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2016年1月31日 (日)

コンサートの記(229) 広上淳一指揮京都市交響楽団第597回定期演奏会

2016年1月24日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から京都コンサートホールで京都市交響楽団の第597回定期演奏会を聴く。今日の指揮者は京都市交響楽団常任指揮者兼ミュージック・アドヴァイザーの広上淳一。2日連続同一曲も演奏会の2日目である。

曲目は、バルトークのヴァイオリン協奏曲第2番(ヴァイオリン独奏:コリヤ・ブラッハー)、コープランドのバレエ組曲「アパラチアの春」、ガーシュウィンの「パリのアメリカ人」

一応、アメリカン・プログラムとされているが、実際はバルトークのヴァイオリン協奏曲第2番はバルトークがアメリカに渡る前に書かれたものである。

開演20分前から広上淳一によるプレトークがある。広上はバルトークのヴァイオリン交響曲第2番のソリストであるコリヤ・ブラッハーの紹介と、曲目の解説を行った後で、2016年度の京響の定期演奏会の紹介をする。

京都市交響楽団の定期は4月始まりだが、まず2016年度最初となる4月の定期が京都市交響楽団の記念すべき第600回定期演奏会となり、広上淳一がタクトを執る。コープランド、モーツァルト、リヒャルト・シュトラウスと、広上が得意とする作曲家の作品が並んでいる。京響初登場の指揮者としてはチェコの名匠、ラドミル・エリシュカの登場が特筆事項。お国もののスメタナとドヴォルザークを振るが、すでに大阪では数度指揮した曲なので、大阪で聴いたことのある人はオーケストラの違いを楽しむのがメイン、京響しか聴いていない人には「期待出来る指揮者」とだけ書いておく。

常任首席客演指揮者の高関健(広上は「健ちゃん」と呼んでいるようである)は、11月の定期でメシアンのトゥーランガリラ交響曲1曲勝負である。

常任客演指揮者の下野竜也が指揮するのはブルックナーの交響曲第0番(ブルックナー本人が「単なる習作」として0番としたもの)。下野は大阪フィルハーモニー交響楽団の京都演奏会で同曲を指揮したはずである。同曲のCDもリリースしている。

古楽出身の鈴木秀美は2017年2月の定期演奏会に登場。チェロ奏者である鈴木秀美はC・P・E・バッハのチェロ協奏曲で弾き振りもする予定だという。

2017年3月の定期には広上淳一が登場し、マーラーの交響曲第8番「千人の交響曲」を指揮。「千人の交響曲」は京都コンサートホールのこけら落としで上演された演目で、それを再び上演しようという試みである。

また京都市交響楽団は今年が結成60周年ということで、左京区岡崎にある「みやこめっせ」で、広上淳一、高関健、下野竜也の3人が指揮者3人を必要とするシュトックハウゼンとモーツァルトの作品を指揮するそうである。
今日のコンサートマスターは客演コンサートマスター(コンサートミストレス)の荻原尚子(おぎわら・なおこ)。ケルン放送交響楽団(WDR交響楽団)のコンサートミストレスで、コリヤ・ブラッハーの弟子ということで客演コンサートミストレスに抜擢されたようである。
渡邊穣は降り番で、フォアシュピーラーに泉原隆志。

フルート首席奏者の清水信貴、オーボエ首席の高山郁子、クラリネット首席の小谷口直子、トランペット首席のハラルド・ナエスは後半のコープランドからの登場となる。


バルトークのヴァイオリン協奏曲第2番。広上淳一はプレトークで「楽章が進むにつれて、人間のダークな面が浮かび上がる」と語っていたが、第1楽章からショスタコーヴィチのような阿鼻叫喚の響きが鳴り(バルトークはショスタコーヴィチが嫌いであったが、同時代の作曲家ということもあって描くものは似てしまうようである)、第3楽章では不気味なワルツが延々と続く。

ヴァイオリン独奏のコリヤ・ブラッハーは、ベルリンの生まれ育ち。ベルリンで日本人である豊田耕児にヴァイオリンを師事。その後、ジュリアード音楽院でも研鑽を積む。ザルツブルクでは指揮者としても知られるシャンドール・ヴェーグに師事(広上によるとヴェーグは歩き方に特徴があったそうで、頭を振り回すようにして歩いていたそうだ)。クラウディオ・アバド時代のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の第1コンサートマスターとして活躍後、ソリストとしての活動を始めている。

ブラッハーのヴァイオリンは音が磨き抜かれており、スケールも大きい。広上は時折、指揮棒を譜面台に置いてノンタクトで指揮もする。

今日は、第2楽章の時に、私の席のそばで急病人が発生したため、私は第2楽章は集中して聴けなかったのだが(音楽より人命が大事である)、第1楽章も第3楽章も仄暗い音色を生かしつつ、活きの良い伴奏を広上と京響は行った。

この曲は、ハープが主伴奏並みの大活躍をする他、コンサートマスターのソロも多い。ただ通常だとオーケストラの主役は第1ヴァイオリンであるが、この曲ではむしろヴィオラやチェロといった低弦部の活躍が目立つ。


コープランドの組曲「アパラチアの春」。冒頭の透明で丁寧な音のタペストリーを聴くと、京響の確かな成長と広上淳一という指揮者の凄さがよくわかる。ノスタルジックな小谷口直子のクラリネットソロに味が合って良い。弦楽の俊敏さも特筆事項で、京響は私が14年前に初めて聴いた時とは桁違いに上手いオーケストラになっている。
コープランドはもっと演奏されても良い作曲家だと思うが、やはり日本のクラシックファンの間ではヨーロッパ信仰が強いようである。


ガーシュウィンの「パリのアメリカ人」。広上のユニークかつわかりやすい指揮姿にも魅了されるが、打楽器奏者達の名人芸は流石。複数の楽器を掛け持ちする奏者がいるのだが、クラクション((この曲では実際に自動車のクラクションが鳴らされる)を鳴らし終えるとすぐにシンバルの演奏、スネアドラムとウッドブロック(木魚のような音がする)を同時進行で演奏するなど、やはりプロのオーケストラ打楽器奏者の腕は半端ではない。
広上指揮する京響は洒落っ気に富みつつ明るめの音色で、輝かしい演奏を展開する。
この曲には、テナー、アルト、バリトンの3本のサックスが登場。いずれも客演奏者である岩田瑞和子(いわた・すわこ)、岩本雄太、陣内亜紀子の3人が達者な演奏を披露した。


急病人が近くで発生するというアクシデントはあったが、今日の演奏会は全曲世界レベルで通用すると思って間違いないであろう。

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