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2016年3月26日 (土)

コンサートの記(234) 高関健指揮京都市交響楽団第599回定期演奏会

2016年3月13日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から京都コンサートホールで、京都市交響楽団の第599回定期演奏会を聴く。今日の指揮者は京都市交響楽団常任首席客演指揮者の高関健。

マーラーの交響曲第6番「悲劇的」、1曲勝負である。

開演20分前から高関健によるプレトークがある。高関は、「マーラーの交響曲第6番は、交響曲の中でおそらく最長だと思われます。マーラーの交響曲第3番は100分でこれよりも長いですが、こちらは6楽章からなる交響曲でして、伝統的な4楽章の交響曲としては6番が最も長いものだと思われます」とまず「悲劇的」交響曲の長さについて触れる。さらに「今日はステージの上に110人編成。私が111人目になりますが」と編成の大きさにも触れる。更に今日は2010年出版クビーク新校訂板の楽譜を使うのだが、高関が自身の判断で筆を加えた楽譜を用いるという。音符を動かしたり足したりということではなく、バランス面に関して手を加えたという。今日もP席で聴いたのだが、打楽器奏者や管楽器奏者の楽譜に、【高関版】と印刷されているのが目に入った。
マーラーの交響曲第6番「悲劇的」は、第2楽章と第3楽章の順番が入れ替わることがある。第2楽章にスケルツォ、第3楽章にアンダンテが来る場合が多いのだが、マーラーはエッセンでの初演の際は第2楽章アンダンテ、第3楽章スケルツォで演奏している。実はマーラー自身も第2楽章と第3楽章の順番でかなり悩んだそうで、当時、マーラーのアシスタントをしていたプリングスハイム(のちに東京音楽学校の作曲科教員となり、日本におけるマーラー作品の伝道師的立場となる)にも何度も相談したそうだ。書き始めたのはスケルツォの方が早いことはわかっているのだが、実際に書き上げてみると、「アンダンテが先の方が良いのではないか」とも思ったようである。初演のリハーサルでは第2楽章スケルツォ、第3楽章アンダンテであったが、演奏会では順番が入れ替わったという。高関によると交響曲第6番「悲劇的」の初演は客席の大半を音楽関係者が占めるという特別な演奏会だったということもあり、すでに楽譜が印刷されて、批評家に配られたり、聴衆に販売されている中での初演だったそうである。そしてパンフレットには第2楽章と第3楽章が入れ替わる旨が書かれた紙が挿入されていたという。ちなみに客席には著名な作曲家もいたが、リヒャルト・シュトラウスなどはこの曲の良さがわからなかったそうである。

マーラーは「悲劇的」を3回指揮しており、2度目のミュンヘンでの演奏でも第2楽章アンダンテ、第3楽章スケルツォであったが、3度目、自らの本拠地であるウィーンでは、第2楽章スケルツォ、第3楽章アンダンテにした、と思われていたが、実際に調べてみるとウィーンでも第2楽章アンダンテ、第3楽章スケルツォであったことがわかったという。
マーラーの未亡人であるアルマ・マーラーは第2楽章スケルツォ、第3楽章アンダンテで演奏するよう指揮者に求め、マーラー協会が1962年に第2楽章スケルツォ、第3楽章アンダンテで楽譜を出版。以後はこれが定番になってきたが、2003年にマーラー協会は第2楽章アンダンテ、第3楽章スケルツォが正しかったと発表。以後、出版された楽譜は2003年のマーラー協会の見解に従っている。今回の演奏会でも第2楽章はアンダンテ、第3楽章がスケルツォである。

マーラーの交響曲第6番「悲劇的」は、大植英次指揮大阪フィルハーモニー交響楽団の演奏会で2度聴いたことがあるが、いずれも第2楽章スケルツォ、第3楽章アンダンテ版だったので、逆になった演奏を生で聴くのは初めてになる。
今日のコンサートマスターは客演コンサートマスターの荒井英治。2月のセンチュリー響に続き、京響にも登場である。渡邊穣は降り番で、フォアシュピーラーに泉原隆志。
ヴァイオリン両翼の古典配置による演奏。ステージが楽器と楽団員で一杯のため、高関は一度ステージから降りて客席最前列の前を通り、階段を昇ってからステージと指揮台に上がる。
チェレスタは今岡淑子と佐竹裕介が1台ずつ弾く。高関によるとマーラーは「何台でも良い。多ければ多いほど良い」と書いているそうだが、バランスを考えて2台が良いと高関は考えたようだ。

京都市交響楽団の音の輝きと力強さが印象的である。高関の音楽作りは流れよりもブロックごとに分けて積み上げていくような構造重視のもの。バランス感覚に優れ、過不足のない演奏が展開される。

第2楽章と第3楽章の交替であるが、個人的には第2楽章スケルツォ、第3楽章アンダンテの方がピッタリくるように思われるが、それはそういう演奏に慣れているためかも知れず、一度きりの演奏会体験でどちらが良いか即断出来るものではない。

パワフルにして密度の濃い演奏で、高関の実力を堪能することが出来たが、好みでいうと大植英次の「悲劇的」の方が私は好きである。大植さんの演奏はよりエモーショナルだ。

その大植英次と大学時代からの友人、高関健とは高校時代からの友人だという京響フルート首席奏者の清水信貴が今回の演奏会をもって京都市交響楽団から卒団となる。京響入団は1986年、それ以前には読売日本交響楽団に8年在籍しており、40年近くのオーケストラ生活となったという。大植英次と同い年のはずなので、定年退職ということになる。今後はソロや室内楽での活動、後身の育成、そして指揮者としての活動にも力を入れる予定だという。

卒団者がもう一人。2011年に入ったばかりの副主席ホルン奏者の水無瀬一成である。ステップアップのための退団であるという。

清水と水無瀬は高関に指揮台付近に呼ばれ、同じパートのメンバーから花束を受け取る。フルートパート3人は全員女性であるが、みな清水との別れに涙を流していた。

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