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2015年11月 7日 (土)

観劇感想精選(170) 「GS近松商店」

2015年10月7日 大阪・上本町の新歌舞伎座にて観劇

午後6時30分から、大阪・上本町(うえほんまち)の大阪新歌舞伎座で、新歌舞伎座新開場五周年記念「GS近松商店」を観る。大阪の新歌舞伎座というと、なんば駅前にある純和風の荘厳な外観のものが有名であったが、老朽化のために、現在は上本町に移っている。外観も普通のビルである。洗練されたともいえるが、和の趣は後退した。ちなみになんばにあった新歌舞伎座は外観は今も残っている。

仲間由紀恵主演の「琉球ロマネスク テンペスト」を観て以来となる大阪新歌舞伎座。今回の「GS近松商店」はタイトルからも分かるように近松門左衛門が書いた文楽床本『女殺油地獄』と『曽根崎心中』を基に、舞台を現代に置き換えた悲恋劇として鄭義信(チョン・ウィシン)が練り上げたものである。近松の作品はそのほとんどが大坂を舞台に描かれており、近松関連の作品を観るにはやはり浪花が一番であろう。というわけで、この芝居でもセリフは関西弁が用いられている(方言指導:一木美貴子)。

作・演出:鄭義信。出演:観月ありさ、渡部豪太、小島聖、姜暢雄(きょう・のぶお)、朴璐美(ぱく・ろみ)、みのすけ、星田英利(ほっしゃん。)、山崎銀之丞、今井咲貴(いまい・さき)、平田敦子、チョウヨンホ、荒谷清水(あらたに・きよみ)、山村涼子、升毅、石田えり他。

途中休憩時間20分を含めて上演時間約3時間25分の大作であり、そのため開演時間が早めに設定されている。

GS近松商店は「ガソリンスタンド近松商店」の略であり、大阪に近い片田舎にあるガソリンスタンドと、同じ街にある寂れた劇場「寿楽座」の二箇所が主舞台となる。

新歌舞伎座ということで、開演前には定式幕が降りている。まず口上役(舞台上では旅回りの役者一座の座長)である山崎銀之丞が前口上を述べる。ちなみに、1階席の前から2列目までに座った人には、事前にビニールシートが席に置かれているが、山崎は「舞台上からあるものが飛んで来ます」と予告する。そのためビニールシートを使ってよける練習というものを行う。

幕が開く。GS近松商店。近松家の長男である幸一(升毅)は、今は酒屋である中村家の養子となり、中村酒店の主となっている。その幸一がトラックを運転してGS近松商店の前に乗り付ける(本物の自動車を運転している。この舞台では他にオートバイも実物を運転するなど外連が多い)。幸一は継母である美也子(石田えり)と不仲になり、近松家を飛び出して中村家の養子に入ったのだった。GS近松商店ももう過去の遺物。客が訪れる方が珍しいという有り様で、幸一の妹の近松百合子(小島聖)と菊子(観月ありさ)の二人が経営を行っているが、赤字が解消される見込みはない。菊子の夫である太一(姜暢雄)は店を売った後の算段しか考えていない。ちなみに菊子と太一の夫婦関係は冷え切っており、夫婦としての営みは三年に渡って行われていない。更に太一は浮気をしている。
菊子は右足が悪く、いつも足を引きずっている(「びっこ」という放送禁止用語も舞台なので使われる)。

菊子の姉である百合子が、GS近松商店に歩いて帰ってくる。百合子は元カレである写真館経営の奥寺(みのすけ)の結婚式に出席するために出掛けたのだが、途中で参列するのが馬鹿馬鹿しくなってしまい、パチンコに行って帰ってきたのだという。百合子と奥寺は深い仲になったのだが、結局、奥村は陽子(平田敦子)という太った女を結婚相手に選んだ。しかし、これが後に失敗であったことがわかり、奥村は百合子に復縁を求めるようになる。百合子は奥村の申し出を頑なに拒否し続けている。

