観劇感想精選(186) 「イニシュマン島のビリー」
2016年4月23日 梅田芸術劇場シアター・ドラマシティにて観劇
午後5時30分から梅田芸術劇場シアター・ドラマシティで、「イニシュマン島のビリー」を観る。15分の途中休憩を含んで上演時間2時間55分。ポストトークも含めると約3時間半の大作である。
作は、「ウィー・トーマス」、「ビューティー・クィーン・オブ・リナーン」のマーティン・マクドナー(テキスト日本語訳:目黒条)、演出は演劇集団円の森新太郎。
出演は、古川雄輝、鈴木杏、柄本時生、山西惇(やまにし・あつし)、峯村リエ、平田敦子、小林正寛、藤木孝、江波杏子。
祖国アイルランドを舞台に、重厚な作風による演劇を展開しているマーティン・マクドナー(マクドナーはイギリスとアイルランドの二重国籍である)。今回も重苦しいが、ただ暗いだけの舞台にはなっていない。
ガーシュウィンのプレリュード第2番が流れ、溶暗してスタート。
1934年、アイルランド・アラン諸島、イニシュマン島が舞台。雑貨店を営むアイリーン(平田敦子)とケイト(峯村リエ)は、孤児のビリー(古川雄輝)を育てている。ビリーは生まれつき体が不自由であり、舞台上では放送禁止用語である「びっこ」のビリーという言葉が用いられている。
ビリーの外出中、ケイトとアイリーンはビリーについて話している。ビリーは体が不自由だが、牛をずっと見つめていたり本を読んだりするのが好きだという。
町の情報屋であるジョニーパティーンマイク(山西惇)は雑貨屋にニュースを届けに来る。大抵はどうでもいいニュースなのだが、アメリカの映画会社がイニシュモア島に撮影に来るというニュースはビッグニュースである。ちなみにイニシュマン島の住人はアイルランドは世界から相手にされていないと感じているようで、「フランスからの移民がいるということはアイルランドも大したもんなんじゃない」、「アメリカの映画会社が撮影に来るなんてアイルランドも大したものなんじゃない」というようなことを言っている。
ビリーの幼なじみであるヘレン(鈴木杏)とヘレンの弟で発達障害を抱えているバートリー(柄本時生)は、イニシュモア島で行われる映画のロケに参加する気満々である。
ちょっとはすっぱで男っぽいところのあるヘレンは漁師のバビーボビー(小林正寛)に「キスしてあげる」と嘘をついて、イニシュマン島からイニシュモア島まで渡ろうとしていた。弟のバートリーも同乗。だが、ビリーもまたイニシュモア島での映画撮影に参加したいという希望を持っていた。そして自分は結核で、島を出る機会はこれが最後だから」とバビーボビーを説き伏せ、イニシュモア島への渡海に成功する。
3ヶ月後、ヘレンもバートリーもオーディションに落ちて、イニシュマン島に戻っているが、ビリーは戻ってきていない。アイリーンとケイトの姉妹は心配し(ケイトは石に語りかけるという妙な趣味がある)ているのだが、実はビリーはオーディションに合格し、スクリーンテストを受けるためにハリウッドに渡っていたのだ。
結核の発作に悩まされながら、ホテルの一室で懊悩を語るビリーのシーン。だが実はこれはビリーがオーディションに備えて行っていた一人稽古だということが後にわかる。
ビリーの両親はビリーが生まれてすぐに亡くなっていた。自殺したという話だったが詳しいことは誰も語らない。
ジョニーパティーンマイクは、アヒルと猫が行方不明になっているという話をし、実は両方ともヘレンが殺したのではないかという疑惑を抱いている。
一方、ジョニーパティーンマイクの母親であるミセス・オドゥガール(江波杏子)は病床にあったが至って元気。ただアル中である。ミセス・オドゥガールに「面白い話はないか」と聞かれたジョニーパティーンマイクは、「ドイツでちょび髭の男(劇中で名前が出てくることはないがアドルフ・ヒトラーである)が躍進中だそうだ。しかし、このちょび髭が気に入らん。きちんと剃るか増やすかはっきりしろ」などと言う。
ビリーがハリウッドから戻ってくる。オーディションでは結局、びっこの演技の出来る健常者が通り、演技の出来ない本物びっこのビリーは落ちたのだ。
ビリーはヘレンに気があるのだが、ヘレンは乗ろうとしない。一方、バートリーは望遠鏡に異様なほどの執着心を持っていた(一つのことに執着するのは発達障害者の特徴の一つである)。
