コンサートの記(230) 広上淳一指揮 第11回・京都市ジュニアオーケストラコンサート
京都市ジュニアオーケストラは、10歳から22歳までの京都市在住・通学の青少年を対象にオーディションで選抜されたメンバーからなるオーケストラ。年1回定期演奏会を行うほか、京都市交響楽団とのコラボレーションなども行われる。オーディションは毎年開催され、メンバーも変わる。演奏の指導は京都市交響楽団のメンバーが行い、合奏指導として大谷麻由美と水戸博之の二人の指揮者がアンサンブルを整えてから広上にバトンタッチする。
曲目は、スメタナの「わが祖国」より交響詩「モルダウ」、ドビュッシー(ビュッセル編曲)の「小組曲」、チャイコフスキーの交響曲第5番。
全席自由1000円ということで、開場前には長蛇の列が出来ていた。京都コンサートホール内は螺旋状の構造になっているため、ぐるりとスロープを回った後の人々は螺旋の中にある1階の円形広場を逆回転で並ぶことになる。ちなみに今日はチケット完売であるが、京都市ジュニアオーケストラのコンサートチケットが完売になったのは今日が初めてであるという。
なお、京都コンサートホールへの入場者が500万人に達したそうで、500万人目に選ばれた方が、ホワイエに設けられた金屏風の前で広上淳一らと共に記念撮影を行っていた。
オーディションで選ばれたとはいえ、まだ若く、オーケストラの経験もない人達による演奏ということでここ数年は京都市ジュニアオーケストラの演奏会は避けていたのだが、今年は曲目が面白そうなので出掛けてみた。
開演前と休憩中にロビーコンサートがあり、京都市ジュニアオーケストラのメンバーが室内楽を演奏するのだが、弦楽パートは音の線が細く心配になる(演奏したのはグリーグの「ホルベアの時代から(ホルベア組曲)」)。タンバリンのアンサンブルやグロッケンシュピールとシロフォンのデュオなどもあったが、リズム感は若い人達の方が良いはずなので良い出来であった。
1曲ごとにコンサートミストレスが変わる(今日は3人とも女の子であった)。メンバーはやはり圧倒的に女子が多い。日本では音楽の習い事をすること自体が「女子のするもの」で、男子はスポーツなどをするのが「男らしい」とされているため、特にクラシックの音楽に取り組んでいる性別比率では、女子が男子を何倍も上回るはずである。
若い子達なので、結構キラキラ系の名前の人達もいる。そもそも何と読むのかわからない名前も多い。ちなみに最年少は11歳の子だが、名前の読み方がわからず、下から2番目の12歳の子はなんと雪舟という名前である。
スメタナの交響詩「モルダウ」。弦の響きはやはり薄かったが、その代わりに輝きがあり、広上の音運びの上手さも手伝ってなかなかの演奏になる。叙情味や迫力にも欠けていない。
ドビュッシー(ビュッセル編曲)の「小組曲」。ちなみに交響詩「モルダウ」でコンサートミストレスを務めた子は首席第2ヴァイオリンの位置に変わった。
出だしは不調。管楽器はメカニックが今一つだし、弦の響きも暗め。だが、急激に体制を立て直し、弦の色合いが色彩豊かなものへと変わる。
いつも指揮している相手ではないので、広上の指揮も京響を指揮している時とは違うだろうと思っていたが、実際は外連こそ抑え気味ではあったものの広上らしい独特の指揮であった。指揮棒を左首のところで押さえてからさっと右に払うことでリズム処理と「ため」、音の拡がりの3つを同時に生む指揮などは巧みで、「へえ、こういう振り方もあるのか」と感心する。
休憩時間のロビーコンサートでは、ハルヴォルセンの「ヴァイオリンとヴィオラのためのヘンデルの主題によるパッサカリア」を演奏。二人とも巧みな演奏を披露した。
メインであるチャイコフスキーの交響曲第5番。鬼門の多い曲である。まず第2楽章のホルンソロ。美しいソロなのだが最高難度が要求されるためキークス(音外し)が起きやすく、いつもハラハラさせられる場面である。そして第4楽章の疑似ラスト。エストニアの女性指揮者であるアヌ・タリが客演した時の京響の定期演奏会ではここで「ブラボー!」を発してしまった人がいた。
