観劇感想精選(151) 蜷川幸雄演出 藤原竜也主演「ハムレット」2015大阪
2015年2月27日 梅田芸術劇場シアター・ドラマシティにて観劇
午後1時から、梅田芸術劇場シアター・ドラマシティで「ハムレット」を観る。蜷川幸雄演出。出演は、藤原竜也、満島ひかり、満島真之介、横田栄司、内田健司、たかお鷹、鳳蘭、平幹二朗ほか。
蜷川幸雄演出の「ハムレット」というと、今から20年前の1995年に上演された真田広之のハムレット、松たか子のオフィーリアによるものがBSで放送され、私はそれを録画して何度も観ている(真田と松のコンビによる蜷川演出の「ハムレット」は1998年に再演された)。その時には蜷川は「ハムレットは世界史上最高の人格者」という解釈を行い、真田広之もそれに相応しい毅然としたハムレットを演じていた。松たか子は「ハムレット」上演時には無名であり、私も映像を観ていて「22、3歳ぐらいの女優さんかな? 上手いな」と思ったものだが、実はこの時、松たか子はまだ18歳であった。松たか子がブレークするのは翌1996年の連続ドラマ「ロングバケーション」や大河ドラマ「秀吉」への出演、紅白歌合戦の史上最年少司会者を務めてからである。
その後も、蜷川は、後に夫婦となる市村正親と篠原涼子のコンビでハムレットを上演、そして、藤原竜也のハムレットによる上演が2003年に行われている。藤原竜也主演の「ハムレット」上演は12年ぶりとなる。2003年の上演時にオフィーリアを務めたのは鈴木杏であったが、今回はなんとオフィーリアに満島ひかりを抜擢するという荒技である。オフィーリアは14歳という設定なので、二十歳前後の女優が演じることが多いのだが、満島ひかりは今年で30歳。しかも既婚者というおよそオフィーリアらしからぬ女優を選んだことになる。また満島ひかりの弟である満島真之介も出演するが、役柄上では満島真之介がレアティーズで兄、満島ひかりがオフィーリアで妹と、実生活とは逆になっている。ややこしい。
藤原竜也は多彩な演技が可能な俳優であるが、流石に「世界史上最高の人格者」は無理であるため(真田広之は品があるため可能だったのだが)、人間の汚らしさを呪うという、オーソドックスなハムレット像に近いものになっている。
「ハムレット」に関する論文は、世界文学史上でも一、二を争うほど多いと言われ、「ハムレット研究者はハムレットに関する論文を読むのに忙しくて、『ハムレット』を読む時間がない」と皮肉られていたりする。
「ハムレット型性格」という言葉があり、理論でがんじがらめになって行動できないような人物を指すのだが、他の人物がハムレットを評したセリフを読んだり聞いたりすると、ハムレットが優柔不断な人物であるとはどうしても取れない。オフィーリアのハムレット評のセリフは多少贔屓目ではあるだろうが手放しの絶賛である。その人格は味方であるホレイシオのみならず、敵であるはずのクローディアスまで讃えるほど優れたものであるようだ。なら、なぜハムレットはすぐに復讐を成し遂げることが出来ないのか。「すぐ復讐してしまったら劇が成り立たない」という野暮は置くとして、この謎こそがハムレットという劇と人物の不可解さを招き、多くの演劇学者、文学者が謎解きに挑み続けてきたのである。実際、ハムレットはポローニアスは何のためらいもなく刺し殺しており、迷って行動できない臆病者でもないのだ。
ただ、ラストでわかるのは、「人間とはどうしようもないほど愚かな生き物だ」ということであり、それがわかっていながら人間であるが故に我々も同じ轍を踏むことを避けられないという劇と現実との二重の意味において悲劇として胸に迫るのである。
今回の「ハムレット」のセットは、「ハムレット」が日本で初めて上演された19世紀末の日本の貧民街をモチーフに建てられたものである(スクリーンが降りており、日本語と英語で説明されている)。壁はぼろぼろ、破れガラスに崩れそうな屋根瓦。二階部分に幅の狭いベランダがある。上演は本番ではなく、最後のリハーサル(ゲネラル・プローベ)という設定である。河合祥一郎の日本語訳テキストを使っているが、実は河合訳の「ハムレット」は最新の翻訳だが、“To be or not to be, That's the question.”を「生か死かそれが問題だ」と最もよく知られた訳でそのまま訳した初の「ハムレット」なのである。当該するセリフを「生か死かそれが問題だ」と訳したものは普及しているが、「ハムレット」全編を訳した戯曲や台本の中では、一番有名な訳は避けられてきており、そのまま取り入れたのは河合が初めてなのだ。
先王ハムレットの亡霊はクローディアスを演じる平幹二朗が二役で行うが、他にも亡霊役の俳優が何人かおり、亡霊が一瞬で移動したかのように見えるような工夫がなされている。
ハムレット役のセリフ量は演劇史上1位と言われており、覚えるのも大変だが、早口で言わないと上演時間が4時間以上掛かってしまうため矢継ぎ早にセリフを発さないといけない。藤原竜也もかなりの早口でセリフを奏でる。
満島ひかりのオフィーリアであるが、普通のオフィーリアを演じている時の満島ひかりの演技は思ったよりも平凡である。狂気の場面の演技は流石であったが、彼女ならもっと出来そうだとも感じた。
目新しいのはフォーティンブラスに、さいたまネクスト・シアターの内田健司を当て、神職のような衣装を纏わせて聞き取れないほど小さな声で演じさせたことである。こうすることで、フォーティンブラスがノルウェーの勇者ではなく、「愚かな人間に引導を渡しに来た天からの使い」のように見える。別の言い方をするなら「機械仕掛けの死神」だ。シェイクスピア上演としては異端であろうが、「ハムレット」で描かれる、「獣よりも愚かな人間という存在」を浮かび上がらせるには効果的な演出であった。
全体的に和のテイストを取り入れており、真田ハムレット版同様、雛飾りが劇中劇の場面で用いられる他、歌舞伎のツケが響き、読経や声明などが流れる。一方でグレゴリオ聖歌も流れるなど、単に日本的要素で固めただけではない。
今回のハムレットは、さいたま公演、今回の大阪公演を経て、台湾、そしてシェイクスピアの本場・イギリスでも上演が行われるという。俳優の演技や和の要素よりも、フォーティンブラスの新解釈がどう捉えられるのか興味がある。
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コメント
真田版ハムレットの映像はもう手元にないのです。私の頭の中には入っているのですが、当然ながら他人に見せる手段というものはありません。他を当たってくださいとしか書けません。ただ、昨年、かつてBSで放送された三谷幸喜の演劇作品がDVD化されましたので、真田版ハムレットのDVD化の可能性もゼロではないと思われます。
投稿: 本保弘人 | 2017年1月16日 (月) 13時53分