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2014年10月24日 (金)

コンサートの記(161) ジェームズ・ジャッド指揮 京都市交響楽団第580回定期演奏会

2014年6月20日 京都コンサートホールにて

午後7時から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団の第580回定期演奏会を聴く。今日の指揮者はイギリスの中堅、ジェームズ・ジャッド。

曲目は、モーツァルトの交響曲第31番「パリ」、パガニーニのヴァイオリン協奏曲第1番(ヴァイオリン独奏:クリストフ・バラーティ)、エルガーの変奏曲「謎(エニグマ)」(「エニグマ変奏曲」、「謎の変奏曲」)

NHK交響楽団への客演などで知られるジェームズ・ジャッド。NAXOSレーベルの看板指揮者の一人でもあり、手兵であったニュージーランド交響楽団やフロリダ・フィルハーモニー管弦楽団とのレコーディングを行っている。また、レナード・バーンスタインの弟子ではないのに、バーンスタインの書いたクラシック作品を聴いたりスコアを読んだりして、「もっと演奏されて然るべきだ」と思い、プログラムに載せることの多い指揮者としても知られる(NAXOSレーベルにレナード・バーンスタインの交響曲第2番「不安の時代」などのレコーディングも行っている。現在、レナード・バーンスタインの書いたクラシック音楽を取り上げているのは、ほぼバーンスタインの直弟子に限られており、ジャッドは異色の存在である。ただ、バーンスタインの作品は見直しが盛んに行われており、将来的には「異色の存在」から「先見の明あり」と評価が変わるかも知れない)。

開演20分前から、ジェームズ・ジャッドと通訳によるプレトークがある。
ジャッドはまず、「今日はとても早起きをしなければなりませんでした。フットボールのイングランド戦があったので」と言って聴衆を笑わせる。「残念ながら、負けてしまいました。日本戦も見ましたよ。ドローでしたね」とイギリス人らしい枕を語った後で、モーツァルトとエルガーの楽曲の説明に入る。モーツァルトの交響曲第31番「パリ」は、モーツァルトがこれまでにないほどに心血を注いだ作品だとジャッドは語る。パリ宮廷への就職が掛かっており、そのためにパリ市民の心をも絶対に掴まねばならなかったからだ(初演は大成功だったが、結局、モーツァルトはどこの宮廷からも受けいれられず、史上初のフリーランスの音楽家を目指すことになる)。
エルガーの音楽についてジャッドは、「とても難しい」と語る。エルガーは外見はいかにも英国的な紳士だったが、内面は気難しい人物であった。「エニグマ」変奏曲も、タイトルの通り謎かけがあり、「演奏されない隠れた大きな主題」については今も正解がわかっていない。

モーツァルトの交響曲第31番「パリ」。ヴァイオリン両翼であるが、古典配置ではなく、ドイツ式の現代配置の第2ヴァイオリンとヴィオラを入れ替えた独自の配置である。

ジャッドがイギリス人ということもあり、イギリスで盛んなピリオド・アプローチによる演奏である。今ではすっかりモーツァルトの交響曲といえばピリオドによる演奏が主流になってしまった。

極めて端正でチャーミングが展開される。ジャッドの指揮は明確で美しく、生み出す音楽は、ヘルベルト・フォン・カラヤンが岩城宏之に語ったという、「ドライブするのではなくキャリーする」という言葉の意味がはっきりわかるアポロ芸術的なものである。
モーツァルトの交響曲第31番「パリ」の実演には、昨年、沼尻竜典指揮日本センチュリー交響楽団のものに接しているが、ホールの響き以外は全て今日のジャッドと京響の方が上である。

パガニーニのヴァイオリン協奏曲第1番。
ソリストのクリストフ・バラーティは、1979年、ブダペスト生まれの若手。音楽家の両親の下に生まれ、幼少期はハンガリーではなく、ベネズエラで過ごしたという。カラカスで音楽教育を受けた後、祖国のフランツ・リスト音楽院で研鑽を積み、2010年にパガニーニ・モスクワ国際ヴァイオリンコンクールで第1位を獲得。2011年にはハンガリー政府よりリスト賞を受けている。

パガニーニのヴァイオリン協奏曲は、ヴィルトゥオーゾ向けの作品であるが、曲自体はそれほど面白いというわけではない。ただ、今日の演奏は楽しめた。

バラーティのヴァイオリンは磨き抜かれた艶やかで明るい音色が特徴。基本的に根明の音であり、イツァーク・パールマンの音楽性に通じるところがあるように思う。だが、そのため、曲が進んでいくうちに、「いくら技術重視の作品とはいえ、陰影に乏しすぎるのではないか」という疑問が浮かぶ。影を出せないのではなく出さないのだということは後にわかるが解釈には疑問である。
とはいえ、メカニックも抜群で、パガニーニのヴァイオリン協奏曲ならこうした演奏でもいいだろう。

ジャッド指揮の京響はリズム感抜群の無駄のない音楽を作っていく。

演奏終了後、聴衆からの大喝采を浴びたバラーティはアンコールを2曲演奏する。まず、J・S・バッハの「無伴奏ヴァイオリン・パルティータ」より“サラバンド”。パガニーニとは打って変わった渋めの音を出す。年齢の割には深い味わいもある演奏で、バッハの真髄を聴かせた。

2曲目は、イザイのヴァイオリン・ソナタ第2番より第1楽章“オブセッション”。濁りの全くない音で「グレゴリオ聖歌」の“怒りの日”の主題による変奏が奏でられていく。イザイということで超絶技巧が要求されるが、難なくクリアしていく感じだ。

協奏曲では疑問もあったが、優れたヴァイオリニストであることに間違いはなく、また聴いてみたくなるタイプの演奏家であった。

 

メインである、エルガーの変奏曲「エニグマ(謎)」。ジャッドのお国ものだけに優れた演奏となる。京響の演奏する変奏曲「エニグマ(謎)」は、広上淳一がまだ常任指揮者になる前に指揮したものを聴いているが、広上は変奏と変奏の間にちょっとした空白を置くという独自の解釈で演奏したため、普通の、間断のない演奏を聴くのは今日が初めてである。

パイプ・オルガンも加わる曲だが(パイプ・オルガン:桑山彩子。ステージ上での演奏である)、ジャッドは京響からもパイプ・オルガンのような響きを引き出す。力みはないのに壮大で豪奢な音楽が生み出されていく様は実に見事。また、全ての楽器に神経の行き届いた丁寧な音楽作りである。強引なドライブなしに豊かな歌を紡ぎ出す技術も特筆事項である。

4月定期の指揮者であった下野竜也と5月定期の指揮者であった広上淳一も傑出した演奏を聴かせたが、ジェームズ・ジャッドの指揮した今日のコンサートはそれらを上回る出来であったと思われる。

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