追悼・蜷川幸雄 観劇感想精選(184) 三島由紀夫:作、蜷川幸雄:演出 「我が友ヒットラー」
午後7時から、大阪・京橋のイオン化粧品シアターBRAVA!で、ミシマダブル「我が友ヒットラー」を観る。演出:蜷川幸雄。
三島由紀夫の書いた戯曲で一対の作品とされる「我が友ヒットラー」と「サド侯爵夫人」を同一キャストで行おうという試み。いずれも小説家の書いた戯曲らしく膨大な量のセリフのある作品で、一作品の上演だけでも大変なのに二作品をそれも同一キャストで行おうという大胆な企画である。蜷川幸雄も相当来てしまったのか、余命少ないと見て勝負に出たのか。
「我が友ヒットラー」。ナチスドイツの独裁者アドルフ・ヒットラーの冷酷さのみならず、人間的な側面にも迫った作品である。ヒットラーを演じるのは生田斗真。出演は、その他に東山紀之、木場勝巳、平幹次郎。
平舞台にシャンデリアが吊られているだけの舞台。開演と同時に最近の蜷川演出ではおなじみになった巨大な鏡と、バルコニーのセットが運ばれてくる。
3幕からなり、第1幕ではヒットラー(生田斗真)が演説する首相官邸のバルコニーの背後の部屋で、武器商のクルップ(平幹二郎)がエルンスト・レーム(東山紀之)と対談している。ヒットラー首相の友人であるエルンストはヒットラーとの思い出を語り、ヒンデンブルク大統領から大統領の座を奪う気合いを見せる。エルンストは自らが率いる300人の突撃隊がその鍵を握ることになるだろうと自信満々だ。
演説を終えたヒットラーだが、この劇でのヒットラーは人間的な弱さを見せ、不安を口にする。
第2幕ははヒットラーとエルンストの談笑場面から始まり、ヒットラーはエルンストに夏の間の休暇を持ちかけ、エルンストもそれを了承する。
ヒットラーが去った後で、ナチス左派のシュトラッサー(木場勝巳)がエルンストにヒットラーと離れて自分と組まないかと持ちかける。シュトラッサーは「ヒットラーはエルンストと突撃隊を裏切ることになるだろう」と断言するが、エルンストは「ヒットラーは自分の親友で裏切ることなどあり得ない」とシュトラッサーをなじる。しかし、ヒットラーはエルンストを怖れていた。
第3幕。エルンスト・レームとシュトラッサーらが粛正され(長いナイフの夜事件)、クルップとヒットラーとの対談の場面となる。クルップはヒットラーに犠牲者の銃殺される音が聞こえるといい、ヒットラーにその音を聞くように勧め、彼を誉める。ヒットラーは「政治は中道を行かねばなりません」と宣言して幕を迎える。
文学的修辞の多用された作品で、一つのセリフの始まりから終わりまでがかなりの紆余曲折を経るため、集中力をかなり使わないと筋が終えなくなるやっかいな作品である。
膨大な量のセリフを的確にリズム良くハキハキと発するエルンスト・レーム役の東山紀之の演技は一回セリフを噛んだだけでほぼ完璧の出来。非常に理知的な演技で、長ゼリフを次々と繰り出す様は人間業とは思えないほどだ。生田斗真は東山紀之とは正反対の憑依タイプの優れた演技を見せ、一カ所で演技が過多になった他は(あの場面は本人も納得がいっていないだろう)傷が見られない。ジャニーズ事務所の指導の厳しさとジャニーズタレントの並々ならぬプロ根性が伝わってくる。
膨大な量のセリフを聞いていると、言葉という化け物に呑み込まれそうな気がする。その言葉の魅力は妖しく強烈だ。ヒットラーは演説の天才だったが、やはりこのような言葉の魔術の使い方に長けた人物だったのだろう。言葉の怖さが伝わってくる演劇でもある。
ヒットラーは元々は画家志望だった。才能は十分ではなかったが芸術家の気質はあったのだろう。あるいは演劇的な才能もあったのかも知れない。演劇と演説の巧みさとは隣接している。言葉と同時に演劇の怖ろしさも伝わってくる上演であった。
東北地方太平洋沖地震の起きた日の上演である。出演者は芸能人だけに東北地方の知り合いも多いだろうが、プロの演技を見せてくれた。感謝したい。
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