コンサートの記(194) ロベルト・トレヴィーノ指揮 京都市交響楽団第589回定期演奏会
2015年4月17日 京都コンサートホールにて
午後7時から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団の第589回定期演奏会を聴く。今日の指揮者は、アメリカ出身の若手、ロベルト・トレヴィーノ。
現在31歳と、指揮者としては大変若いロベルト・トレヴィーノ。頭に「東レの」と付けたくなる愉快な苗字を持つ(?)指揮者である。名前からイタリア系だと思われるのだが(ファーストネームも「ロバート」ではなく「ロベルト」である)プロフィール情報には書かれていない。1983年、テキサス州フォートワースの生まれ。2009年から2011年にかけてニューヨーク・シティ・オペラでアソシエート・コンダクター兼客演指揮者を務め、古典から現代、世界初演まで数多くのオペラを手掛ける。2010年にエフゲニー・スヴェトラーノフ国際指揮者コンクールのファイナリストとなり、2011年夏にはジェームズ・レヴァインからタングルウッド音楽祭の小澤征爾フェロー賞に選出されている。その後、シンシナティ交響楽団のアソシエート・コンダクターに就任。2014年からはシッペンスバーグ音楽祭の首席指揮者も務めている。
出身校などは記載されていないが、あるいは音楽大学出身ではないのかも知れない。指揮は、レイフ・セーゲルスタム、マイケル・ティルソン・トーマス、デイヴィット・ジンマンらに師事している。ジンマンが音楽監督を務めるアスペン音楽祭で、2009年にジェイムズ・コンロン記念・優秀指揮者賞受賞。2012年には、サー・ゲオルグ・ショルティ財団よりキャリア支援賞も受けている。
曲目は、ヴェルディの歌劇「運命の力」序曲、ハチャトゥリアンのヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリン独奏:成田達輝)、ショスタコーヴィチの交響曲第5番。京響は先月もショスタコーヴィチの交響曲第8番を演奏しており、2ヶ月連続でメインがショスタコーヴィチの交響曲となった。
トレヴィーノのプレトーク(英語通訳:禹貴美子)は、ショスタコーヴィチの交響曲第5番に関するもので、ショスタコーヴィチが交響曲第5番を書く前、発表した歌劇「ムツェンスク郡のマクベス夫人」を観に来たスターリンが中座し、その後、ソヴィエト共産党の機関紙「プラウダ」でショスタコーヴィチは「音楽の代わりに荒唐無稽」などと激しく批判されることになる。そのため、ショスタコーヴィチは力作ではあったが分かり易いとはいえない交響曲第4番を封印(ソヴィエト共産党は「音楽は鼻歌で歌えるものでなければならない」という、今なら頭の弱い人しかしないような発想を持っていた)、名誉回復のための交響曲第5番を書いた。当時、ソヴィエトでは西側の音楽家としてはベートーヴェンのみが支持されていた。理由は「ベートーヴェンは民衆のための音楽を書いたから」である。ベートーヴェンは貴族を嫌い、第九などでは史上初のポピュラー音楽ともいえる「歓喜の歌」を作曲しているため、これは当たってはいる(モーツァルトなどは生活のために、基本的に貴族向けの音楽を書いた。初めてモーツァルトの音楽を聴いたソヴィエトの音楽評論家は「なんだ? この子どもの音楽は?」と記している)。トレヴィーノはベートーヴェンの交響曲第5番冒頭の「パパパパーン」と、ショスタコーヴィチの交響曲第5番冒頭の「パパー」というメロディーを歌い、共に明快な出だしであると語る。ショスタコーヴィチの交響曲第5番第2楽章は「サーカスのようだ」とも語るが、ショスタコーヴィチは自身が流刑になり、その地で生涯を終えるかも知れないという不安があり(当時のソヴィエトではそうしたことは日常茶飯事であった)、それが曲調に現れているとも語る。第3楽章の人民のためのレクイエム、第4楽章の凱歌も、様々な解釈があるかも知れないがまず音楽を聴いて欲しいとも語った。
今日の京都市交響楽団のコンサートマスターは渡邊穣。フォアシュピーラーに泉原隆志。フルート首席奏者の清水信貴、オーボエ首席の高山郁子、クラリネット首席の小谷口直子は今日も後半のみの出演。これまで木管首席ばかり書いてきたが、金管も前半後半で入れ替わりがあり、トランペット首席のハラルド・ナエスは後半のみの出演である。
