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2016年1月16日 (土)

コンサートの記(227) 飯森範親指揮 山形交響楽団特別演奏会 さくらんぼコンサート2015大阪公演

2015年6月26日 大阪・京橋のいずみホールにて

午後7時から、大阪・京橋のいずみホールで、山形交響楽団特別演奏会 さくらんぼコンサート2015大阪公演を聴く。指揮は山形交響楽団音楽監督の飯森範親。

4年連続4回目となる山形交響楽団のさくらんぼコンサート大阪公演。最初の2回はザ・シンフォニーホールで行われたが、前回からは会場をいずみホールに移している。

曲目は、モーツァルトの交響曲第1番、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番(ピアノ独奏:上原彩子)、モーツァルトの交響曲第41番「ジュピター」

開演15分ほど前から、山形交響楽協会専務理事・事務局長の西濱秀樹、指揮者の飯森範親、トランペット奏者の井上直樹、ホルン奏者の八木健史によるプレトークがある。

西濱秀樹は、今年の3月までは関西フィルハーモニーの事務局長であり、関西フィルのプレトークでユーモアたっぷりの話術を披露していたが、4月からは山形交響楽団の母体である公益社団法山形交響楽協会に移籍した。今日も関西フィルの時と同様、ユーモアの効いた話を聞かせる。山形交響楽団の大阪公演のプレトークはこれまで飯森の司会でやっていたが、西濱の話が面白いので司会に登用されたようである。

山形交響楽団(山響)が行ってきた、モーツァルトの――番号のないものも含めて――交響曲全50曲演奏達成を記念してのモーツァルトプログラムによる演奏会。モーツァルトの交響曲は全曲レコ―ディンされており、CDとしてのリリース計画もあるようだが、いつリリースするかなど細かいことはまだ決まっていないらしい。

飯森と山響のモーツァルト演奏の特徴は全面的にピリオド奏法を取り入れていることで、弦はビブラートを極力排し、弦自体をガット弦に張り替える奏者もいる。管は、ナチュラル・トランペットとナチュラル・ホルンを採用。フルートも木製のものが用いられる。ティンパニはバロック・ティンパニと呼ばれる旧式のものを採用。

現在のトランペットはバルブが付いているが、ナチュラル・トランペットは押すものが何もなく、口だけで音程を変える。ナチュラル・ホルンもバルブがなく、口と右腕で音程を変化させる。ちなみに、ナチュラル・ホルンは管1本だけでは出せる音が限定されているため、欲しい音がその管にない場合はその音が出せる別の管に変えて演奏するのだという。

ナチュラル・トランペットとナチュラル・ホルンの紹介は昨年と同じであったが、ピストン付きの現代のトランペットはナチュラル・トランペットに比べて遥かに音が大きいため、そのままモーツァルトを演奏すると弦と管のバランスを破ってしまうので、モダン楽器のモーツァルト演奏では常に弱音で吹くよう指揮者に指示され、結果、トランペットの音がほとんど聴き取れないという状況が発生しているという。ナチュラル・トランペットの場合は思いっ切り吹いても音が弱いので全体の中で上手くバランスが取れ、モーツァルトの演奏でトランペットを良く聴き取るにはむしろナチュラル・トランペットでの演奏を選んだ方が良いそうである。
ちなみに今日、ナチュラル・トランペットを吹く井上直樹はスイスのバーゼルで本格的にナチュラル・トランペットの奏法を学んだことがあり、またそれほど年ではないが、ナチュラル・トランペットの日本における権威的存在であるという。

古典配置による演奏。今日のコンサートマスターは山響ソロコンサートマスターの髙橋和貴(たかはし・かずたか)、フォアシュピーラーは犬伏亜里(いぬぶし・あり)。第2ヴァイオリンの首席奏者は舘野泉の息子である日芬ハーフの舘野ヤンネである。

飯森範親はモーツァルトの交響曲は2曲とも譜面台を置かず暗譜で指揮する。

モーツァルトの交響曲第1番。モーツァルトが書いた最初の交響曲ということで、モーツァルトの初期交響曲の中ではずば抜けて演奏頻度の高い曲である。

モーツァルトがわずか8歳の時の作品であり、「子供の書いた曲だから」とチャーミングに演奏されることが多いが、飯森は「天才に年齢は関係ない」とばかりにスケールの大きな演奏を展開する。流石はモーツァルトの曲であり、子供の頃に書いた作品でありながら大人にこうした真っ向勝負の演奏で挑まれても曲の内容が負けたり未熟さが露見したりということはない。

