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2015年10月22日 (木)

観劇感想精選(167) 「夜への長い旅路」

2015年9月26日 梅田芸術劇場シアター・ドラマシティにて観劇

午後3時から、梅田芸術劇場シアター・ドラマシティで、「夜への長い旅路」を観る。ノーベル文学賞作家で、ピューリッツァー賞を4度受賞しているユージン・オニールの戯曲を、木内宏昌の台本・翻訳、熊林弘高の演出で上演。出演は、麻実れい、田中圭、満島真之介、益岡徹の4人。

「夜への長い旅路」は、激動の人生を歩んだユージン・オニールが自身とその親族をモデルに書いた戯曲であり、親族に累が及ばぬよう、ランダムハウス社の金庫に原稿を入れて鍵を掛け、「自分が死んでから25年経つまでは、出版も上演も許可しない」という遺言を残した。上演に関しては「一切許可しない」と書いていたほどである。その後、オニールの長男は自殺、3度目の妻であるカルロッタは麻薬中毒で法的トラブルを起こしている。

オニールの遺言は守られず、オニールの死から2年が経った1955年に、3度目の妻であり、唯一の遺産相続人であったカルロッタ(オニールは次男と長女とは絶縁している)が出版を許可し、戯曲はイェール大学出版部から出され、翌1956年にスウェーデンのストックホルムで初演が行われている。アメリカで初演が行われなかったのはオニールの親族に遠慮したためだろうか。ちなみにカルロッタは、4人の登場人物うちの一人であるメアリー・タイロン(演じるのは麻実れい)のモデルになっている。

作品は、エドマンド(満島真之介)が、愛する人に手紙を読み上げるというシーンから始まる。といっても、手紙を読み上げる声は録音されたものであり、上手端の客席通路から舞台に上がった満島真之介は、舞台上手にいくつか作られた砂山の一つから砂をすくっては、指の間からこぼすという仕草をしているだけである。手紙の内容は、エドマンドが育ったタイロン家の人々について。やがて、舞台中央奥にある引き戸式の扉が開き、タイロン家の人々が姿を見せる。エドマンドの父・ジェイムズ(益岡徹)、兄・ジェイムズ・ジュニア(愛称のジェイミーで呼ばれる。田中圭)、そして母・メアリーである。4人で抱き合うタイロン家の人々、だが、その実態は……。

 

アイルランド系移民のジェイムズ・タイロンは一財産を築いた舞台俳優だったが、ヒットしたのは下層階級向けの下らない劇であり、彼が目指していたシェイクスピア俳優になることは出来なかった。若い頃は、「全米で五本の指に入る期待のシェイクスピア俳優」と評されたこともあったのだが、彼が主役を張れたのは三流の芝居だけだった。そのことに不満があるのか、ジェイムズは社会的成功を収めたにもかかわらず、成した財産を土地を買うことにばかり使っており、他のことに関しては徹底した吝嗇家を通していた。医療費をけちったのが元で、エドマンドを産んでから体を悪くしたメアリーの主治医として治療費が安いことだけが取り柄の藪医者を紹介し、藪医者は痛みを止めるには一番安直な方法であるモルヒネを用いたため、メアリーは今もモルヒネ中毒のままである。しかし、ジェイムズはそれにも懲りず、現在の主治医に指名しているのも彼の知り合いである治療費の安い藪医者、ハーディである。

長男のジェイミーは、かつては成績優秀で「希望の星」と讃えられた(これがラストに繋がる伏線になっている)が、素行不良で大学を自主退学し(これはオニール自身の姿と重なる)、今は売れない舞台俳優と庭師を兼任している。ジェイムズは「私の血を引いているんだから、一生懸命やれば演技もものになる」というようなことを言うが、ジェイミーは「自分から俳優になりたかったわけじゃない。そちらが勝手に舞台に上げたんじゃないか」と俳優業には乗り気でないようである。ジェイミー本人は物書きになることを夢見ていたのだが、弟のエドマンドが地方の三流紙ではあったが新聞記者になったので、文筆方面はエドマンドに任せることにしたようである。ジェイミーはエドマンドの才能については部分的にではあるが買っている。

 

