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2015年4月 4日 (土)

観劇感想精選(150) 三谷文楽「其礼成心中」

2014年8月7日 京都劇場にて観劇

午後3時30分から、京都劇場で、三谷文楽「其礼成心中」を観る。三谷幸喜が初めて挑んだ文楽(人形浄瑠璃)のための作品。一昨年に東京・渋谷のPARCO劇場で初演。昨年に再演され、今回が関西での初上演となる。私は初演時のチケットを手に入れていたのだが、病気が芳しくなくキャンセルしている。

文楽は大阪が本場であるが、橋下徹が、文楽の助成金を問題にし、「曽根崎心中」を観て、「面白くなかった」、「演出に工夫がなかった」などと批判している。橋下が、東京で「其礼成心中」という新作文楽が上演されていることを挙げて、「新しいものにチャレンジしないと」などとも言っていたが、ならば橋下は「其礼成心中」なら面白く観劇できるのか? 答えは間違いなく「NO」である。「其礼成心中」はそもそもが「曽根崎心中」という文楽作品を知っていることを前提に書かれており、更に近松の代表作の一つである「心中天網島」の“橋づくしの場”がそのままで上演されるシーンもある。「曽根崎心中」も理解出来ないようなお馬鹿さんが「其礼成心中」を楽しめるはずがないのだ。

まず三谷幸喜人形が登場し、「其礼成心中」の概要を述べて、「東京都民の80%は観たのではないでしょうか」と誇大宣伝を行う。「自信作であり、京都では大文字焼き(あー、「大文字焼き」って言っちゃったよ)と並ぶ夏の風物詩にしたい」と抱負も述べた。

「其礼成心中」の舞台は、元禄年間の大坂。元禄16年(1703)に大坂竹本座で初演された近松門左衛門の「曽根崎心中」が大当たりしたため、心中が社会現象となっていた(これは史実である)。今夜も、六郎とおせんという恋人が心中しようと、お初、徳兵衛が心中して果てた露天神の森にやって来る。そして、「曽根崎心中」の“此の世の名残、夜も名残”という有名な歌で心中しようとしたところに、天神の森で鶴屋という饅頭屋を営んでいる半兵衛に妨害される。天神の森で心中が流行っているため、饅頭屋にやって来る人が減って、迷惑しているので、半兵衛は夜な夜なパトロールしているという(英語はそのまま使われることが多い)。

半兵衛は、もうちょっと行けば淀川があると言って、二人を追い立てるが、二人はまだ森の中にいるうちに再び心中を図る。しかし、半兵衛がやって来て、またも心中を阻む。半兵衛は二人に「頭を冷やせ」と言い、そのまま鶴屋に呼ぶ。六助は油屋の手代であり、おせんは油屋の主人の娘ということで身分違いの恋であり、叶わぬ恋ならあの世で添い遂げようと心中することにしたのである。半兵衛は「そんなの、お初、徳兵衛に比べれば子供みたいな悩みだ」と一蹴する。半兵衛の妻・おかつは、二人にアドバイスする。納得して帰る六郎とおせん。その姿を見て、半兵衛は、おかつを「曽根崎の母」として、お悩み相談&饅頭売りのダブルビジネスモデルを考えつく。

半兵衛の読みは当たり、饅頭を曽根崎饅頭として売り出した鶴屋は大繁盛。しかし、それも長くは続かなかった。大坂竹本座で、近松門左衛門の「心中天網島」が上演される。半兵衛とおかつの夫婦も竹本座に「心中天網島」を観に出かける。“橋づくしの場”が実際に上演され、それを観た半兵衛夫妻は感銘を受けるのだが、二人の娘であるおふくが、網島で「かきあげ天網島」が売られており、大ヒットしていると告げる。心中の客は網島へと流れてしまい、鶴屋は思い切り傾く。「これも全て近松門左衛門のせいや」と考えた半兵衛は近松に直談判に行く。しかし、近松は「何を書こうがわしの勝手」と言い、半兵衛の「『曽根崎心中』の続編を書いて欲しい」という願いも当然ながら断る。
そして、「どうしても書いて欲しければ、わしが書きたいと思うような、心中を起こすんやな。それなりおもしろかったら」芝居を書いても良いと半兵衛を退ける。

「それなりに面白い」と言われても、戯作者ではない半兵衛には「それなりに面白い心中」など思いつかない。だが、その直後に娘のおふくが、「かきあげ天網島」のうどん屋の若旦那・政吉と恋に落ちていることが判明して……

文楽の台本というと、情緒的というか内省的というか、日本人的な細やかさが出て、内へ内へと向かい、時に情に流れる傾向があるのだが、アメリカの映画やテレビドラマを好む三谷の書く台本は逆に開放的であり、登場人物と一体化するのではなく、俯瞰的な角度から人間を描いているようなところがある。これまで書いた台本は全て当て書きという三谷であるが、今回は当て書きする俳優がおらず人形のみだったため、三谷の構築力が前面に出ているところがある。
人形の動きで笑いを取るのはやり過ぎだと思うが、伝統芸能の枠を拡げようという意図は明確に伝わって来た。
幕を使った、文楽でしかなし得ない大見得の場面もあり、良い意味で見事なShowになっていたと思う。

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