コンサートの記(188) オッコ・カム指揮 京都市交響楽団第587回定期演奏会
2015年2月22日 京都コンサートホールにて
午後2時30分から京都コンサートホールで京都市交響楽団の第587回定期演奏会を聴く。
今日の指揮者はフィンランドの名匠、オッコ・カム。京都市交響楽団の指揮台へは2004年の定期演奏会(メインはシベリウスの交響曲第2番だった)以来、11年ぶりの登場である。その11年の間に京響は急成長を遂げた。特に広上治政下での躍進には著しいものがある。
今日のコンサートマスターは泉原隆志、フォアシュピーラーに渡邊穣。フルート首席奏者の清水信貴、オーボエ首席の高山郁子、クラリネット首席の小谷口直子はニールセンのみの演奏である。
曲目は、シベリウスの交響幻想曲「ポヒョラの娘」、グリーグのピアノ協奏曲(ピアノ独奏:ナレ・アルガマニヤン)、ニールセンの交響曲第4番「不滅」。オール北欧音楽プログラムである。
シベリウスとニールセンは今年が生誕150年に当たり、北欧を代表するシンフォニスト二人が同い年というのは偶然ではあるが面白い。北欧を代表する作曲家というと、やはりグリーグの名前も挙がるが、グリーグは小品の作曲を得意としており、大作として完成させたのは今日演奏されるピアノ協奏曲イ短調のみである。実はグリーグも交響曲を書いたのであるが、同世代の同郷作曲家であるスヴェンセンの交響曲を聴いて自分は交響曲を書くのに向いていないと悟り、完成した交響曲も習作扱いとして封印。生前に出版されることはなかった。グリーグの交響曲は今日の指揮者であるオッコ・カム指揮のレコーディングがあるが、作品としての締まりやまとまりがなく、聴いて「名曲だ」と思う人はいないと思われる。
オッコ・カムは、第1回カラヤン国際指揮者コンクールの覇者として注目を浴びた指揮者であるが、もともとはヴァイオリン奏者であり、指揮は独学であった。カムがカラヤン国際指揮者コンクールで指揮したベートーヴェンの交響曲第4番は「マエストロ・カラヤンその人が演奏したかのよう」と激賞されるが、実はカムの余りの棒の拙さに呆れたベルリン・フィルのメンバーが弾き慣れたカラヤン指揮の際の流儀で自主的に演奏した結果であり、コンクールの結果に関してベルリン・フィルのメンバーは冷淡だったという。コンクールの優勝者にはベルリン・フィルハーモニー管弦楽団定期演奏会へのデビューとレコーディングが特典として与えられたが、定期演奏会は失敗に終わり、シベリウスの交響曲第2番のレコーディングは行われたが、シベリウスの交響曲第1番と第3番の録音はベルリン・フィルから拒否されている(ヘルシンキ放送交響楽団、現在のフィンランド放送交響楽団が代役となり、レコーディングされた)。
カムは「コンクールでの成功が逆にその後の音楽キャリア形成の邪魔になる場合もある」とも語っている。ヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督、フィンランド国立歌劇場の音楽総監督という、フィンランド国内での要職にはついているものの、今一つパッとしなかったカムであるが、2011年からフィンランドのオーケストラではあるが世界的な名声を誇るラハティ交響楽団の音楽監督に就任。巻き返しの絶好のチャンスが訪れている。ラハティ交響楽団とカムは、今秋、東京でシベリウス交響曲サイクル(チクルス)を行う予定である。
シベリウスの交響幻想曲「ポヒョラの娘」。フィンランドの民俗叙事詩「カレワラ」から題材を採った交響詩的作品である。京響の弦の透明感が生きており、関西随一と思われるブラスの屈強さもプラスに作用。霊感溢れる演奏となった。シベリウスの作品はオーケストラが優れていれば優れているほど良いという類のものではないが、関西フィルや札幌交響楽団のようにどちらかというと非力なオーケストラよりは、根源的なパワーを持ち合わせている京響や大フィルが有利なのは間違いない。
グリーグのピアノ協奏曲。ソリストのナレ・アルガマニヤンは25歳の若い女性ピアニスト。ファミリーネームからわかる通りアルメニア出身である。5歳からピアノを始め、アルメニアの首都エレバンにあるチャイコフスキー音楽学校を経て、ウィーン国立音楽大学に入学。史上最年少での入学だったという。2008年にモントリオール国際コンクール・ピアノ部門で優勝。2011年にペンタートン・レーベルと専属契約を結びCD3点をリリースしている。内田光子が絶賛するピアニストだそうだ。
そのアルガマニヤンのピアノは硬質で実に輝かしい。ダイヤモンド系の輝きである。叙情味も十分であるが、速いパッセージになると必要以上にバリバリと弾いて音楽よりも技術を感じさせてしまう。HJリムも同じようなピアノを弾くが、こうしたスタイルが流行りなのだろうか?
