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2015年8月27日 (木)

コンサートの記(203) 諏訪内晶子芸術監督 第3回音楽祭NIPPON名古屋公演 パーヴォ・ヤルヴィ指揮ドイツ・カンマーフィルハーモニー・ブレーメン演奏会

2014年12月8日 名古屋・栄の愛知県芸術劇場コンサートホールにて

名古屋へ。第3回国際音楽祭NIPPONの名古屋公演を聴くためである。

第3回国際音楽祭NIPPON名古屋公演は、午後18時開場の午後18時45分開演。名古屋は開場から開演まで45分間なのが普通であり、午後18時45分開演も普通の時間である。東京、大阪、京都では午後18時45分開演の公演は考えられないが。

国際音楽祭NIPPONは、ヴァイオリニストの諏訪内晶子を芸術監督に迎えて行われるようになった音楽祭である。今年は東日本大震災の被災地である福島県郡山市の郡山女子大学建学記念講堂大ホールでケント・ナガノ指揮モントリオール交響楽団によるチャリティコンサート(無料コンサート。諏訪内晶子は出演せず)や横浜みなとみらいホールで諏訪内晶子出演による室内楽が演奏されたりしている。12月の頭からは名古屋と横浜で諏訪内らによる公開マスタークラス(公開レッスン)も行われている。

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今日はパーヴォ・ヤルヴィとドイツ・カンマーフィルハーモニー・ブレーメンと諏訪内晶子の共演である。諏訪内はこの後も名古屋に残り、11日に室内楽のコンサートを行う。

開場1時間前に愛知芸術劇場コンサートホール(愛知芸術文化センター4階にある。)の入り口前に行くと、お爺さん二人が第3回国際音楽祭NIPPON名古屋公演の諏訪内晶子の写真入りポスターの前で立ち話をしていたのだが、いつしか私も会話に加わるという状況になっていた。二人は諏訪内晶子のCDは沢山持っているが実演は聴いたことがないという。私は私が思う日本人現役女性ヴァイオリニスト別格カルテット(凄い順に五嶋みどり(MIDORI)、諏訪内晶子、神尾真由子、川久保賜紀)を挙げたのだが、お爺さんの一人が「諏訪内さんはあれですね、美貌で得してますね」というので、私は「五嶋さんなんかはね、はっきり言いませんが、はい」と答えておいた。

パーヴォとドイツ・カンマーフィルハーモニー・ブレーメン(名古屋ではドイツ・カンマーフィルハーモニー管弦楽団と表記される)は、韓国のソウルでブラームスの交響曲チクルスを行った後で日本に乗り込み、昨日は横浜、今日は名古屋でコンサートを開き、明後日からは東京でもブラームス交響曲チクルスを行う。同コンビは今後、RCAレーベルにブラームス交響曲全集を録音する予定である。

曲目は、ブラームスの大学祝典序曲、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリン独奏:諏訪内晶子)、ブラームスの交響曲第1番。

実は、パーヴォ・ヤルヴィと諏訪内晶子の共演は、8年前にここ愛知県芸術劇場コンサートホールで果たされるはずだったのだが、諏訪内晶子が体調不良のためにキャンセル(のちにそれが妊娠によるものであることがわかるのだが、そこから諏訪内の泥沼劇が始まる)、代役として何故か諏訪内さんよりも才能のあるヒラリー・ハーンが抜擢されている。

ドイツ・カンマーフィルハーモニーのカンマーは、英語でいうチェンバーであるが、今日は第1ヴァイオリン10名、第2ヴァイオリン8名という、室内オーケストラよりは少しだけ大きめの編成である。古典配置による演奏。

ブラームスの大学祝典序曲。ベートーヴェンの時と違い、ホルンやトランペットはモダン楽器を用いているが、弦楽はピリオドによる演奏である。ビブラートは抑え、旋律を歌い終えると弓を弦からサッと離す。

ピリオド奏法が功を奏したようで、弦楽は力強く弾いても暑苦しい響きにはならず、典雅さが増す。管楽器の楽しげな歌わせ方も面白い。

パーヴォの指揮であるが、指揮棒を動かした通りの音をドイツ・カンマーフィルから弾き出す。まるで指揮棒の魔術師のようだ。現役指揮者の中では、映像でしか見たことがない人も含めて、バトンテクニックはパーヴォがナンバーワンだと思われる。