ヴェルディの歌劇「運命の力」序曲。この曲は、サー・アントニオ・パッパーノ指揮ローマ・サンタ・チェチーリア国立管弦楽団による本場の演奏を生で聴いたことがあるが、京響にはローマ・サンタ・チェチーリア国立管のような金管の浮遊感、音の明るさなどはなく、渋めの演奏である。ただ、悪くはない。むしろ好演である。
トレヴィーノの指揮であるが、とても明快。拍を刻んだり1拍目だけを示したり、音型を描いたりするが、見ていてどのような音楽がやりたいのか手に取るようにわかる。
なお、今日は季節のためか、京都コンサートホールの音響が普段とは異なり、残響が少し長めである。通常は満席時で2秒ほどであるが、今日もほぼ満席なのに2・5秒ほどの残響があった。
ハチャトゥリアンのヴァイオリン協奏曲。以前は、滅多に演奏されない曲であったが、このところ実演に接する機会が増えている。人気上昇中なのであろうか。ただレコーディングは増えていないようである。
ヴァイオリンソロの成田達輝(なりた・たつき)は札幌出身。パリ国立高等音楽院を修了しており、現在もパリ在住である。2010年にロン=ティボー国際コンクール・ヴァイオリン部門で第2位、2012年のエリザベート国際コンクール・ヴァイオリン部門でも第2位となり、合わせてイザイ賞も受賞している。技巧派のヴァイオリニストであり、フランスの新聞紙で「偉大な名手パガニーニのライバル成田達輝」と賞賛されてる。
成田のヴァイオリンであるが、出だしは少しハスキーな音を奏でる。ただ、これは今日の京都コンサートホールの音響によるところが大きいようで、ショスタコーヴィチの交響曲第5番でのコントラバスのピッチカートや渡邊穣のヴァイオリンソロもいつもより渇いた音を出していた。
ハチャトゥリアンのヴァイオリン協奏曲は何よりも技巧勝負のところがあり、ヴィルトゥオーゾタイプのヴァイオリニストでないと太刀打ち出来ないが、成田はメカニックにおいて抜群の切れ味を見せる。曲調の描き分けや強弱の付け方も上手いが、いざという時の音楽の深さになるとトレヴィーノ指揮の京響に力負け。ただ、まだ若いヴァイオリニストなのでこれだけ弾ければ十分とも思える。
後半、ショスタコーヴィチの交響曲第5番。トレヴィーノは少し速めのテンポで颯爽とスタート。個性的な音楽作りも行っており、第1楽章ではフルートソロ、第2楽章ではオーボエソロにナチュラルに吹かせず、敢えて間を作って奏でさせたりした。
京響はパワフルであり、ショスタコーヴィチを演奏するのに十分な力を持っている。
第4楽章は、ショスタコーヴィチの指示の倍速でスタート。レナード・バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィルハーモニックが作曲者の御前演奏で行った解釈であり、ショスタコーヴィチのお墨付きでもある。この楽章ではトレヴィーノは一部を除きかなり速めの演奏を展開。それほど皮相にはしなかったが、凱歌とも聞こえない解釈である。
個性的だったのはラストで、トレヴィーノはコーダでも減速を行わずに終了。そのため、途中でブツ切りにされたように聞こえる。こうした解釈もありなのだろう。
演奏終了後、客席は大いに沸き(早めに帰ってしまったお客さんも多かったが)、トレヴィーノはオーケストラのメンバーを立たせようとするが、京響はトレヴィーノの敬意を表して立ち上がらず、トレヴィーノが一人で指揮台に上がった喝采を浴びた。その後もトレヴィーノは楽団員を立ち上がらせようとするが、京響の団員がそれに応じないので、トレヴィーノは渡邊穣の手を取って立たせ、オーケストラメンバーも立ち上がって、拍手を受けた。
指揮者界には「40、50は洟垂れ小僧」という言葉があり、31歳では指揮者として赤ん坊並みと見做されることが多いのだが、その若さで確かな構築力を持つ熱狂的な音楽を作ったトレヴィーノ。なかなかの指揮者である。
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