観劇感想精選(179) 「Honganji」
原作:保志忠彦、脚本:斎藤栄作、演出:ウォーリー木下。題字:紫舟(代表作:大河ドラマ「龍馬伝」ほか)。衣装:小篠ゆま(コシノヒロコの次女)。
出演:陣内孝則、水夏希(みず・なつき。元宝塚雪組トップ。私と同じ千葉市出身である)、諸星和己、姜暢雄(きょう・のぶお。代表作は「トリック」)、ウダタカキ、瀬下尚人、板倉チヒロ(男性)、植本潤、倉持明日香(元AKB48。父親は元プロ野球選手の倉持明)、岸祐二、ルウト(男装読者モデルとしても活躍する女優・女性モデル)、奥村佳恵、大橋吾郎、滝口幸広、渡辺大輔、佐野和真、蒼乃夕妃、尾花貴絵(父親は元プロ野球選手で現・読売ジャイアンツ投手コーチの尾花高夫)、押田瑞穂、木下政治、市川九團治ほか。
本願寺石山戦争の話で、知り合いの知り合いである市川九團治が出て、ウォーリー木下が演出を務めるという情報だけを手に入れて新歌舞伎座に向かったため、姜暢雄や倉持明日香などが出演するということは、新歌舞伎座の入り口前に飾られたお花の宛先で知った。
本願寺の話ということで、受付には「宗務関係者」という普通の舞台公演ではまず見受けられない部署も設けられていた。
夏目雅子が「西遊記」で三蔵法師を演じて以来、何故が僧侶には女優が扮するという習慣らしきものが出来てしまい、今回の舞台でも本願寺十一世・顕如光佐と本願寺十二世で東本願寺一世の教如は女優が演じている。なお、教如の弟で西本願寺一世(こちらもまた本願寺十二世を名乗っている)の准如は舞台には登場しない。
舞台後方には屏風上の壁。舞台中央には小さな坂があり、開演前からその上に作り物の生首が乗っている。
開演10分前当たりから後方の壁に石山本願寺寺内町の絵が投影される。今回の公演は、映像が徹底的に駆使された場面転換が行われる。
開演すると「かごめかごめ」の歌が流れてくる。やがて歌声が歪むと同時に溶暗。照明が舞台に当たると、生首は市川九團治演じる平将門のものに変わっており客席に向かって語りかける、やがて九團治は前身を現し、歌舞伎の見得を切る(新歌舞伎座という劇場名であるにも関わらず基本的に歌舞伎の公演は行われないという変わった劇場なので、「高島屋!」という声は掛からなかった)。
九團治演じる平将門は「Honganji」の狂言回し(ストーリーテラー)の役割も担う。
平将門は関東一円を支配し、新皇として独立を図るも、下野守藤原秀郷に敗れて戦死。首は京の七条河原にさらされるも東国目指して飛んで行き、下総岩井を目指すも江戸で墜落。将門の霊は怨念を持ったまま現世を彷徨っている。そして16世紀、再び日の本の国に乱世を起こすべく、将門の霊は凶暴化した。
その将門に斬りかかる少年が一人。三郎という名の少年こそ後の織田三郎信長であった。将門に「欲しいものは何か?」と問われ、「天下だ」と答えた三郎に将門は「情というものを掛けず鬼に徹するならそなたを天下人にしてやろう。ただし、ただ一度でも情を掛けたなら全ては水の泡となるだろう」と告げる。実はこの時の三郎信長の天下像は「この世を極楽浄土に変える」という日蓮宗的発想なのだが、それに関しては深く掘り下げられてはいない。
成人した信長(陣内孝則)は仏を信じぬ「第六天魔王」と称してして将門の力を受けながら天下人への道を突き進む。
一方、後に足利第十五代将軍となる足利義昭(木下政治)は朝倉氏を頼って越前にいたが、そこで十三代将軍・義輝(塚原卜伝に師事した剣豪将軍として知られる)が討ち死にしたことを知らされる。十四代将軍に就いたのは三好三人衆の傀儡・義栄。このままでは足利将軍家の威光は地に落ちると考えている義昭だが朝倉では頼りになりそうにない。そこで明智光秀(ウダタカキ)を通じて、織田を後ろ盾にしようと目論む。義昭の下にやって来た信長は横柄な態度ではあったが、義昭を将軍の座に押し上げることを約束する。
平将門の怨念が渦巻く中で、いよいよ信長の近畿における戦いが始まる。足利義昭を担いで上洛し(ただ、輿に乗っているのは信長で、どう見ても義昭ではなく信長の上洛である)。京を追われた三好三人衆は野田城や福島城(「野田」「福島」共に現在も駅名として残っており、大阪によく来る人ならどの辺に城があったすぐにわかる)を築城し信長の侵攻に備える。野田や福島と石山本願寺とは目と鼻の先である。三好三人衆と組んだ本願寺は信長との和議を結ぶ。
明智光秀が信長の使者としてやって来る。織田と本願寺の和睦の条件として5000貫を要求するのだが、顕如は門徒から寄付された金を信長のために払うつもりはないと拒否する。光秀は、本願寺の侍女である光(みつ。奥村佳恵)に何故か惹かれるものを感じるのだが、実は光は光秀の実の娘であることが後に判明する。
その光が慕っているのは教如。だが、教如は「自分は僧侶ではなく武将として生まれてくるべきだった」と今の境遇を嘆いている。
