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2016年1月 6日 (水)

Adieu, ブーレーズ

フランスの作曲家で指揮者としても活躍したピエール・ブーレーズが死去。90歳だった。

「主のいない鎚(ル・マルトー・サン・メートル)」など、厳格なセリー手法を用いた作品を多く残し、高い評価を得たが、わかりやすい作風ではなかったということもあり、一般には指揮者としての活躍で知られている。

1950年代から指揮活動を開始し、60年代後半にはアメリカのクリーヴランド管弦楽団の首席客演指揮者として活躍。クリーヴランド管弦楽団の音楽監督であったジョージ・セルとも親しくしていた。クリーヴランド管弦楽団とはその後も信頼関係が続く。

またニューヨーク・フィルハーモニックの音楽監督を務めたこともある。好評だったとはいえないようだが。

指揮はノンタクトで行うのが常であり、指揮棒の必要性については完全に否定している(『指揮棒は魔法の杖』でのインタビューより)。また抜群の記憶力を誇ったが暗譜に関しても「無意味」としている。

1970年代に第一次のレコーディング活動期に入り、自作やドビュッシーなどをCBSソニー(現:ソニー・クラシカル)に録音。現代音楽の作曲家でもあり、ジョージ・セルの影響を受けたということもあって、即物主義に近い演奏を行っていたが、作曲と研究、後進の育成に励んだ80年代を経て90年代に指揮台に復帰した際にはよりロマンティックな音楽づくりに変わっていた。90年代から始まる第二次レコーディング活動期にはドビュッシー、ラヴェルといったフランスものだけでなく新ウィーン学派やマーラーの交響曲全集も録音。ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮したマーラーの交響曲第6番「悲劇的」(ドイツ・グラモフォン)は特に高い評価を得た。実に格好いいマーラーであり、印象に強く残っている。
一方で古典的な楽曲の指揮には熱心とはいえず、1970年代に超スローテンポで演奏したベートーヴェンの交響曲第5番は物議を醸した。

日本ではNHK 交響楽団に何度か客演しており、95年にN響を指揮したラヴェルのバレエ音楽「ダフニスとクロエ」ではN響コンサートマスターの堀正文が「いつも(のN響)とは別のオーケストラだ」と驚嘆したという話が伝わる。

その時の演奏は私もBSで視聴しており、なぜか印象を詩にまとめている(音楽を詩の題材にすることは余りなかったのであるが)。



「ピエール・ブーレーズ」

しなやかな指の先から


音が確実に伸びてゆく

寸断された音符が

一つの曲線で繋がっていく

白衣を着けない医学者の

細やかな心の内で

くっきりとした輪郭を持つ時の流れが

静謐のまま過ぎてゆく

一点の混じり気もない

輝かしい最強音によって

新しい時代が拓かれてゆく


美しいなどと

陳腐な言葉を使ってはならない

私達は音の中に美しさを超えた

新たなるものを見出すだろう

目前の未来から流れ来る

冷たく鮮度の高い言葉の数々を

全ての感覚器を用いて

読み解かなくてはならない


豊かなエネルギーが

高度の見識の下に

数学的に整理されてゆく

その隙間をぬって

千年もの生命を有する

目に見えぬほど微細な

霊達が飛び散ってゆく


曲は今

急激な展開を見せつつある

チェロは有機的なうなりを上げ

フルートはすました鼻声で歌い

ヴァイオリンは輝きと透明度の高さをもって

存在を無に与え続ける

切り刻まれた音楽の背後から

再生する新たな響きを

私は感じる


1995年7月1日

 

 

 

詩の出来としてはABC評価のC+程度で余り良くないが、ブーレーズがいた日々の思い出に、この詩を敢えてここに残しておく。

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