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2014年9月15日 (月)

ペーター・コンヴィチュニー×平田オリザ×沼尻竜典 「オペラと演劇、その協働の可能性と未来への展望」

2014年8月1日 滋賀県・大津市の、びわ湖ホール小ホールにて

午後7時から、びわ湖ホール小ホールで、ペーター・コンヴィチュニー×平田オリザ×沼尻竜典の3人による公開ディスカッション「オペラと演劇、その協働の可能性と未来への展望」を拝聴する。入場無料、事前予約不要である。司会は中央大学准教授の森岡美穂。コンヴィチュニーの通訳は蔵原順子が担当する。

びわ湖ホールの大ホールや中ホールにはしょっちゅ来ているが、小ホールに入ったことはあったかな? と考えていたが、小ホールの内装を見てすぐに思い出す。幸田浩子のソプラノ・リサイタルを聴いたのがここだった。もう大分前、幸田がまだイタリアを本拠地にしていた頃である。

ペーター・コンヴィチュニーは東独出身の世界的なオペラ演出家、というよりライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のカペルマイスターとして知られたフランツ・コンヴィチュニーの息子と書いた方が通りが良いだろう。びわ湖ホールでのオペラ演出も何度か行っているほか、びわ湖ホールのオペラ演出・歌唱ワークショップも2009年からほぼ毎年行っており、今日もワークショップを終えてのディスカッション参加となる。

平田オリザは、いわずと知れた劇作家・演出家、こまばアゴラ劇場の支配人であるが、今度、大阪大学を離れて、東京芸術大学の特任教授に就任したという。

沼尻竜典は、びわ湖ホールの芸術監督で、ドイツのリューベック歌劇場の音楽総監督も兼任している。今年の3月までは日本センチュリー交響楽団の首席客演指揮者も務めていた。

まずはフランツ・コンヴィチュニーが、びわ湖ホールのワークショップスタッフの優秀さを讃える。ドイツにはオペラ演出家になるためのコースを持つ大学が5つほどあり、コンヴィチュニーもベルリン(当時は東ベルリン)の大学のオペラ演出家養成課程出身だそうである。5年制の大学であるが、残念ながら教育のシステムに欠陥があり(コンヴィチュニーは「現場で実力を発揮出来なかった人が教えているので」と言って笑いを取った。現場で実力を発揮した人は売れっ子演出家になっていて、教えている暇はないということである。また声楽の教師とも意見が合わず、「彼らは動きながら歌うことが歌手にとってマイナスになると今なお思い込んでいるのです。そしてマフィアのようにネットワークを張り巡らせ、スマホやメールを使ってそうした教えを広めていきます」とうんざりした口調で述べた)、卒業後の保証が全くなく、実力よりもコネがものをいう社会で、足の引っ張り合いなどもあり、「醜い」道のりだとコンヴィチュニーは語った。

平田オリザは、細川俊夫の新作オペラの演出を担当したことがあり、今度は平田オリザの書き下ろし台本によるオペラも制作が進んでいるという。平田は、日本では演出家になるための教育はほとんど行われておらず、学生劇団で生き残った人、「貧乏に強くて、根気があって、風呂に一週間入らなくても平気」という人が演出家になると語る。
平田オリザはフランスでも毎年仕事をしているが、フランスではコンセルヴァトワールの演技クラスの一番頭の良い奴が自然に演出家なったり、またフランスのエリート養成校であるグランゼコールの文系校の中では、希望進路第1位が舞台演出家であり、フランスでは舞台演出家になれなかった奴が官僚や政治家になるということで、いけ好かないエリート主義がまかり通っているけれど、それで文化の優位が保たれているところがあるそうだ。

沼尻竜典が問題にしたのは、日本の村社会的体質。例えば、東京二期会に入ると、人数が多いのでなかなかオペラの舞台に立てない。だからといって地方の二期会に入るともう東京からはお呼びが掛からないそうで、その地方でのトップにしかなれないという。思っていたよりもかなり閉鎖的な世界である。沼尻はそれを解消するため、びわ湖ホールでは色々な地方から歌手を招いたオペラ公演を行っているという。本当なら、新国立劇場が東京だけでなく、各地方の中心都市に一つずつぐらいはないとオペラ文化は日本には根付かないのだが、日本はそれとは程遠い状況にある。

