観劇感想精選(155) ジョン・ケアード演出「十二夜」
2015年4月10日 梅田芸術劇場メインホールにて観劇
午後6時から梅田芸術劇場メインホールで、「十二夜」を観る。作:ウィリアム・シェイクスピア、日本語テキスト訳:松岡和子、演出:ジョン・ケアード。出演:音月桂(おとづき・けい)、橋本さとし、中嶋朋子、小西遼生(こにし・りゅうせい)、石川禅(いしかわ・ぜん)、青山達三、壌晴彦、西牟田恵、山口馬木也(やまぐち・まきや)、宮川浩、成河(ソン・ハ)ほか。
シェイクスピアの喜劇の中でも比較的知名度は高い方に入る「十二夜」。シャーロック・ホームズファンを指すシャーロキアンの間では、シャーロック・ホームズが「十二夜」の道化・フェステの歌う「旅の終わりは恋する者のめぐり逢い」という言葉をシリーズの中で2回使っていることでも有名な作品である。「十二夜」というのはクリスマスから12日目の夜のことで、中世の英国では一年の中で唯一乱痴気騒ぎ、時代によっては乱交も許されていたという、とにかく馬鹿騒ぎの日である。シェイクスピアの「十二夜」では舞台は実は十二夜ではないのだが(初演が十二夜である1月6日に行われたという説がある)、恋愛が軸であり、スラプスティックな要素や卑猥なセリフなども多い。
恋愛の劇なのであるが、設定がややこしい。舞台は古代ギリシャのイリリア。オーシーノ侯爵(小西遼生)は、オリヴィア(中嶋朋子)に恋をしているのだが、オリヴィアは「兄の喪中」だということで、オーシーノに会うことを拒否している。その前段階として、双子の兄妹であるセバスチャンとヴァイオラ(音月桂の二役)が嵐に遭って遭難。ヴァイオラはイリリアの海岸に流れ着くが、兄のセバスチャンは自身とはぐれ、死んだのだと確信。自らの身を守るためにヴァイオラは男装し、シザーリオと名乗る。そしてオーシーノ侯爵に小姓として仕えることになる。しかし、オーシーノの命令でオリヴィアに言伝に行ったシザーリオは機知に富んだ詩的な言葉を発し、それが元でシザーリオが男だと思い込んでいるオリヴィアに好かれてしまう。ところがそのシザーリオはといえば、主であるオーシーノに恋い焦がれているのである。
オリヴィアに恋心を抱いているのはオーシーノだけではない。サー・アンドルー(石川禅)、またオリヴィアの執事であるマルヴォーリオ(橋本さとし)もオリヴィアに思いを寄せている。だが、オリヴィアが恋しているのは正体は女であるシザーリオというわけでぐちゃぐちゃである。「思う人には思われず、思わぬ人から思われて」の連鎖だ。
また、ヴァイオラの兄・セバスチャンは実は生きており、彼もまたイリリアにやって来るので余計にややこしいことになる。
舞台セットは上から見ると馬蹄形の生け垣。生け垣が動くことで、奥行きが出たり、緑の壁が出来たりする。中央は八百屋になった円形舞台。八百屋舞台自体は動くことはない。
舞台前方の中央部分が少しせり出している。
元宝塚歌劇団男役の音月桂の卒業後初の大阪登場ということで、客層は圧倒的に女性が多い。
音月桂は元男役なので、男であるセバスチャンや、女が男に化けたシザーリオを演じるのはお手のものだと思っていたが、実際は、宝塚の男役をやる時とは違った難しさがあったそうだ。ちなみに服装はセバスチャンでもシザーリオでも基本は同じだが、シザーリオの時は黒いたすき、セバスチャンの時は赤いたすきをして見分けられるようになっている。入れ替わりのあるラストではたすきはしていない。
まず舞台奥にオーシーノが登場、客席に背を向けている。その手前、オーシーノの居間という設定になっている場所に音楽家達が入ってきて、ヴァイオリン2人とチェロ1人による生演奏があり、それにギターの音が重なる(ギターは劇中で道化・フェステ役の成河が弾き語りを行っていたので、ここでも成河がギターを弾いていたのかも知れない)。やがてオーシーノは振り向き、中央のソファーに腰掛けて音楽を聴いた後で音楽論や恋愛論を説き、オリヴィアが自分に靡かないのを嘆く。
舞台は変わってイリリアの海岸。嵐に遭って流れ着いたヴァイオラが兄・セバスチャンが亡くなったと思い込み悲しみに沈んでいる。ヴァイオラは船長(宮川浩)に、自分が兄が残した衣装を着て男として生きていくことを告げる。
