観劇感想精選(176) ミュージカル「スコット&ゼルダ」
2015年11月7日 大阪・上本町の新歌舞伎座にて観劇
午後5時30分から、大阪・上本町(うえほんまち)の新歌舞伎座で、ミュージカル「スコット&ゼルダ」を観る。アメリカン・ロスト・ジェネレーション(失われた世代)を代表する小説家、フランシス・スコット・キー・フィッツジェラルドと妻のゼルダの悲劇的な人生を描いたミュージカルである。作曲:フランク・ワイルドホーン、脚本・作詞:ジャック・マーフィー、上演台本:蓬莱竜太(ほうらい・りゅうた)、演出:鈴木裕美(すずき・ゆみ)。
上演時間は途中休憩20分を含み約3時間5分という大作である。
主要キャストは、ウエンツ瑛士、濱田めぐみ、中河内雅貴(なかがうち・まさたか)、山西惇(やまにし・あつし)の4人で、いささか地味なためか客入りは今一つ。私の座った3階席はガラガラだった。
私は、高校1年生の時に、ヘミングウェイやフィッツジェラルドといった「失われた世代」の作家の小説を集中して読んでおり、明大在学中には「日本で『失われた世代』と名付けるに値するとしたら俺達の世代だよな」などと思っていたら、その後に朝日新聞が我々の世代を「ロスト・ジェネレーション」と何故か英語のまま名付けた。日本語で「失われた世代」とすると深刻に響きすぎるからだろうか。
『華麗なるギャッツビー(グレート・ギャッツビー)』などはロバート・レッドフォード主演の映画も含めて今一つピンと来なかったのだが、短編小説「雨の朝、巴里に死す(バビロン再訪)」「氷の宮殿」など数編は印象深い出来であり、敗残者の切なさがダイレクトに伝わって来た。村上春樹がフィッツジェラルドを評価していると知ったのはその後である。
代表作である『華麗なるギャッツビー(グレート・ギャッツビー)』は三度も映画化されているため(ギャッツビーを演じているのは1作目がロバート・レッドフォード、2作目がトビー・スティーヴンス、3作目がレオナルド・ディカプリオである)フィッツジェラルドは米国の小説家の中では知名度がある方で、他のお客さんもフィッツジェラルドの人生が知りたくて来ているのかと思っていたが、アフタートークで聞くとそうではなかったようで、普通のミュージカル好きのお客さんが来ていて、話が余りに暗いので驚かれたと濱田めぐみが語っていた。
セットは2階建て。2階の細い通路(バルコニーと書いたほうがわかりやすいだろうか)の中央に半円形にせり出した部分があり、左右から階段が下りている。オーケストラピットはなく、2階セットの後ろにバンドがいて演奏を行う。2階の壁は時折左右に開き、バンドの演奏を直接見ることの出来るシーンもある。
まずは山西惇が演じるベン・サイモンという三文作家が、スコット・フィッツジェラルドの夫人であったゼルダが入院しているノースカロライナ州の精神病院を訪れるところから始まる。山西惇演じるベンはストーリーテラー(狂言回し)であり、出ずっぱりである。最初のセリフは「雪が降っていました」というものであるが、このセリフはアフタートークでいじられることになる。
ベンはスキャンダルやゴシップを専門にしている作家。好きでそういうものを書いているわけではなく、その枠にしか入れなかったのだ。ベンは最近、スコット・フィッツジェラルド(ウエンツ瑛士)の『華麗なるギャッツビー(グレート・ギャッツビー)』が再評価されているということを語り、フィッツジェラルドは44歳の若さで亡くなったが、その妻のゼルダ(濱田めぐみ)の消息を辿ったところ、精神病院に入院していることを知り、ゴシップ記事が書けないかと、わざわざゼルダを訪ねてきたのだ。
精神病院に入院しているぐらいなのでちゃんとした話が聞けるのかどうかが最初の問題であったが、ゼルダはきちんとした服装をしてにこやかに現れ、ベンを動揺させる。他の入院患者は患者用の服を着ているのだが、ゼルダだけは落ち着いた身なりなのだ。ゼルダが統合失調症(舞台では以前に使われていた「精神分裂病」が用いられている)という不治の精神病を患っているのは確かなのだが、病状は比較的軽いようだ。ゼルダは入院している理由を「ここは静かだし、どんなに読書をしても怒られることはないから」とベンに告げる。