司会の森岡美穂は、留学したこともあるイギリスの歌劇場を例に挙げる。英国では各地方にある5つぐらいのカンパニーが巡回公演を行っているそうで、地方都市であってもかなりの数の作品が楽しめるという。東京や大阪でもそうはいかない日本とは大違いである。

フランツ・コンヴィチュニーはオペラの演出と演劇の演出は別物だと語り、そのためディスカッションのタイトルにも「協働」という言葉が選ばれたのだろう。

沼尻が平田に、「演劇の演出家から見て、オペラって変に思わないですか?」と聞くと、平田は「思う。何で歌うの? って」と正直に答える。コンヴィチュニーは演劇の演出の経験もあるそうだが、両親が音楽家で、母親は歌手であり、「今日は3時に帰るわね」と歌いながら出ていくような人だったので、オペラに違和感は感じなかったという。ただ、「正直に言うと、オペラを観るよりも演劇を観る方が好きです」と打ち明けて、客席の笑いを誘う。

沼尻は、「オペラを観に来る人でも、日本のオペラ公演だけ観る人と、来日のオペラ公演だけ観る人に分かれる。オペラを観る人で演劇も観るという人は余りいない」と文化の分散を問題にするが、コンヴィチュニーによるとドイツでも状況は同じか、もっと細分化されていて、「オペラも演劇も映画も観る人、更にコンサートを聴く人、その上で美術館や博物館に通う習慣のある人、更に小説まで読む人というのは極めて稀だ」と述べる。そうか、俺ってそんなに稀少な生き物だったのか。
コンヴィチュニーは、「スペシャリストは増えたけれど、全体を見通せる人が少なくなった。これが現代の文化における病理だ」と分析した。「オペラでも現代美術の専門家が舞台美術を手掛けていて、彼らは舞台上に大量の血糊を流させる。冗談じゃない、そんな見せ方をする人にオペラがわかっているとは到底思えない」とも語る。

平田オリザは、映画などはメディアの発達によって取って代わられる可能性があるが、生身の人間が目の前で表現を行うというスタイルは生き残るだろうとした上で、「ドイツの前衛演劇は行き着くところまで行き着いてしまった感じで、この間、ドイツで観た演劇は、本当にナイフで皮膚を切り裂いて血を流し、彼はエイズだったという内容。ここまで来るともう後はその場で本当に人殺すぐらいしか残ってないだろう。こんなことじゃ20年持たない」とも述べる。更にドイツの演劇を観て「なんでみんなすぐに脱ぐの?」とも思ったそうだ。コンヴィチュニーは、マスコミにも責任があると指摘する。ドイツのマスコミはセンセーショナルなもの、ショッキングなものばかり取り上げるので、そうでないものは上演されているということすら知らされないという。

1970年代には、西ドイツの4分の1の劇場が潰された。お金がないという理由だったが、お金はあった。どこにお金を使うべきかという選択の中でアメリカ式の新自由主義理論が台頭し、「アメリカには全国で6つしかオペラハウスがないのに、ドイツには西側だけで400もある。不経済だ」という理由で切り捨てられたのだという。コンヴィチュニーのいた東ドイツでは「文化こそ国の威力を示すもの」という考えがあり、文化のための計画経済が組まれ、逆に文化は興隆していったそうだが、東西ドイツ統合によりアメリカ主導型の市場経済に呑み込まれつつあるそうだ。ドイツでは、チケット収入でまかなえるのは収益の約2割で後は国の補助金が頼りなのだが、日本の政府はドイツとは比べものならないほど酷いと怒りを露わにする。

平田オリザは、東京芸術大学に演出家養成のための課程を作りたい、学部には無理だけれど、大学院には作る予定があると述べる。先進国で唯一、国立大学に演劇専攻がないという日本の恥を雪ぎたいという希望を語るが、大阪大学を離れるのは、「大阪市長が嫌いだから」と本音を語って会場の爆笑を呼ぶ。沼尻も「その大阪市長に真っ先に切り捨てられた日本センチュリー交響楽団の演奏会が、びわ湖ホールであります。私が指揮します。全員、裸で演奏すればお客さんが入るんでしょうか」と嫌みを込めつつ宣伝した。

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