コンサートの記(208) ジャン=クロード・カサドシュ指揮京都市交響楽団第594回定期演奏会
2015年9月6日 京都コンサートホールにて
午後2時30分から、京都市交響楽団第594回定期演奏会を聴く。今日の指揮者はフランスの名匠、ジャン=クロード・カサドシュ。ロベール・カサドシュの甥であり、日本での知名度はそれほど高くないかも知れないが、フランス音楽が好きな人には支持されている指揮者である。パリ国立音楽院を経て、ピエール・デルヴォーとピエール・ブーレーズという二人のピエールという名の指揮者に師事。現代音楽の作曲家兼指揮者であるピエール・ブーレーズは勿論だが、ピエール・デルヴォーも現代音楽を得意としていた。そうした二人の分析的な音楽傾向はジャン=クロード・カサドシュも明らかに継承している。当然ながら現代音楽の熱心な擁護者である。「誰それに師事」というプロフィールの文言を自慢だと勘違いしている人もいるようだが、そういうことではなく、どういう音楽的背景を持つ人物なのかを明らかにする意味で書かれているのが普通である。
パリ・オペラ座とオペラ・コミック座の常任指揮者を経た後で、フランス国立ペイ・ド・ラ・ロワール管弦楽団の立ち上げに関わり、同楽団の監督補佐を務めたこともある。1976年にフランス国立リール管弦楽団を設立。以降は同楽団の音楽監督として長年に渡り活躍。今に至っている。
プレトークに登場したカサドシュは、「みなさん、こんにちは」と日本語で言って、拍手を受ける。その他にも、「おはようございます」、「こんばんは」、「おやすみなさい」、「ありがとう」というのが知っている日本語だそうである。通訳の禹朋子は複数の外国語を操れる人だが、フランス語はドイツ語ほど得意ではないのか、あるいはカサドシュの父親が純粋なフランス人ではないため訛りがきついのか、カサドシュのフランス語の単語を上手く聞き取れないということがあった。私はフランス語は学んだことはないので、カサドシュの話すフランス語がどういう種類のものなのかは全くわからない。フランス語というのは面白い言語で、実は首都で人口も一番多いパリの言葉は標準語ではない。パリの人達が話すフランス語はパリ訛りといわれている。
京都市交響楽団の第594回定期演奏会は同一演目二回公演であり、今日は二日目。
カサドシュの父親は会計士であるが、ヴァイオリンを弾き、報酬はわずかだが出る小さなコンサートにも出演していたという。当然、音楽好きで、身内に高名な音楽家がいるということもあり、10人ほどの子だくさんだったそうだが、「全員を音楽家にしよう」と思い立ち、かなりのスパルタ教育を施したそうだ。ただ、そのおかげで全員が絶対音楽を持つことが出来、全員が音楽家になれたわけではないが、俳優など全て芸術関係の仕事に就くことが出来たという。カサドシュ自身の子供も俳優や女優であり、親族には画家もいるという芸術一族だそうだ。
時折、ポディウムの側を向いて語るなど、かなり気配りの出来る人物のように映る。カサドシュは最後は「ありとうございました」と日本語で言って拍手を受けた。
曲目は、ラヴェルの組曲「マ・メール・ロワ」、ラヴェルのピアノ協奏曲(ピアノ独奏:萩原麻未)、ドビュッシーの「牧神のための前奏曲」、ストラヴィンスキーのバレエ組曲「火の鳥」。
今日のコンサートマスターは泉原隆志、フォアシュピーラーに渡邊穣。フルート首席奏者の清水信貴、クラリネット首席の小谷口直子は後半からの出演。前半のオーボエ奏者は女性であることはわかるのだが、後ろの演奏者の楽譜の陰になったところにいるため、髪形などで誰か確認することは出来なかった。後半はオーボエ首席の高山郁子であることが確認出来たのだが、演奏前に高山はステージ上で小谷口と挨拶を交わしていた。前半は共に出ていなかったら楽屋で挨拶をしているはずであり、前半もオーボエは高山だった可能性は高いが。
