コンサートの記(173) 追悼 アルド・チッコリーニ 下野竜也指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第479回定期演奏会
2014年6月26日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて
午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第479回定期演奏会を聴く。今日の指揮者は下野竜也。
曲目は、ラヴェルの「古風なメヌエット」、サン=サーンスのピアノ協奏曲第5番「エジプト風」(ピアノ独奏:アルド・チッコリーニ)、ブルックナーの序曲ト短調、ヒンデミットの交響曲「画家マティス」
下野はヒンデミットを得意としており、正指揮者を務めていた日本フィルハーモニー交響楽団で、オール・ヒンデミット・プログラムによる演奏会を指揮したこともあるという。
ヒンデミットの交響曲「画家マティス」は、欧米では人気曲であるが日本では知名度が低いという作品の代表格とされることもあるが、欧米でのCDリリースもそれほど多くはないため、欧米でもポピュラーなのかどうかは実のところ疑問である。ただ、日本のオーケストラが交響曲「画家マティス」をレコーディングしたという話も聞かないため、日本よりも欧米での方が知られているということだけは確かなようである。
ヒンデミットの交響曲「画家マティス」には、レナード・バーンスタイン指揮イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団による超人的表現を聴くことの出来る音盤が存在し、今後も、これを上回る名演奏は出てこないかも知れない。
京都市交響楽団の4月定期に登場し、力強い演奏を聴かせた下野竜也。今日は、ラヴェルの「古風なメヌエット」で、「出だしがやけに大人しいな」と感じたが、それは指揮者やオーケストラに問題があるのではなく、フェスティバルホールの空間がラヴェルを演奏するには大きすぎるのだと思われる。音が左右にかなり散っているのが確認出来る。今日は、1階席の最後列で聴いたのだが、あるいは2階席か3階席の方が音が良かったかも知れない。
スケールが小さく聞こえて損をした格好であるが、音色は洗練されており、良いラヴェル演奏だったと思う。
サン=サーンスのピアノ協奏曲第5番「エジプト風」。超絶技巧が要求されるため、滅多に演奏されない曲であるが、今日、それに挑むのは、1925年生まれで、現役最高齢ピアニストともいわれるアルド・チッコリーニ。先日、東京での演奏会で大成功を収めたことが伝わっている。
アルド・チッコリーニは、その姓で分かるかも知れないがイタリア出身である。ナポリに生まれ、その後、パリに移住し、フランス国籍を取得。デビュー当時から、イタリア生まれではあるがフランス人ピアニストとして評価されていた。エリック・サティのスペシャリストとしても知られ、史上初の「エリック・サティ・ピアノ曲全集」と、史上初のデジタル録音による「エリック・サティ・ピアノ曲全集」を共にEMIからリリースしており、いずれも名盤の誉れ高い逸品である。サティ以外では、ドビュッシーのピアノ曲全集をリリースしている他、モーツァルトやベートーヴェンのピアノ・ソナタなどもレコーディングしており、レパートリーは広い。
ステージに現れたチッコリーニは、左手を指揮者である下野に引かれ、右手では杖を突くという弱々しい姿で登場。加齢による衰えは顕著であるが、いざ鍵盤に向かうと、それまでの姿が嘘だったかのような生き生きとしたピアノを弾く。
生み出す音は若々しく、左手のリズム感が抜群であり、ちょっとした表情付けがお洒落だ。単調に陥ることなく、曲想に沿って多彩な演奏を展開していく。
技術面に関すればチッコリーニより優れたピアニストは何人もいるだろうが、生み出す音楽の味わい深さに関しては、亀の甲より年の功ということで、チッコリーニの熟し切ったピアニズムに感心させられる。
下野指揮の大阪フィルもフランス音楽の真髄を究めた伴奏を聴かせる(ただやはり音は散り気味である)。
チッコリーニは、アンコールとして十八番であるドビュッシーの「前奏曲」より“ミンストレル”を演奏。粋なピアノであった。
後半、ブルックナーの序曲ト短調。
下野は、最初、ブルックナーの交響曲第3番の演奏を申し出たと言うが、先に7月のユベール・スダーン指揮の定期演奏会のメインがブルックナーの交響曲第4番「ロマンティック」に決まっていたため、ブルックナーの交響曲が続いたのではチクルスのようになってしまうということで、ブルックナーの序曲ト短調という、ほとんど演奏されない曲を選んだ。大阪フィルはおそらく日本で最もブルックナーを演奏しているオーケストラだと思われるが、その大フィルであっても、前回、ブルックナーの序曲ト短調が演奏されたのは、1989年だったというから、かなり久しぶりの演奏となる。1989年時の指揮者は当然ながら朝比奈隆。朝比奈時代の大フィルではブルックナーは神聖視されており、朝比奈存命中に朝比奈以外で大フィルの定期演奏会においてブルックナーの交響曲を指揮したことがあるのはパーヴォ・ヤルヴィ一人だけである。
初期の作品だけに、ブルックナーらしからぬ短めの旋律が頻出する場面もあるが、ゆったりした部分では、オーケストラがパイプオルガンのような響きを生むなど、名オルガニストであったブルックナーの意図に近いと思われる演奏が展開される。
この曲からは、編成が大きくなったためか、ホールの音に不満を感じなくなった。ちなみに残響はかなりあるのだが、直接音が物足りなかったのである。
ヒンデミットの交響曲「画家マティス」。画家マティスというのは、有名なアンリ・マティスではなく、ドイツの中世の画家マティアス・グリューネヴァルト(本名:マティス・ゴートハルト・ナイトハルト)のことである。アンリ・マティスだったとしたら「画家」という言葉を付ける必要はない、高倉健のことを「俳優高倉健」という必要がないように。
京都市交響楽団を指揮したときは余裕を持った指揮を見せた下野だが、今日は思い入れの強いヒンデミット作品ということもあってか、かなり熱い指揮をする。
大阪フィルは弦の光沢が素晴らしく、力強さも兼ね備えていて、弦楽器だけならすでにロイヤル・フィルやBBC交響楽団といったロンドン下位グループを上回る水準に達している。
木管の技術も高いが、金管、特にトロンボーンにはもっとまろやかな演奏が求められる。ザ・シンフォニーホールでなら出せたと思うが、フェスティバルホールなので、工夫を重ねないといけないのかも知れない。
2000年代までは、大阪フィルはホルンの演奏に問題があり、音外しは勿論、ユニゾンの場面で各々がバラバラの音を出すといった有様で、「いくらキークス(音外し)の代名詞的存在といっても酷すぎる」という演奏もあったりしたが、世代交代もあって急激なレベルアップを示し、今日の演奏会でも大活躍であった。蒲生絢子という奏者が入団してからすぐにホルンパートは成長を始めたため、彼女はおそらく相当の腕利き奏者なのだと思われる。
熱く、美しい演奏であり、演奏終了後に下野は聴衆からの喝采を浴びる。
ただ、ホールを出てしばらくすると、「画家マティス」の演奏の記憶が鮮明に思い出せなくなる。これはその演奏がある傾向を示していた時に、私の無意識が記憶に作用するもので、「スポーティーであった」と告げているのである。マリス・ヤンソンス指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団やクリスチャン・ヤルヴィ指揮ウィーン・トーンキュンストラー管弦楽団の演奏後も私は「スポーティー警告」を体験している。
| 固定リンク | 0
コメント