舞台は、タイロン家のある一日。朝から夜に至るまでを描いている。

タイロン家(元々は夏の別荘)に、エドマンドが帰ってくる。病気になったのだ。症状からみて結核で間違いないのだが、エドマンド自身は「風邪だ」と言い張り、ジェイムズは「マラリアだ」と断言する。実はメアリーの父親は結核で亡くなっており、皆、メアリーを心配させまいとして気を遣っているのだ。医師の診断書が届き、やはりエドマンドは結核であることがわかる(オニール自身も結核を患った過去がある)。

一方、メアリーのモルヒネ中毒も酷くなっており、メアリーは「霧笛で眠れなかった」と語るが、症状は明らかに薬物中毒のそれである。なお、結核で亡くなったメアリーの父親はアルコール中毒でもあり、メアリーは「酒は毒だ」と主張して、ウイスキーを飲もうとしたエドマンドを咎めたりする。

メアリーは、かつて旅回りの一座を率いていたジェイムズ・タイロンに夢中になり、結婚に漕ぎ着けたのであるが、夏に別荘に帰る他はずっと旅回りというジェイムズを次第に疎ましく思うようになる。ちなみに、ジェイミーとエドマンドの間にもう一人、ユージーンという名の男の子を産んだが、幼くして亡くなっており、メアリーはジェイミーがユージーンを殺したのではないかと疑っている(ユージーンもユージンも日本語表記の仕方が違うだけで同じ名前である。ユージン・オニールは、死んだ子供に自身の名前を付けたのだ。ちなみにユージン・オニールの実兄2人の名はジェイムズとエドマンドだそうである。エドマンドは2歳で亡くなったそうだが、家族の実名を劇に取り入れていることになる)。

メアリーは、「結婚して家族になったのではなく、家族を捨てた」と意味深なことを言う。メアリーの学生時代の友人は、メアリーが舞台俳優と結婚すると知った時に哀れみのような表情を浮かべたという。学生時代のメアリーはピアニストか修道女になりたいという夢を持っていたが、ジェイムズに言わせると「プロのピアニストになれるのは100万人に一人(実際はもっとシビアな数である)」「修道女になりたいと言ってはいたが、彼女は美人で自分が美人であることも知っていた。男もとっかえひっかえで」と、メアリーの夢が所詮夢に過ぎないと見抜いていた(メアリーが修道女を目指していたということもラストに向けての伏線となっている)。ちなみにオニールは若い頃に自殺未遂をしたことがあるが、メアリーもまた自殺未遂の過去があるという設定である。

メアリーには現在、友達は一人もおらず、また病状から家に人を招くことも出来ず、家族という檻に幽閉されたも同然の生活を送っている。ジェイムズ、ジェイミー、エドマンドは外出するが、メアリーはこの劇を通して家に閉じこもったままである。男三人はメアリーの症状を心配してメアリーを見張ってはいるのだが、メアリーはそれも「監視されている」と感じていた。

ジェイムズが、シェイクスピアの「ジュリアス・シーザー」のセリフを言い、更にエドマンドが「マクベス」の有名なセリフ、「消えろ消えろ束の間の幻影。人生は影法師、あわれな役者だ」を諳んじる。これを機に、話はシェイクスピア作品の換骨奪胎へと傾いて……。

ラストには、「ハムレット」の形を借りた展開が待っている。ジェイミーがエドマンドに向かって発するセリフや、エドマンドに対する態度は「デンマークの希望の星」と言われたハムレットが、オフィーリア対する時のものをなぞっている。そしてジェイミーはエドマンドに「尼寺へ行け!」ではなく、「療養所へ行け!」と言う(結局、ジェイムズは療養費を惜しみ、貧民のための結核療養所しか用意してやらなかったのであるが)。

そして、ジェイムズ、ジェイミー、エドマンドが揃ったところで、奥の入り口から狂女となったメアリーが登場する。メアリーはウエディングドレスを引きずっており(伏線としてウエディングドレスに関する話が劇中にあった)、オフィーリアそのものである。またメアリーは「修道女になるために修道院(つまり「尼寺」である)に入らないと」と、自分がまだ若いと錯覚してうわごとを言う。

溶暗し、エドマンドがタイロン家から去って行くのが確認出来たところで芝居は終わる。結末ははっきりとは示されないが、「ハムレット」のラストがどういうものか知っている人には簡単に察しは付く。

人生の最後で、「シェイクスピアに帰った」ユージン・オニールの姿が見て取れるが、実に悲劇的な、救いのない終幕であった。


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