カサドシュは指揮台に上がるときに、足で踏み鳴らして大きな音を出すが、意図は不明である。定期演奏が月一日しかなかったときは毎回満員が続いていたが、二回公演で満員になるほどには甘くない。東京、大阪、京都などではそのホールを本拠地としているオーケストラのメンバーが登場したときに拍手をする習慣はないが、今日は盛大な拍手。ご新規さんが多いことが一発でわかる。フランスものの繊細な音楽が続くので「大丈夫かな?」と思っていたが、口を抑えずに咳をする人がいたくらいで、それも小さめだったため支障はなし。
ちなみに、愛知芸術劇場コンサートホールで名古屋フィルハーモニーの定期演奏会を聴いたときと、石川県立音楽堂でオーケストラ・アンサンブル金沢の定期演奏会を聴いたときにはレジデント・オーケストラのメンバー登場なのに盛大な拍手が起こっていたため、名古屋や金沢では三都とは違う習慣があるのかも知れない。国毎に違いがあるのも知っている。レジデント・オーケストラのメンバーが登場したときに拍手をしないという習慣は、定期演奏会がテレビ放送されるNHK交響楽団の習慣から自然に起こったのかも知れない。
ラヴェルの組曲「マ・メール・ロワ」。極めて洗練された演奏である。日本では知名度こそ低いがジャン=クロード・カサドシュ級の指揮者が京都市交響楽団に客演してくれるということ自体がありがたいことで、こうした演奏が聴けるというのは幸せ以外の何物でもない。
指揮姿であるがバラエティに富んでいる。小さくビートを刻んでいたかと思うと、大きく手を回してオーケストラを煽り、曲によっては極めてアグレッシブに見える指揮スタイルも行う。
演奏終了後、カサドシュはメンバーを一人ずつ立たせて、全員で起立という合図をした後でヴィオラソロを担当した小峰航一を立たせていなかったことに気付き、慌てて小峰の手を取って立ち上がらせた。
ラヴェルのピアノ協奏曲。ピアノ独奏の萩原麻未は新進気鋭のピアニスト。広島県出身。広島音楽高等学校を卒業後、文化庁海外新進芸術家派遣員としてフランスに留学。パリ国立高等音楽院を卒業後、同音楽院修士課程を首席で卒業。その後、パリ地方音楽院室内学科でも学ぶ。
2010年11月に第65回ジュネーヴ国際コンクール・ピアノ部門で日本人として初めて優勝。優れたピアニストがいなければ優勝なしとする習慣がある同コンクールにおいて8年ぶりの優勝者という快挙であった。13歳前後にパロマドーロ国際コンクールにおいて史上最年少で1位に輝いた経験もあるという。
チャーミングな容姿の持ち主である萩原だが、それ以上に腰の低さが印象的。鮮やかなターコイズブルーのドレスで登場した萩原だが、腰が低すぎて見方によっては頼りなさそうな印象を受ける。勿論、私は以前に彼女の実演に2回接しており、バリバリ弾けるピアニストであることは知っているので、ギャップが凄い。演奏自体も勿論、優れているが、藤岡幸夫や飯森範親が彼女を絶賛するのは人柄も含めてなのかも知れない。実力第一の世界であるが、音楽家も人間であるため仕事を一緒にするなら性格の良い人とやった方が気分が良いはずである。
ちなみに彼女のプロフィールには共演したオーケストラが書かれているが、NHK響、東京響、新日本フィルなど、略称ではあるがどこのオーケストラのものなのか音楽に詳しい人でなくてもわかるように記されている(普通は、N響、東響、新日フィルと略される。N響をNHK響と略されると違和感を覚えるが他のオーケストラと差別しないためであろう)。萩原がどこまでプロフィール作成に関与しているのかわからないが、気配りのきちんと出来る女性である可能性は高い。ザ・シンフォニーホールで演奏を行った時には、地元の広島市安佐南区で土砂崩れの災害が起こった直後であるため、「私に出来ることがないかと思いまして、やはり募金が一番かということで、この後、ホワイエに立ちますので、小銭でよろしいので」と途中休憩と終演後に募金箱を持って立っていた。私も募金をしたのだが、生憎、募金すると京都に帰れないという金額しか持っていなかったので、「少ないんですけれど」と断りを入れた後で、「100と前田健太の18」とおどけるサービスをして118円を募金した。