カム指揮の京響も充実した伴奏を聴かせる。一ヶ所、急に速くなったところがあったが、ソリストに合わせたのかと思いきやそうではないようでカム独自の解釈なのであろう。
アンコールとしてアルガマニヤンはグルック作曲、ズガンバーティ編曲の「精霊の踊り」を演奏。煌びやかな音色の中に憂いの宿る高雅にして感傷的な、ラヴェルではないが、演奏である。
アルガマニヤンはアンコールをもう1曲。グリュンフェルトの演奏会用パラフレーズ「こうもり」。ヨハン・シュトラウスⅡ世の喜歌劇「こうもり」より、聴き所をピアノ編曲したもの。超絶技巧満載の曲であり、アルガマニヤンは華麗な演奏を展開した。
メインであるニールセンの交響曲第4番「不滅」。同い年のシベリウスは、日本国内でも把握しているだけで4回の交響曲チクルス(東京3回、広島1回)が行われ、生誕150年が盛大に祝われるが、ニールセンは交響曲第4番「不滅」が今日も含めて2回、交響曲第5番が同じく2回、交響曲第2番「4つの気質」、交響曲第3番「広がりの交響曲」が1回ずつで必ずしも多くはない。そもそもシベリウスがフィンランド本国やイギリスでは作曲者の生前から、アメリカでや日本でもシベリウス没後の1960年代には優れた作曲家として知られるようになったのに対して、ニールセンは1980年代前半にヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団が交響曲第4番「不滅」をリリースして話題になり、1980年代後半にヘルベルト・ブロムシュテット指揮サンフランシスコ交響楽団が現在でも決定盤といわれる「ニールセン交響曲全集」をリリースして世界的な好評を得たという、比較的近年になって評価の高まった作曲家である。ヘルベルト・ブロムシュテット指揮サンフランシスコ交響楽団による「ニールセン交響曲全集」は曲の内容も勿論であるが、優秀録音とオーディオマニアが好みそうな大音響が売り物であった。CDの発売が行われていた頃、私は中学生であったが、「ブロムシュテットがニールセンという格好いい曲を書く人の音楽を録音しているそうだ」ということは何となく把握していた。実際に私がブロムシュテット指揮サンフランシスコ交響楽団のニールセンを耳にするのは大学生になってからであるが。
シベリウスの交響曲全集には、レナード・バーンスタイン、ヘルベルト・フォン・カラヤン(第3番のみお気に召さなかったようで取り上げず)、サー・サイモン・ラトル、サー・ジョン・バルビローリ、サー・コリン・デイヴィス(3度)、ロリン・マゼール(2度)、オスモ・ヴァンスカ(2度)、渡邉暁雄(2度)、ネーメ・ヤルヴィ(2度)、ヘルベルト・ブロムシュテット、スペシャリストであるパーヴォ・ベルグルンドの3度に渡るリリースなどがあるが、ニールセンの交響曲全集はブロムシュテットが2度(最初の全集は日本では近年までリリースされず)録音しているのが目立つ程度で、他にはオスモ・ヴァンスカ盤くらいしかない。
ニールセンの交響曲第4番「不滅」は4つの楽章が切れ目なく演奏されるが、第4楽章で二人のティンパニ奏者による激しい打ち合いがあり、オーディオマニアを狂喜させる曲である。
京都市交響楽団は弦、管ともに力があり、フォルテからピアノまで自在に音を変化させる。弦は分厚く、木管は爽やかで金管は輝かしい。
カムの指揮は要所要所で指揮棒の先で音型を示すもので、派手ではないもののやりたいことはよくわかる。各楽章のフォルムも万全である。
第4楽章では、舞台奥中央に陣取った京響首席打楽器奏者の中山航介と、舞台上手に座る京響副首席打楽器奏者の宅間斉が豪快なティンパニで迫力を出す。
日本のオーケストラによるものとしては第一級と言って間違いないニールセン演奏であった。演奏終了後、カムはティンパニを叩いた中山航平と宅間斉を指揮台まで招いて握手を交わし、共に客席からの喝采を浴びた。
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