ゼルダは「全米初のフラッパー(日本でいう「モダンガール」=「モガ」に相当するもので、それまでとは一線を画した服装や生活スタイルを持つ女性を指す言葉。串田和美の『もっと泣いてよフラッパー』でもよく知られている)」であり、毎日のように新聞の紙面を飾っていた。18歳の頃はモテまくりであり、人目を引くために肌色の水着を着てプールに飛び込むなど、目立ちたがり屋でもあったらしい。当初は「自由を奪われる」という理由で結婚などする気もなかったのだが、ゼルダを翻意させたのがスコット・フィッツジェラルドであった。
ゼルダがスコットと出会ったのは、ゼルダの地元・モントゴメリーにおいてだった。1917年、予備将校訓練学校に入っていたスコットは仲間と共にアラバマ州モントゴメリーを訪れる。そこでゼルダを一目見て恋に落ちた。
スコット(ミドルネームであり、「スコットはミドルネームさ」というシーンもあるが、フランシス・スコット・キーというのはアメリカ国家「星条旗」の作詞をした遠縁の人物と同じであり、ごっちゃにされるのが嫌でスコットをファーストネーム代わりに使ったのかも知れない。ポール・マッカートニーと同ケースである)は作家志望であり、それも並みの作家ではなく、アメリカを代表するような作家になるのだという夢を持っていた。ゼルダに小説家としての夢を語り(ゼルダは小説家という職業について、「一人で部屋に閉じこもって世の中とやらを分析している方ね」と皮肉を言うが、スコットは「真実は書くが汗臭い部分はカットする。そういう仕事です」と誇り高く述べる)、薔薇色の未来を想像する。だが、その想像の中にゼルダはいない。それが悔しくてという妙な理由でゼルダはフィッツジェラルドのプロポーズを受けいれ、二人は婚約することになる。
ベンは、「それで二人でニューヨークに出たわけですね」と聞くがゼルダは否定する。「最初の2年は、スコットはニューヨーク、私はモントゴメリーの遠距離恋愛」であり、そうなった理由はスコットが「作家として世に出るまではゼルダをニューヨークに呼びたくない」というものであった。だが、スコットと遠距離恋愛している間もゼルダは他の男性と付き合っている(スコットも他の女性と付き合っているのでおあいこであるが)。2年後、スコットがついに作家デビュー。処女作『楽園のこちら側』は、50万部のベストセラーとなり、スコットはアメリカン・ドリームの体現者となる。
時あたかもアメリカの最盛期と呼ばれる1920年代。スコットとゼルダは豪遊する夫妻として有名になる。だが、ある日、ゼルダはスコットの書斎の机の上に自分の日記が置かれてあるのを見て不審に思う。スコットに尋ねると、「君の日記を使って書いている」と悪びれることもなく言う。書いたばかりの原稿を読むと、なんとゼルダの日記が一字一句そのままに引用してある。スコットは「小説の中で君を書く」と言ってはいた。だが、ゼルダは自分の日記をスコットが勝手に「盗用」しているとは思いも寄らなかった。しかもスコットは「君のことを書くには君が日記に書いたことをそのまま書くのが一番だし、君の日記を僕が文章へと昇華している。だから、君の日記の文章はもう僕の文章なんだ」と本気で考えており、ゼルダに悪いとすら思っていない。
ベンは、スコットがゼルダをコマーシャルに利用したのではないかと疑う。スコットとゼルダが新聞や雑誌の紙面を飾ることで、スコットの小説家としての名声も上がる。そしてそのことで妻は心を病んでいく。ベンは、これならスキャンダルになるとして、『妻殺しの男 スコット・ギャッツビー』というタイトルまで思いつく。だが、実際のスコットは無邪気な男で、妻をコマーシャルに利用しようと考えつくような知恵が回る人間ではなかった。
スコットとゼルダの薔薇の日々も長くは続かなかった。ベンは、「1920年代には、パラマウントやコロンビア映画社が盛んに映画を作成し、ベースボールではニューヨーク・ヤンキースのベーブ・ルースのプレーに人々は熱狂した。時代の主役は次々に変わる。スコット・フィッツジェラルドも4~5年で世間から忘れ去られてしまった」というようなことを語る。
ゼルダはベンに、「スコットはお金持ちのフリを続けていた。でもフリだけ。実際は借金だらけだった」と語る。
スコットの小説は大衆から「酷い出来」と酷評されるようになる。
ベンはゼルダに、『華麗なるギャッツビー』執筆の時の話を聞く。