抜群のリズム感と高度なテクニックで第1楽章を弾き始めた萩原。ラヴェルを弾くには音がウエットに過ぎるように聞こえるが、カサドシュ指揮の「マ・メール・ロワ」を聴いた後なので、耳が自然にフランス音楽対応になっており、ピアノも生粋のフランス人ピアニスト達の演奏と同じようなものを求めてしまうのかも知れない。
エスプリ・クルトワの塊のような第2楽章では、萩原は甘さと切なさの微妙なグラデーションを描き分ける。伊達にフランスで学んだだけではない。
第3楽章の、「ゴジラ」テーマのモチーフともいわれる旋律などは立体感のある音で奏でる。
カサドシュが指揮する京都市交響楽団は、「フランスのオーケストラ以上にフランス的」なオーケストラへと変身する(はい、そのまんまモントリオール交響楽団の売り文句を借用しました)。ちなみにカサドシュはこの曲でも冒頭で活躍するフルート奏者を立たせるのを忘れ、一人で喝采を受けて振り向き、フルート奏者と目が合って初めて立たせていないことに気づき、慌てて立ち上がらせて自らも拍手を送った。
萩原はアンコールとして、ドビュッシーのアラベスク第1番を演奏。この曲はラヴェル以上に萩原に合っているようで、涼やかな音色を生かした繊細にしてイメージ喚起力豊かな演奏が繰り広げられる。彼女にはショパンが一番合っていると思われるが(夜想曲第2番を演奏した時には、実際は8分の6拍子であるが分かりやすく3拍子風に書くと2拍目と3拍目をアルペジオで弾くという個性的なスタイルで聴かせた)フランス音楽もなかなかである。
ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」。繊細の極みのような丁寧な演奏である。これだけの演奏を生み出すことの出来る指揮者が日本で知名度が低いのは、録音点数の少なさもあるが、やはり名ピアニストであるロベール・カサドシュの親族であるため色眼鏡で見られているのかも知れない。
ストラヴィンスキーのバレエ組曲「火の鳥」(1919年版)。1911年版よりも編成を小さくした1919年版を用いているが、かなりの迫力である。日本でも「精神」を示す「エスプリ」という言葉は知られていると思うが、実はエスプリには二種類あり、優美で洗練された「エスプリ・クルトワ」と野卑で豪快な「エスプリ・ゴーロワ」である。ゴール人の精神という意味の「エスプリ・ゴーロワ」はクラシックにおいては金管楽器に顕著であり、フランス人の金管奏者は思いっ切り吹くので心強いというので、フランス人金管奏者は世界中で人気である。レオポルド・ストコフスキーがフィラデルフィア管弦楽団を育てている時も、「金管楽器に向いているのはフランス人」ということでフランスから奏者を招いている。またクラシック音楽史上最も有名なトランペッター、モーリス・アンドレはフランス人である。
カサドシュもフランス人ということでエスプリ・ゴーロワは勿論持っており、管楽器や打楽器にはいつも以上に豪快な鳴りを要求する。ドラマティックにしてスリリング、音は力強いが計算はきちんとなされており、虚仮威しにはならない。
優れた演奏会。京響のメンバーもカサドシュに敬意を表して、カサドシュ一人が指揮台に上って喝采を浴びた。
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