、「パガニーニがストラディヴァリウスのヴィオラを手に入れたので、ベルリオーズにヴィオラ独奏のための作品の作曲を依頼した。パガニーニとしてはヴィオラが大活躍する協奏曲を望んでいたと思われるのですが、ベルリオーズはヴィオラが派手に活躍するというわけではない交響曲を書いたため、パガニーニは気に入らなかったようで、初演は別の人によって行われた」と説明する。

ベルリオーズの回想録によると、「イタリアのハロルド」を後に聴いたパガニーニが感激し、ベルリオーズに多額の献金をした上で「ベートーヴェンの後継者はあなたをおいて他にない」と断言したそうだが、ベルリオーズは精神的にちょっと異常なところのある人で、誇大妄想も激しく、虚言癖もあったため、このエピソードは多分嘘である。

今日は、京響の通常の演奏会とは異なり、弦楽がドイツ式ではなくメリカ式の現代配置となる。広上によると「響きや雰囲気を変えてみようということで、深い意味はありません」とのことであったが、交響曲「イタリアのハロルド」では、ヴィオラ独奏とオーケストラのヴィオラパートが歌い交わす場面があり、ヴィオラパートがソリストに近いアメリカ式現代配置の方が互いに演奏しやすいのは確かである。

そのベルリオーズの序曲「ローマの謝肉祭」。
重厚で堂々とした演奏であるが、重苦しくも鈍くもならず、華やかな祝祭が展開される。全てのセクションが充実しているが、特にブラスの力がものをいっている。

プーランクのバレエ組曲「牝鹿」。「牝鹿」というのはフランス語のスラングで「若い女性」、「かわいこちゃん」、「高級娼婦」などを意味する言葉であり、本物の牝鹿を描いた曲ではない。バレエの内容は「20人の若い女性が3人の男性と浮かれ騒ぐ様子を描いた」ものである。

軽妙洒脱な楽曲であるが、広上と京響は曲の持つ魅力を十二分に引き出す。しなやかで軽やかでお洒落だ。
広上の棒捌きは抜群で、オーケストラのキャンバスに指揮棒という名の絵筆を振るう音の画家を見ているかのようだ。

メインであるベルリオーズ交響曲「イタリアのハロルド」。日本を代表するヴィオラ奏者の一人である川本嘉子は広上淳一の指揮者クラスの聴講生だったことがあるそうで、どこまで指揮を本格的に習ったのかはわからないが、一応、師弟の関係になるそうである。
その川本のヴィオラであるが、非常にスケールが大きい。「壮大」という言葉がこれほど当て嵌まる演奏も稀である。

広上の指揮する京響も表情豊かな演奏を繰り広げる。広上の指揮であるが、奥にいるブラス奏者に指示するときは、見えやすいように腕を高々と挙げて行い、弦楽に対しては腕をやや下げて振る。誰が見てもわかりやすい指揮である。

「イタリアのハロルド」であるが、独奏であるはずのヴィオラが伴奏に回って同じ音型を繰り返し、メロディーはオーケストラが奏でていくという、協奏曲とは真逆のシーンが長く続き、パガニーニがこの曲を気に入らなかったのも肯ける。ベルリオーズは色々と革新的なことをしている人だが、この曲でも通常ならコンサートマスターと第2ヴァイオリンの首席奏者が歌い交わすであろう部分を、それぞれのパートの最後列の奏者に弾かせるなど、今でも斬新なアイデアが取り込まれている。

オーケストラの鳴り、描写力、色彩の豊かさなど、どれを取っても間違いなく日本のオーケストラによる最高レベルの演奏であり、広上と京響は絶好調である。

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