その後はイリリアのオーシーノ侯爵邸やオリヴィア邸が舞台となる。
シェイクスピアでは道化がコミックリリーフとなる場合が多いのだが、「十二夜」ではオリヴィアの執事であるマルヴォーリオが道化以上に道化的であり、頓珍漢ぶりが笑いを誘う。マルヴォーリオ役の橋本さとしは、演出のジョン・ケアードから「日本に良い役者がいる。橋本さとしという役者だ。何が良いかというと鼻の形が良い」と不思議な褒め方をされたそうだが、笑い担当として常識的に考えるとあり得ないようなコミカルな動きをする。
喜劇とはいえ、400年以上も前の戯曲であり(初演は1600年前後とされる)、アメリカの現代喜劇のようにドカドカと笑いが取れるような芝居ではない。橋本さとしは動きで、音月桂は、セバスチャンとシザーリオの早替えと入れ替わりの場面(その場だけ登場する女優がおり、音月と抱き合う度に役が入れ替わる。毎回、セリフを喋るのは音月桂なのだが、話している人物が違うというパターンである)などで笑いを取っていた。
実は私が生まれて初めて読んだ戯曲が「十二夜」なのである。中学校1年生の時にシャーロック・ホームズ・シリーズを読んでいて、ホームズがシェイクスピアの「十二夜」の同じセリフを二度引用しているというので、「十二夜」に興味を持って読んでみたのだ。中1の、それも春だったはずなので、戯曲というものをどう読むのかさえわからなかったという記憶がある。面白いのかどうかさえ分からなかった。
シェイクスピア劇の上演というのは、日本の歌舞伎鑑賞に近いものがあり(書かれた時期でいうとシェイクスピアの戯曲の方が歌舞伎の台本より古い)、読んだり観たりして即時に面白さがわかるものではないのだが、今回の「十二夜」は上演として一定のレベルに達していたように思う。西牟田恵の演技を久しぶりに見ることが出来たのも嬉しい。
ラストは「旅の終わりは恋人達のめぐり逢い」の通りであるが、目出度し目出度しという感じは余りしない。愚かさもまた愛おしいという意味での人間讃歌にはなっているのだが。
終演後、「ピーコ&兵動のピーチケパーチケ」という関西ローカル番組で「十二夜」の紹介を行っていた、関西テレビの川島荘雄(かわしま・もりお)アナウンサーの司会によるアフタートークがある。出演は、音月桂、橋本さとし、小西遼生、石川禅、成河。
音月桂は宝塚男役出身であるが、「でも実際の男性と交わるのは」と発言して(「実際の男性に交じって芝居をするのは」を言い間違えたらしい)、橋本さとしらから「実際の男性と交わる?」と突っ込まれる。音月桂は、「今のはカットして下さい」というが映像ではないのでカットは勿論出来ない。宝塚の男役と、男優の方が多い舞台で男役をやるのとは違うとここで発言していた。
他の出演者は、「大阪のお客さんはノリが良い」というようなことを語る。「お笑いに厳しいかな、と思ったが客席が温かかった」とも述べていた。
石川禅演じるサー・アンドルーは、シザーリオに決闘を申し込み、実際に二人は戦うのだが、サー・アンドルーは腕の方がさっぱり、シザーリオは正体は女性なので剣を振るったことがない。ということで、下手同士の決闘になるのだが、石川禅によると、この下手同士の決闘のシーンはカットされてしまうことが多いという。今回の舞台はカットせずに演じるのだが、剣が下手という設定同士による殺陣というのは普通の殺陣よりも疲れると石川禅は語る。確かに良い殺陣というのは動きに無駄がないものだが、剣が下手という設定になると敢えて無駄を多くし、剣もブンブンと振り回し、へっぴり腰のまま舞台下手端から舞台上手端まで歩いていったりと、運動量は増えてしまう。それでも怪我があってはいけないということで高名な殺陣師に殺陣を付けて貰ったそうだ。
橋本さとしは大阪府出身、大学も大阪芸術大学の舞台芸術学部出身ということで、大阪はホームであり、「これからどこかの花月に行きたい気分」と語る。ちなみに京橋花月は閉館になりましたので行かないで下さい。
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