リヴィエラに療養に来ていたフィッツジェラルド夫妻。ゼルダはパイロットのジョーゼン(中河内雅貴)と恋仲であり、スコットにも愛人がいる(舞台に登場はしない)。ジョーゼンとの出会いでスコットとの生活に疑問を抱いたゼルダは、ある日、スコットに離婚したいと申し出る。スコットは離婚に猛反対。ゼルダを屋敷の一室に閉じ込めてしまう。しかし、その時、スコットの脳裏に一つの物語が浮かぶ。「金持ちの色男がある女性に恋をする。男は高価なドレスを女性にプレゼントするなどして女性を靡かせようとするが、女性は男の正体がわからないため不安である。それでも男は女をものにするがそれが悲劇を呼び……」。物語が浮かぶなり、タイプライターを走らせるスコット。閉じ込められた部屋の中で絶え間なく続くタイプ音を聞きながらゼルダは「一生この人といることになるのだ」と悟るのだった。
その『華麗なるギャッツビー』であるが、同業者からは高く評価されたものの、売れ行きはさっぱりで、スコットに追い風は吹かない。
一方のゼルダはスコットの夫人だけに収まるのは本意ではなく、絵画、バレエ、小説執筆などを始める。特にバレエは1日8時間の猛稽古をするが、幼少の頃からバレエを始めるのが常識という世界にあって、27歳のゼルダがいくら頑張ろうが、無謀だと笑われるのがオチであった。絵画もものにならず、バレエも駄目。自伝的小説を発表するが、売れたのはわずか1396部。自費出版本の売り上げ以下という惨憺たるものであり、ゼルダは精神を病んでしまう。精神分裂病と診断された。
スコットは生活費と妻の入院費を稼ぐためにハリウッドに向かう。だが、スコットはハリウッドでは名前すら忘れられており、「フィッツジョン君だっけ?」などと言われる始末。おまけにスコットに回された仕事は、大衆向けのちんけなドンパチものや安手の恋愛ものの脚本。「芸術などいらない!」と言われたスコットは意に染まない仕事を続けていく。
そんな中、あるテーマを書いた小説をどちらが書くがで、スコットとゼルダは言い争いにある。ゼルダの主治医(中河内雅貴)を間に、スコットは「長編小説でしか書けない題材で、長編小説が書けるのは僕だけだ」と主張するが、すでの小説を書いているゼルダは「8年間、長編小説をただの1編も書いていないのはどこの誰かしら?」と当てこする。
結局、スコットがゼルダの原稿を破り捨てるまで喧嘩は続くが、スコットはゼルダに、「ゼルダ、文章を書くというのは文字を羅列することではないんだ。文体は命。人が歩き、腰掛ける、ただそれを描写するだけで世界が変わっていく。文章は生き物なんだ」と語る。
ハリウッドと東海岸、スコットとゼルダは離れて暮らし続ける。スコットが最後に訪ねてきた時のことをゼルダはベンに語る。ゼルダの容色が色褪せてしまったのは自分のせいだとスコットは自責の念を口に出す。だが同時に本当に愛したのはゼルダだけだと伝える。スコットがアルコール依存症が引き起こした心臓麻痺により44歳で早世するのはその数ヶ月後だった。
スコットがゼルダに送った最後の手紙には、「医師はアルコール依存症でありながら、この年まで心臓発作を起こさなかったのは奇跡だと語った。だが、療養することで心臓も良くなってきている」と書かれていた。だが、心臓は良くなっておらず、スコットは帰らぬ人となる。
その話を終えた後で、ゼルダはベンに、「ところであなた、自信はあるの?」と聞く。ベンは、「自信も何も、私は生活のために文章書いているような作家でして」と告白し、ゼルダに「じゃあ、自信も誇りもなく作家をやっているのね」と怒気を含んだ口調で迫られた時に、「金のために仕方なく作家をやっている人間もいるんです」と自己弁護する。ゼルダは怒り、「生きている意味がない!」などと叫ぶ(実は、台本にはゼルダが怒るところまでのセリフしか書かれておらず、その後のセリフは濱田めぐみに任されていたそうだ。そのことはアフタートークで語られたが、当の濱田は、「え? あたし、そんなこと言った?」と覚えておらず、ゼルダが乗り移ったまま無意識に口を突いて出た言葉であることがわかった)。
ゼルダは医師や看護師達によって、強制的に隔離される。
ベンは、精神病院を後にしようとするが、思い返して、再びゼルダの病室を訪ねる。ゼルダはスコットの小説について、「なんとしてもしがみついてやろうという強い精神力、我々アメリカ人が多くは諦めてしまったものを彼は持ち続けていた。彼の小説には輝くような生命力と強靱なスタミナがある」と評する。フィッツジェラルドの遺作『ラスト・タイクーン』は未完に終わったが、ゼルダはフィッツジェラルドの不屈の魂が宿っているとして、知り合いのいる出版社に掛け合って出版して貰ったのだという。そして、ゼルダも諦めることなく今も小説を書き続けている(数年後、精神病院は火事になり、ゼルダは巻き込まれて自身の小説と共に48年の短い人生を散らした)。スコットとゼルダの逞しさに打たれたベン・サイモンはフィッツジェラルド夫妻のことを記事にするのは止めた。だが、この不思議な夫妻の魅力、その一挙手一投足、「二人だけが見ることの出来た風景」などに惹かれ、本格的な文学作品を書いた。そのタイトルは「スコット&ゼルダ」である。
