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2015年9月20日 (日)

コンサートの記(207) 「京都の秋音楽祭」開会記念コンサート 2015

2015年9月12日 京都コンサートホールにて

午後2時から、京都コンサートホールで、第19回京都の秋音楽祭 開会記念コンサートを聴く。指揮者は京都市交響楽団の首席常任客演指揮者の高関健(無料パンフレットに書かれている首席客演指揮者という肩書きは厳密にいうと誤り)。

例年だと、京響の常任指揮者である広上淳一が指揮する京都の秋音楽祭 開会記念コンサートであるが、今年は高関がタクトを執る。

曲目は、デュカスの舞踏詩「ラ・ペリ」よりファンファーレ、ショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲第1番(ヴァイオリン独奏:山根一仁)、ブラームスの交響曲第1番。

ブラームスの交響曲第1番は昨日も聴いたばかりで、二日続けて聴くには重い曲だが、「大阪クラシック」の方は正式な演目が決まる前にチケットを購入したため、こうした珍しいスケジュールになった。

ヴァイオリン両翼の古典配置による演奏。今日のコンサートマスターは渡邊穣。もう一人のコンサートマスターである泉原隆志とアシスタント・コンサートマスターである尾﨑平は共に降り番である。フルート首席奏者の清水信貴、クラリネット首席の小谷口直子は全編に出演。オーボエ首席の高山郁子はブラームスのみの出演である。

今日は前から4列目。京都コンサートホールは構造上、一階席の前の方は余り良い音がしないのであるが、今日はオーケストラは良い音で鳴った。

演奏に先立って、門川大作京都市長による開会の挨拶がある。門川市長は、京都市交響楽団が今年の6月にヨーロッパツアーを行った大好評を得たこと、また京都が文化・芸術都市を名乗っているため、文化庁の京都移転の話が進んでいることについても語った。

デュカスの舞踏詩「ラ・ペリ」よりファンファーレ。

交響詩「魔法使いの弟子」で知られるポール・デュカスであるが、寡作の作曲家である。とにかく自分に厳しい人で、作品が完成しても納得出来ないとすぐ反故にしてしまうという性格の人だった。「ラ・ペリ」もボツにしようと考えていたが、この曲のスコアを見た作曲家の友人(名前は伝わっていないようである)に、「こんな良い曲をボツにしてはいけない」と言われ、発表して好評を得ている。だからといって自分に厳しいという姿勢に変化があったわけではないようだが。

「ラ・ペリ」のファンファーレは、数あるファンファーレの中でも最も優れた作品の一つに数えられる逸品である。京響の金管群は力強く、輝かしい音色を奏でる。

ショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲第1番。ヴァイオリン独奏の山根一仁(やまね・かずひと)は、今年でやっと二十歳という若いヴァイオリニスト。桐朋学園大学ソリストディプロマコースに特待生として在学中である。中学校3年生の時に第79回日本音楽コンクール・ヴァイオリン部門第1位となり、同コンクールの様々な賞を受けたほか、全部門で最も印象的な演奏・作品に贈られる増沢賞も受賞している。ちなみに中学生が日本音楽コンクールで1位になるのは26年ぶりの快挙だという。

今日は前の方の席なの、山根が弾き始まる前の緊張感も直に伝わってくる。だが、弾き始めると美しい音色と抜群のメカニックを生かした快演が展開される。

ショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲第1番は全編を通して暗い曲調なのであるが、その由縁をも明らかにしていくような優れたヴァイオリンである。

高関は、第3楽章だけノンタクトで指揮。ソリストの山根との息もピッタリ合っている。京響も複雑なだまし絵のようなショスタコーヴィチの伴奏を丁寧且つ力強く演奏する。

山根は、アンコールとして、パガニーニの「24のカプリース」より第24番を弾く。ラフマニノフを始め、多くの後世の作曲家が自作に取り入れたメロディーである。鮮やかなポルタメントでまず聴かせる。様々な超絶技巧が盛り込まれた曲なのだが、山根はあたかの自分のために書かれた作品を弾いているかのように、嬉々として難局を乗り越えてしまう。

メインであるブラームスの交響曲第1番。この曲は、高関は全編ノンタクトで指揮した。

造形重視の演奏。第1楽章序奏も、フォルム優先の演奏であり、大植指揮の演奏で聴かれた哀感のようなものはほとんど感じられない。ただ、前半で徹底して端正な演奏を繰り広げたため、徐々にブラームスの感情が溢れ、狂気のようなものが割れ目から噴出するのが感じられる。高関の解釈も優れたものであると思う。

オーケストラとしての力であるが、現在では京都市交響楽団が大阪フィルハーモニー交響楽団より少し上にいるように思う。以前は逆であったが、広上の常任指揮者就任で京響が大きく力を伸ばした。大フィルも大植英次の下で急成長したが、オーケストラビルダーとしては先に頭角を現した広上の方が上であるように思う。

折り目正しい演奏であるため、個性に欠けている点は否めないが、立派な演奏であることには間違いない。

アンコールとして、高関と京響はブラームスの「ハンガリー舞曲」第1番を演奏。知的コントロールの行き届いた演奏であった。

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