観劇感想精選(146) 平成二十七年 初春文楽公演第2部「日吉丸稚桜」&「冥途の飛脚」
2015年1月14日 大阪・日本橋の国立文楽劇場にて観劇
午後4時から、大阪・日本橋の国立文楽劇場で、初春文楽公演第2部 「日吉丸稚桜(ひよしまるわかさのさくら)」“駒木山城中の段”と「冥途の飛脚」“淡路町の段”“封印切の段(新町の段)”“道行相合かご”を観る。
国立文楽劇場に来るのは通算で4回目であるが、文楽を観るのは3回目。前回は文楽ではなく3階にある小ホールで落語の公演を観ている。
「日吉丸稚桜」は、タイトルからわかる通り豊臣秀吉が登場するが、木下藤吉郎久吉(このしたとうきちろうひさよし)という名義になっている。織田信長は小田春長、斎藤道三は斎藤明舜、濃姫が萬代姫、加藤清正が加藤正清という名に置き換わっている。ただ堀尾吉晴と斎藤龍興は何故かそのままの名で登場する。中途半端な置き換えである。
舞台は駒木山城であるが、これは小牧山城の置き換え。斎藤明舜と斎藤龍興の居城は稲田山城であるが、これは稲葉山城=岐阜城の置き換えである。城の名前はある程度歴史好きの人でないとピンと来ないかも知れない。
小田春長に輿入れした萬代姫であるが、駒木山城の木下藤吉郎久吉の下に預けられており、藤吉郎の家臣である堀尾吉晴が萬代姫に渡した短冊には自害するよう示唆されていた。
藤吉郎であるが、斎藤明舜の居城である稲田山城の攻め方を検討中。蝶々が飛ぶのを見て、搦手からの攻撃を思いつく。
駒木山城に老人が忍び込む。堀尾吉晴がそれを見とがめるが、その老人が吉晴の舅である鍛冶屋五郎助であることがわかる。また、鍛冶屋五郎助は藤吉郎がかつて自分が世話をした猿之助という奉公人だったことを知って驚く。
更には堀尾吉晴の養父である源左衛門を殺したのが舅である鍛冶屋五郎助であることも発覚する。
鍛冶屋五郎助の息子、竹松も現れるが、下部を思いっ切り投げつけるなど、竹松は幼いながらも怪力である。この竹松の後の姿が加藤正清ということになっている加藤清正である。
相手を思いっ切り投げ飛ばすシーンでは、人形を使う文楽の良さが出る。生身の俳優では怪我に配慮して思い切り投げることは出来ないが(一応、歌舞伎ではトンボ切りという手段を用いる)、文楽では思う存分投げ飛ばすことが出来る。
ストーリー展開に、シェークスピアの「タイタス・アンドロニカス」によく似たところがあるのだが、勿論、偶然である。
「冥途の飛脚」。近松門左衛門の作であり、有名作であるが(特に「封印切り」は代名詞になっている)、「曽根崎心中」や「心中天網島」などに比べると評価が芳しいとはいえない。「冥途の飛脚」は後に菅専助と若竹笛躬により改作され「けいせい恋飛脚」という文楽にもなっている。
近松作の他の文楽では「やむにやまれず」というところがあるのだが、「冥途の飛脚」では、主人公の忠兵衛がアホなだけということもあり、八百屋お七のようなちょっと頭があれなだけの人でも悲劇のヒロインにしてしまうという寛容さを持つ日本人でも「もう少し何とかならないのか」と不満を持っても仕方ない。後に改作する人が現れたのもそのためであろう。
ただ、改作された「けいせい恋飛脚」では八右衛門が完全な悪役となっており、勧善懲悪が流行らなくなった時代にあっては、八右衛門が魅力的な人物となっている「冥途の飛脚」の方を高くする人も相当数いるだろうと思われる。
有名な封印切りの場面であるが、本当に面白い。昔の日本人は怖ろしく賢かったんだなあと感心する。
なお、「千日」という言葉に忠兵衛が過剰反応する場面があるが、これは大阪に詳しい人でないとどうしてそうなるのかわからないと思われる。江戸時代の大坂の刑場は千日前にあったため、「千日」という言葉が「千日前」を連想させて忠兵衛が臆したのである。
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