ミュージカル「ラ・マンチャの男」に似たメッセージを持つ作品であった。特に目新しいものではないが、観る者に勇気を与えてくれるメッセージである。「諦めるな、諦めるな、絶対に諦めるな」。これはウィンストン・チャーチルのモットーであったそうだが、これは励ましであると同時に、安易に諦め、惰性で生きようとする我々への戒めでもあるように思う。確かに栄光は短く空虚かも知れない。だが、目指すのは栄光でなくても良い。己を曲げないことも大切なのだ。
私は合理的にものを考えるのが好きなので、一度、客におもねるような解釈に自作を変えようとして、「それはやらない方が良い」と言われたことがあるが、確かに、何をするかは自分が決めることで相手に合わせることではない。その時の私は己を曲げてしまっていたわけで、フィッツジェラルドのタフさの対極にいたわけである。そして今、思い返すと、解釈を変えないで良かったとも思う。私ももっとタフであるべきなのだろう。
主要キャスト4人を始め、出演者は端役に至るまで、歌、ダンス共にレベルが高く、日本ミュージカル界の底力を知る思いである。演奏も充実。フランク・ワイルドホーンの音楽も分かりやすいが、その分、圭角がないため記憶には残りにくい。
スコット役のウエンツ瑛士は優れた歌唱を披露したが、彼はタレントでミュージカルが本職ではないため、バリバリのミュージカル歌手である濱田めぐみに比べると声が浅いところから出ており、ファルセットもやや不安定ではある。だが、ここまで歌えれば十分だとも思う。
佐々木蔵之介が実力を認めたことで知られる蓬莱竜太の手掛けた台本もなかなかのもの。蓬莱本人の作で私が「これは優れている」と思ったものは残念ながらまだないのだが、「スコット&ゼルダ」では良い仕事をした。
鈴木裕美の演出も優れていたように思う。
終演後、ウエンツ瑛士、濱田めぐみ、中河内雅貴、山西惇の4人によるアフタートークがある。
ウエンツ瑛士が、「みんな(他の3人)は、大阪、慣れてるでしょ」と言ったので、何のことかと思ったが、実はウエンツ瑛士が大阪で舞台を演じるのは今日が初めてなのだという。知名度のある人なのでとっくの昔に大阪での舞台を踏んでいるものだと思っていただけにかなり意外であった。ウエンツは、「山西さん(京都市生まれ京都大学卒。劇団そとばこまち出身)から、『大阪のお客さんは違うよ』と聞かされていたので、不安でしたが、確かに違いました。ですが今日は背中を押される思いでした」と語る。
大阪のお客さんはとにかく盛り上がるので、演じる方としてはやりやすいと思う。東京のお客さんは結構冷たいので。
司会の女性が出演者に、「一番記憶に残ったセリフ」を挙げるよう促す。4人はセリフを思い出すために頭を抱える。中河内は、「最初の山西さんのセリフで、『雪が降っていました』」とボケると、ウエンツも「雪が降っていました」と同じことを言う。ウエンツが本当に記憶に残ったセリフはゼルダの「婚約って行動する権利を束縛するものなの?」というもの。スコットと婚約中のゼルダが男遊びを見とがめられて放ったセリフであり、ウエンツは袖で着替えながらゼルダのセリフを聞いているのだが、このセリフが出てきた時だけ、着替えの腕がピクッと止まってしまうという。
山西は、やはりゼルダのセリフで「男の人が私に恋するのには慣れているから」というもの。普通は「男の人に恋するのには慣れているから」と来そうなものだが、実際は逆なのである。ゼルダという女の不思議さが浮かび上がるセリフである。
濱田は、「文章は文字の羅列じゃないんだ。生き物なんだ」というセリフに考えさせられるものがあったそうで、「文章を不正確に扱ってはいけない」ということで、ずっと台本を読み、今では台本はボロボロ状態だそうである。
濱田は、「ゼルダという、この不思議な人、どこに行っちゃうんだろう?」と言う。「ずっと一緒にいて、体に馴染んだのに、明日の公演でさよなら。それからゼルダはどこに行っちゃうんだろう?」
ウエンツが「新幹線に乗って一緒に品川で降りるんだ」と言うが、濱田は「私、新横浜、神奈川県(在住)だから」と別の話になっていた。
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