広上は速めのテンポを採用し、基本的にペシミスティックな演奏を展開する。
第2楽章のホルンソロでは冒頭にキークスがあったが、それ以外は見事な演奏が行われる。
広上は第4楽章冒頭を堂々とではなく、ためらいがちにスタート。凱歌という解釈ではないようだ。その後も夢の中での出来事のような描き方がなされ、疑似ラストで夢は破れる。そしてその後もやはり凱歌という解釈は採っていない。「これでいいのか?」と悩みつつも進み、ラストの「ベートーヴェンの運命動機」と同じ音型(ジャジャジャジャン)を迎える。「悲愴」を「やはり自殺交響曲」と解釈する演奏が現れており、チャイコフスキーの交響曲第5番第4楽章の凱歌とされたメロディーも見直しが進んでいるのだろう。
京都コンサートホールはステージの最後部を一番上まで挙げ、手前に向かって徐々に下ろして行く擂り鉢方の配置にしてから残響が長くなり、今日も広上はゲネラルパウゼを長めに取ったが、それでも響きが消えないまま演奏を再開することになった。残響の長さはステージ両サイドの席や3階席などでは確認出来ていたのだが、それが1階席でもわかるようになっている。
アンコール演奏の前に、合奏指導をした指揮者の大谷麻由美と水戸博之が京都市ジュニアオーケストラから(広上「AKB48ではありませんが」)卒業ということで、紹介をされる。大谷麻由美(近畿大学商経学部卒業後、社会人を経て31歳で京都市立芸術大学指揮専攻に入学という変わった経歴を持つ)は紀尾井シンフォニエッタ東京の指揮者研究員になり、京都市交響楽団と定期演奏会以外での共演を重ねている水戸博之(東京音楽大学及び大学院出身であり、広上の弟子である)は、日本人作曲家の作品だけを演奏しているオーケストラ・トリプティークの常任指揮者をすでに務めており、NHK交響楽団や東京フィルハーモニー交響楽団を指揮した経験もあって他のオーケストラからも声が掛かっているそうだ。
広上は、「私の職業は司会者ではないのですが」と言いつつ二人にインタビュー。大谷が「敷居の低い指揮者になりたい」と言うのを聞いて、「指揮? 敷居? 駄洒落?」と言って笑いを誘う。大谷は「大指揮者ではなく、一般人の人にもクラシック音楽を届けられるような、裾野を開拓するような指揮者」と説明すると、広上が「ああ私のような指揮者ね」と言って更に笑いを取る。水戸博之には京都市ジュニアオーケストラとの思い出を語って貰うが、水戸はピアニカを手にしており、広上が「彼が持っている楽器は私のです」と紹介。水戸がピアニカを掲げるが、「挙げなくていいから。早くちょーだい」と言って、今日も広上の独擅場である。
アンコールは、ドヌーヴの「コッペリア」より“マズルカ”であるが、指揮のバトンタッチを行い、大谷がまず指揮を始め、途中から指揮者が水戸に交代。ラストは二人で指揮台に立って指揮を行うという。
その間、広上はステージ下手に陣取ってピアニカを吹く。ピアニカは音が小さいのでほとんど聞こえないのだが、広上は首をグルグル回しながらの熱演である。
大谷が指揮を開始。拍をきちんと刻むオーソドックスな指揮スタイルである。途中まで来たところで、水戸が上手袖からダッシュで指揮台に向かい、指揮交代。水戸は広上の弟子ということもあってか、大谷とは好対照の外連味溢れる指揮。指揮棒は最初の1拍を示すだけで後は左手を用いたり、ある程度オーケストラに任せたりする。ジャンプも行う。
ラストは指揮スタイルの違う二人がそれぞれに指揮するとオーケストラが戸惑うということで、事前に打ち合わせておいた同じ身振り手振りで指揮を行った。
音楽であるが、やはりというか何というか、指揮姿そのものの演奏になるのが面白い。
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