新歌舞伎座の花道を使って、賑やかな一団がやってくる。男達は野球のユニフォームを着ており、女達はチアリーダーの格好をしている。この村の青年団達だ(全員、大阪の地名を苗字としている)。リーダーは天王寺(星田英利)。そこへ、金属バットを持った男が殴り込んでくる。寿楽座の跡取りである片岡光(渡部豪太)である。光は酷い吃音の持ち主(「どもり」という放送禁止用語も舞台なので普通に用いられる)。チアリーダーの一人である愛美(山村涼子)にフラれたため、復讐しに来たのだった。返り討ちに遭う光だったが、菊子の仲裁で何とかことは収まる(ここで観月ありさが放水シャワーで水を撒き、客席まで水が飛んでいく)。光は菊子の姿に惹かれる。その後、毎日のようにGS近松商店にやってくるようになる光。

一方、寿楽座では、夏祭りのための「仮名手本忠臣蔵」の稽古が行われていた。旅回りの役者・沢村雪之丞(山崎銀之丞)が、演出を行うのだが、演じるのが演技はど素人の村の青年団ということもあり、上手くいかない。寿楽座の主は片岡善三(荒谷清水)であるが、善三は先代の主の妻であった米子(石田えり。二役)と再婚したのであり、光と妹の千夏(今井咲貴)にとっては義父となる。米子は、「GS近松商店の美也子さんにそっくり」と言われるが、「私の方が美人」と言い張る。だが、そんな米子も光が吃音になったのは、善三と再婚してからであり、自身の再婚が息子に悪い影響を与えてしまったのではないかと気に病んでいた。

中村酒店の主となった幸一も問題を抱えていた。叔父の進(チョウヨンホ)が借金まみれであり、それを解決するために幸一の縁談を勝手に進めてしまっていたのだ。相手は大手旅館・満月屋の令嬢。これで金銭面は解決するのだが、幸一には愛する人がいた。中国人パブ「シルクロード」で働く玲玉(リン・イー。朴璐美)である。二人は結婚を誓い合っていたが、玲玉は日本への渡航費などで「シルクロード」に借金がある。このままでは金銭面で行き詰まることは目に見えている幸一であるが、人の良さから天王寺に金を貸してしまい、その天王寺の店が不渡りを出し、自責の念から天王寺は自殺してしまい、借金は更に膨らんでしまうのだった。

身体や精神に障害を抱えていたり、マイノリティーに含まれる人物が登場したりするが、鄭義信の彼らに対する眼差しは温かいものの、結果に関してはシリアスな姿勢を貫き通す。ノーマライゼーションが完遂されない限り、彼らの存在は憐憫の情で見られ、それは取りも直さず見下されているということに他ならず、人間として好ましいものではないと知っているからだろう。

「女殺油地獄」と「曽根崎心中」がベースになっているが、一人の人物に二つの物語を背負わすのは流石に酷であり、菊子と光が「女殺油地獄」を(ガソリンスタンドが舞台なのはそのためである)、幸一と玲玉のカップルが「曽根崎心中」の部分を受け持ち、二組の男女の悲劇が同日に行われる。もし、片方の悲劇が起こらなかったら、もう片方は起こらなかったはずだが、たまたま日が悪く、田舎特有の地元意識や自身が持つ障害、将来への不安などが重なった悲劇は起こる。

祭り囃子が鳴り響き、「仮名手本忠臣蔵」が下手ながらも演じられ、花火の音が聞こえるなど、ハレの気配満載であり、笑いの場も多く盛り込まれているのだが(一人二役を演じている石田えりの早替えの場が何度もある)、強く感じるのは人生というものの不安定感である。我々はかくも不安定な世界に何とかしがみついて生きている。二組の死はこの世界で毎日繰り返されている「死」の1ケースに過ぎない。それほどまでに世界というのは残酷なものであり、人間はただでさえ厳しい世界というものを自らの意思により一層峻険なものに変えてしまう愚かな生き物なのである。

近松の時代も今も、男と女、そして人間と人間社会の本質は変わっていないのだろう。

出演者達は、二度カーテンコールに応え、最後は座長の観月ありさが、「本日はお越し下さりまして、まことにありがとうございました」と挨拶して幕となった。

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