山響の弦楽はガット弦の人もいるということで、明るく澄んだ音色を出す。ナチュラル・ホルンは苦戦気味だが、改良された現代のホルンですら「キークス(音外し)」の代名詞なので、慣れないナチュラル・ホルンを楽々操るということは困難だと思われる。

ベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番。ソリストの上原彩子は、1980年、香川県高松市生まれ、岐阜県各務原市育ちのピアニスト。3歳からピアノを始め、ヤマハの音楽教室に通う。1990年にヤマハマスタークラスに入会。その後もずっとヤマハのマスタークラスで学んでおり、音楽高校にも音楽大学にも行ったことがないという異色の経歴を持つ。
2002年に第12回チャイコフスキー国際コンクール・ピアノ部門に日本人としてまた女性としても初の第1位を獲得する。だが、当時のチャイコフスキー国際コンクールにヤマハが大口のスポンサーとして付いていたため、「不正があったのでは」という声もあった。

上原のピアノは高貴さとスケールの雄大さを兼ね備えたものである。どちらかというと典雅に傾いた演奏であるが力強さにも欠けてはいない。
一方で、第1楽章のカデンツァでは音の濁りが少し気になる。私は今日はステージ下手上方の2階席で聴いており、私の位置からはペダルが見えなかったのだが、おそらくペダリングに問題があるのだと思われる。

飯森指揮の山響は力強い伴奏を聞かせる。上原との息もピタリと合っている。

上原はアンコールとして自身がピアノ編曲した、チャイコフスキーのバレエ音楽「くるみ割り人形」より“あし笛の踊り”を演奏。最近のソフトバンクのCMで使われている曲である。愛らしい演奏であった。

モーツァルトの交響曲第41番「ジュピター」。モーツァルトは最初に書いた交響曲第1番の第2楽章に「ハー二ーヘーホ」で始まる主題を用いており、これが「ジュピター」交響曲の第4楽章で「ジュピター」主題として登場している。おそらくモーツァルトが子供の頃に好んだ音型を振り返って交響曲第41番を書いたのだと思われ、偶然同じ音型になったわけではないと思われる。ただモーツァルト本人も交響曲第41番が自身の最後の交響曲となり、最初と最後の交響曲が同じ主題によって繋がるとは想像していなかったであろうが。

飯森と山響による「ジュピター」はスケールが大きく、力強い。情熱的であり、モーツァルトではなくベートーヴェンの交響曲に挑むかのようなアプローチであるが、「モーツァルトらしさ」というものは固定されているものでなく、ただ何となく漠然と共有されているものなので、そこから少し外れていても構わないのである。
それにしても力強い演奏であり、こうした演奏を聴くと最高神「ジュピター」よりも最強神「ハーキュリーズ」の名前が浮かぶ(「ジュピター」というタイトルを付けたのはモーツァルトではない。誰が付けたのかはわかっていない)。

ピリオドの効果が最も良く出たのは第2楽章。弦楽器の深い音はモダン・アプローチでは出せないものである。

1階席で聴いていると残響を余り感じないいずみホールであるが、ステージ真横の2階席で聴いていると残響が長いのがわかる。反響板のないホールなので席が上にある方が残響が良く聞こえるのだ。しかし、京都コンサートホールにしろ、フェスティバルホールにしろ、いずみホールにしろ1階席の音響が今一つというのはいただけない。高い料金を払って音の悪い席を買う羽目になるのだから。

飯森の指揮は分かりやすく、山形交響楽団を存分にドライブする。

演奏終了後、喝采を浴びた飯森と山形交響楽団。飯森が「山形交響楽団の演奏会はアンコールを行わないんです。本番で全力を出すので疲れてフラフラになるので」と語りかけ、「是非、一度山形へ」というアピールも忘れなかった。

なお、入場者全員に、東根市のサクランボ「佐藤錦」が数個入りのパックでプレゼントされた。更に抽選で山形県産サクランボのプレゼントもあったが私は外れた。

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