ヘレンは、「イギリスとアイルランドの関係を示してみせる」と言って、弟のバートリーの頭を卵まみれにする。なお、ヘレンは卵屋で働いていたのだが、遅刻、卵の割りすぎ、卵焼きの蹴りすぎなどで首になっている。
ヘレンにフラれたビリーを見て、ケイトとアイリーンは、「ヘレンよりももっとレベルの低い女性を探さないと」というゴシップに夢中。「顔はブタみたいなので構わない」などと、もう無茶苦茶である。
イニシュモア島で撮影された映画「アラン(アラン諸島の人々)」が上映される。この映画は島民達には余り受けが良くないようだ。特にヘレンは頭にきてスクリーンに卵を投げつける。
結核ということが嘘だとばれ、バビーボビーにリンチに遭うビリー。もう希望も何もなくなった。と思ったが、なんとヘレンがビリーのことを好きになってくれた。最初は「キスとか触ったりとかは駄目だぞ」と言ったヘレンだったが、すぐに「キスとか触ったりとかはあんまり駄目だぞ」と緩くなり、ビリーが油断している間に唇を奪う(鈴木杏のキスの仕方が余りに巧みだったので、客席から「はっ」と息を飲む音が聞こえる)。
ヘレンとの未来に希望を見いだしたビリーであったが、実は本当に結核に体を冒されていた。この先ビリーを待ち受けるのは何なのか、はっきりとは描かれないまま劇は終わる。
「びっこ」であるという劣等感を徐々に乗り越え(「『びっこのビリー』ではなく普通にビリーと呼んでくれ」というセリフがある)、障害者であったとしても別嬪のヘレンと恋仲になれそうである。だが結核という新たな障害が横たわっている。ラストシーンは明るくはない。
回転舞台を使うなど、比較的大がかりなセットを用いている。場面転換も多い。
今でこそ独立国で、独自の文化の発信地としても知られるアイルランドであるが、長い間イギリスの植民地となっており、1934年当時もまだ対等な連盟国扱いであった。
「ビューティー・クィーン・オブ・リナーン」では、イギリス人によるアイルランド人差別が描かれていたが、「イニシュマン島のビリー」では英愛間での葛藤は前面に出ていない(ヘレンの卵かけのいたずらで示されるだけである)。一方で、ビリーが持つ障害が前面に出てきている。
人々が語るところによると、ビリーの両親はビリーが障害者であることを知って自殺した、だが何のためにかは明らかにしてくれなかった。ジョニーパティーンマイクは、ビリーに「君たちの両親は、砂袋に石を積めて船に乗せて乗り込んだ。自分たちに100ポンドの生命保険を掛けて。そして二人の生命保険により君は育つことが出来た」というような話をする。だがこれは嘘であった。ビリーを傷つけまいと思ってついた嘘だ。真実はもって冷酷だった。ビリーの両親は障害者であるビリーに石の入った袋をくくりつけて沈めようとして、誤って二人の方が海中に転落したのだ。ビリーは両親に殺されるところだったのである。
殺されるはずが生き延びたこの命。ビリーは呪いめいたものを感じながら立ちすくむしかなかった。
惨敗に終わった昨年の大河ドラマ「花燃ゆ」で、唯一、女優としての確固とした成長を見せるという明るい話題を提供した鈴木杏ががさつなところのあるヘレンを好演。
エキセントリックなキャラクターであるバートリーを演じた柄本時生は彼自身もエキセントリックということもあって様になっていた。繊細な演技をみせた古川雄輝も健闘していた。
終演後、古川雄輝、鈴木杏、柄本時生によるポストトークがある。
演出の森新太郎が、とにかく細かな指示を出す演出家だそうで、腕の組み方までも一々指示するそうである。ただ動きが制限されることで逆に他の部分が自由に表現出来るようになったりすることがあるそうだ。
鈴木杏が、大阪初日(つまり今朝であるが)に楽屋に入ったときに、森から手紙が届いていたので「なんだろう?」と思ったら東京公演千秋楽の駄目出しが書き連ねてあったという。
ちなみに、今日は1日2回公演であるが、まず1回目の前に稽古をし、次の公演までの合間にも稽古を行ったそうで、明日も大阪公演はあるが、朝から稽古が入っているという。
ヘレンがビリーの唇を奪うシーンでは、今日は女性が息を飲むのが聞こえたが、息を飲む音が聞こえたのは東京初日以来だそうである。だが、鈴木杏によると、「あ!」と声が上がった日があったそうで、その日は、「私、舞台終わってから(古川のファンに)刺されたらどうしよう」と思ったそうである。
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