浅井・朝倉連合軍に味方したということで信長は比叡山延暦寺を焼き討ち(比叡山の焼き討ちの規模に関しては諸説あり、実態は不明である)。この劇では通説とは違い、明智光秀が延暦寺に容赦ない攻撃を仕掛け、羽柴秀吉は最初は比叡山に籠もる人達に同情的である。
石山本願寺も比叡山の二の舞になる可能性が高いことを悟った顕如はいよいよ信長との戦を決意する。ただそれは信長のような「攻め、奪うための戦い」ではく、あくまで石山や全国の門徒を「守るための戦い」と説くだが……。
平将門と本願寺の両方に繋がる武将には徳川家康がいるのだが、この劇では家康は一切登場しない(セリフにすら出てこない)。またその後、幕末に至るまで密接な関係にあった毛利氏の当時の当主である毛利輝元も声のみの出演に留まっている。毛利水軍は出てくるのだが、乗り組み員として登場するのは雑賀衆達である。
一方、架空の人物は数多く登場し、雑賀衆はほぼ全員架空の人物であり、雑賀孫一に父親を殺され、恨みを抱いている織田方の女鉄砲打ち橋本雷(はしもと・らい。演じるのは倉持明日香)も架空の人物である(織田信長の鉄砲指南役を務めた橋本一巴という実在の人物の娘という設定ではあるが、橋本一巴を殺したのは雑賀孫一ではない)。
本願寺石山合戦は正親町天皇の勅命により和睦となるのだが、これも実は五摂家筆頭・近衛氏とのパイプを持つ伴長信の策略によるものという設定になっている。
実在の人物の描き方に特徴があり、森蘭丸(姜暢雄)は無邪気にして残忍な性格(劇中で羽柴秀吉が「森蘭丸は浄土真宗の門徒」と語るシーンがあるがこれは史実である)、羽柴秀吉(瀬下尚人)は日和見主義者、明智光秀は知に優れているが一本気な性格が災いしている。
また、平将門の桔梗姫伝説というものが登場し、明智光秀の家紋が桔梗であることはよく知られているため一応伏線にはなっているのだが、信長が光秀の謀反を事前に察知するということはない。
浄土真宗的な考えが展開されるということもないが、「戦いとは何か」と問いは強く打ち出されており、基本的には「良き戦いなどない」という結論で終わることになる。
ただ、平将門の怨霊は成仏することなく、次なる戦乱の時代を求めて、時代を下っていくことにはなる。将門の不気味な笑いで劇は終わる。
ウォーリー木下が演出する舞台を観るのは久しぶりであるが、ジャグリングなどを行うパフォーマンスのメンバーを多く入れるなど(ラストではちょっとした仕掛けがある)賑やかな演出を行っている。また映像を使うことで場面転換を一瞬に行う技術は興味深いが映画的であるということもいえる。それが良いことなのか悪いことなのかは保留としておくが。
ルイス・フロイスが「かごめかごめ」の歌詞はヘブライ語であると唱える場面がある。日ユ同祖論というものでよく取り上げられるものである。私自身は日ユ道祖論には懐疑的、というよりほぼ否定しているが、そういったものがあるということだけは紹介しておく。
初日ということで、演技の方は万全とまではいかなかったが、きちんとした仕上がりにはなっていた。比較的知名度の低いキャストが並んでいるが、殺陣を始めとするアクションシーンが多いため、運動神経の発達した俳優を優先して起用した結果だと思われる。
ただ、確かにお金が掛かった演出ではあるが、チケット料金はもう少し抑えても良いのではないだろうか。私は門徒だから行ったけれども、他の宗教若しくは無宗教だったら「高いので観に行かない」となったはずである。
終演後、カーテンコールに応えた陣内孝則は「トレンディ俳優の陣内孝則です」と冗談を込めた挨拶を行う。「本日はお足元のしっかりした中(大阪では雪も雨も降らなかったようだ)お越し下さいまして誠にありがというございます。本日はシリアスな劇でしたので、最後は和んで頂くためにパントマイムを行います。ご当地、後藤ひろひと氏から伝授された『カブトムシで脱臼』」と言って、左腕に乗せたカブトムシを上へと這わせる様を見ているうちに無理な姿勢になって脱臼するというパフォーマンスを行った。
その後、陣内は諸星和己に、「SMAPについてコメントを」と無茶ぶり。諸星はジャニーズ事務所の光GENJI出身であるがジャニーズを離れて20年以上経つということもあって、「「『カブトムシで脱臼』から『SMAPが号泣』」とボケた後で、「知ったこちゃない!」と言う。その後、「みなさん一人一人の幸せな人生、幸せになれる道を見つけて下さい」と言った諸星は「締めに良いこというなあ」と自画自賛するが、陣内孝則が、「明日はまた別のストーリーとなっております。別のお話を楽しむために明日も」とどう考えても出鱈目を言い始めてしまったため、銃を差し向けて「いい加減にしろ!」と止めていた。
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