 

音楽祭NIPPON芸術監督・諏訪内晶子によるメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲。

紫のドレスで登場した諏訪内は磨き抜かれた高雅な音で、メンデルスゾーンの哀愁溢れる旋律を歌い上げる。テンポの揺るぎはないが強弱の幅は広く、本来は同じ強さで弾くはずのところをスッと引いて弱音を出す独特の表情付けは哀感を増すが、発想が日本人的であり、諏訪内が日本人ヴァイオリニストであることを再確認させられる。
諏訪内はパーヴォは勿論、ドイツ・カンマーフィルの楽団員ともアイコンタクトをかなり多く取りながらの演奏。協奏曲は皆で作り上げるものという意識があるのであろう。以前の諏訪内はそうではなかったので、やはり芸術監督という責任あるポジションを任されたことで考え方が変わったのかも知れない。

見事な演奏であった。

アンコールは、J・S・バッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第3番からラルゴ。調子の良いときの諏訪内が神がかり的な演奏をすることがあるのだが、今日聴いたバッハも天井から慈愛に満ちた音が降り注いでくるかのような崇高なる音楽を生み出していた。

ブラームスの交響曲第1番。パーヴォはこの曲は譜面台を置かず暗譜で指揮する。速めのテンポでスタート。往々にして情熱が暑苦しい域に達してしまうブラームスの交響曲第1番の演奏であるが、ピリオド・アプローチの効果で弦が涼しく聞こえるため、いくら情熱的になっても、決して暴れ馬のようにはならない。ただピリオドの場合、愛知県芸術劇場コンサートホールの音響によるものか、私の座った席(今日はP席で聴いている)の問題だったのか、あるいはピリオドだとそうなってしまうのか、正確にはわからないが、コントラバスの音の刻みがが「ギシ、ギシ」というビニールラップを破っているような音に聞こえるという難点がある。

パーヴォはこの曲ではテンポをかなり操作する。第1楽章では思い切った減速が効果的である。

ブラームスの交響曲第1番は「ベートーヴェンの交響曲第10番」とも呼ばれているのだが、それには第4楽章で「歓喜の歌」に似た旋律が歌われるのと同時に、第1楽章で多くの「運命主題」に似た「ジャジャジャジャン」という音型が用いられていることにも由来すると思われるのだが、パーヴォとドイツ・カンマーフィルは極めて見通しと良い演奏を行っており、他の演奏よりも多くの「運命主題に似た音型」を曲中に聴くことが出来た。

ドイツ・カンマーフィルのメカニックは極めて高く、第4楽章でトロンボーンの入りが揃わないというミスがあったがそれ以外は緻密なアンサンブルを展開した。

第4楽章の喜びのメロディーも速めのテンポではあったが、上っ面の喜びではなく、真の心の高揚が伝わる優れたものであった。

アンコールは2曲。

交響曲第1番演奏終了後に、パーヴォはドイツ・カンマーフィルの第2ヴァイオリンの後ろの方の奏者に、親指と人差し指、中指で「3」と示したので、ハンガリー舞曲第3番をやるということがわかる。指揮台に立ったパーヴォはやはり先程と同じように「3」とカンマーフィルのメンバーに示し、ハンガリー舞曲第3番を演奏する。ハンガリー舞曲の演奏の中でもノーブルな部類に入る演奏であった。

ラストは有名なハンガリー舞曲第1番。テンポを揺らして迫力のある演奏を生み出したパーヴォ。特にオーボエやフルートが最初に演奏を始める中間部では、第1拍目を引き延ばして木管の旋律をよりはっきり聞こえるようにするという工夫を行っていた。クラシックの音楽の場合は格調高いものが良いとされる場合も多いのだが、ハンガリー舞曲はジプシー(ロマ)の旋律であり、彼らは拍子にとらわれない演奏をしていたため、或いは今日のような第1拍のみ長くというようなこともしていたかも知れない

パーヴォは客席に向かって何度かバイバイをしながらステージを去り、ドイツ・カンマーフィルの楽団員は通常「客席側」と聞いて思いつく側とP席側の両方にお辞儀をしてステージを終えた。

愛知県芸術劇場から外に出ると、栄の街の夜景が夢のように美しい。

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