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2016年6月18日 (土)

観劇感想精選(187) 「琉球舞踊と組踊」春秋座特別公演2016

2016年6月5日 京都芸術劇場春秋座にて観劇

午後2時から京都芸術劇場春秋座で、「琉球舞踊と組踊」春秋座特別公演を観る。国立劇場おきなわとの共催公演である。

大和でも親しまれるようになっている琉球舞踊と、沖縄(琉球、ウチナー、うるま)版音楽劇である組踊が上演される。

私の出身地である千葉、現在住んでいる京都、良く行く大阪、いずれも沖縄とは縁の深い場所である。沖縄出身者が多い土地でもある。特に大阪市大正区は住民の4分の1が沖縄からの移住者という場所でもある。
京都でも元・立誠小学校で沖縄からの移住者による演舞が行われたりしており、沖縄料理専門店もいくつかあって私もたまに行く。

それはともかくとして沖縄の芸術。私は高校1年生の時に坂本龍一の沖縄音楽もフィーチャーしたアルバム「Beauty」を聴いたのが沖縄文化に興味を持ったきっかけである。その後、沖縄を舞台にした映画(「ナビィの恋」など)を観たり、演劇に接したりなどしてきた。沖縄の伝統音楽のCDなども聴いている。
ただ、琉球舞踊を本格的に観たことはなかったので、出掛けてみた。


演目は、琉球の古典舞踊である老人踊「かぎやで風(かじゃでぃふう)」、古典舞踊の女踊「天川(あまかー)」、廃藩置県後に生まれた比較的新しい舞踊である雑踊(ぞうおどり)の「加那よー」、成人男性が舞う演劇の舞踊である二才踊(にーせーおどり)「高平良万歳(たかでーらまんざい)」、雑踊「谷茶前(たんちゃめー)」、組踊(沖縄版音楽劇)「銘苅子(めかるしー)」


まず、国立劇場おきなわ芸術監督の嘉数道彦(かかず・みちひこ)による解説とお話がある。嘉数はウチナーグチで挨拶して、「沖縄の言葉だし、字幕も出ないしちんぷんかんぷんだと思いますが」と言った後で、ヤマトグチで再び同じ意味の挨拶をする。
国立劇場おきなわには、東京の国立劇場や新国立劇場と同様に研修所が設けられており、今日の出演者の中にも国立劇場おきなわ組踊研修所出身の若手がいる。
近畿地方が梅雨入りしたが(ただ今日の京都は午後から晴れ)、嘉数によると沖縄はもうすぐ梅雨明けで、今日もかんかん照りだそうである。
嘉数による沖縄舞踊の解説。まず琉球の宮廷時代に生まれた古典踊、廃藩置県後に生まれた雑踊、戦後に生まれた創作舞踊の三種類からなると説明する。古典踊は貴族階級が楽しんだものであるが、雑踊は庶民階級が中心になって生み出されたものであり、創作舞踊になると現代の芸術家が創造の担い手になっているという。
なお、嘉数は沖縄県立芸術大学と同大学院の出身であるが、沖縄県立芸大には音楽学部に琉球芸術専攻が設けられており、沖縄舞踊や組踊を学ぶことが出来る。

「かぎやで風」であるが、これは沖縄ではお祝いの時に歌って踊られるものだそうで(老人踊とは老人が踊るのではなく祝儀舞のことだという)、沖縄では親戚の中に誰かしら「かぎやで風」を踊れる人がいて、誰かしら伴奏を弾ける人がいるそうである。嘉数は「いつか『秘密のケンミンSHOW』で取り上げられるものだと待っておりますが」と冗談を交える。ちなみに琉球舞踊は琉球王朝時代は士族階級の男性のみが舞うもので、女踊も日本でいう女形の踊りであったのだが、今は女性の琉球舞踊家も沢山おり、今日は「天川」と「加那よー」は女性の舞踊家が舞う。
ちなみに音楽劇である組踊は全員、男性の演じ手であったが、組踊は基本的に男性のみで演じられるもので、これは洋の東西を問わず、古典舞台の原則であり、今でもそれを守っているという。西洋演劇はいち早く女優制度を取り入れ、中国の京劇も今は女の役は女優が歌って演じているが、日本は歌舞伎でも組踊でも歴史を大切にしている(歌舞伎でも一部は女優の出演可のものがあり、2000年に生まれた現代版組踊は従来の組踊とは一線を画して女優でも演じられるようだが)。


老人踊「かぎやで風(かじゃでぃふう)」。謡いはウチナーグチによって行われるのだが、話し言葉であるウチナーグチでもなく、ヤマトグチでもなく、日本の古文調でもないという独特の歌詞である。無料パンフレットに歌詞と大和言葉訳が書いてあるのだが、日本語と沖縄の言葉がごっちゃになったもので、聞いただけでは内容がわからないだろう。またタイトルからもわかる通り、漢字もそして平仮名ですら標準語とは異なった読み方をする。なお、組踊では舞台の上手下手両側に電光の現代日本語訳字幕が出たのだが、琉球舞踊では字幕は用いられなかった。
「かぎやで風」を踊るのは嘉手苅林一(かでかる・りんいち)と儀保政彦(ぎぼ・まさひこ)の二人。男女の出会いの喜びを舞うもので、儀保政彦は女形として舞う(「かぎやで風」は一人踊ることもあるが、基本的には男女二人で踊られるものらしい。男と女形、本当の男女、男装した女性ともう一人の女性などというパターンがあるようだ)。二人とも団扇を手にゆったりと舞う。

女踊「天川(あまかー)」を踊るのは嘉手苅幸代(かでかる・さちよ)。かなりゆっくりとした舞であり、「スローモーション」と書いても良いほどの動きである。「手踊り」というジャンルに含まれ、何も持たずに踊る。歌詞は内地でいう「鴛鴦の契り」を謡ったものである。

雑踊「加那よー」。廃藩置県後(琉球処分という言葉は余り使いたくないようだ)に庶民が生んだ踊りである雑踊であるが、古典踊に比べると何倍も動きが速い。いわゆる琉球舞踊と聞いて思い浮かべる踊りに近く、「仲間由紀恵が踊ってそうな」と書くとわかりやすいだろうか。歌詞はこれもまた恋の喜びをテーマにしたものである。踊るのは山城亜矢乃。

二才踊(にーせーおどり)「高平良万歳(たかでーらまんざい)。組踊「万歳敵討」の名場面を琉球舞踊に仕立てたものである。「万歳敵討」のあらすじは、父を殺された兄弟の敵討ちだそうで、「曾我兄弟」のようなものであるようだ。踊るのは佐辺良和(さなべ・よしかず。国立劇場おきなわ組踊研修修了生)。4部構成であり、歌と踊りのスタイルが変化する。

雑踊「谷茶前(たんちゃめー)」。沖縄民謡の中でもかなり有名な部類に入る「谷茶前」に合わせて踊られる、軽快な演目。踊るのは新垣悟(あらかき・さとる)と山城亜矢乃。芝居の中で踊られるもので、嘉数道彦は「高平良万歳」と「谷茶前」が演じられる前に、「手拍子、足踏みなど、強制するわけではありませんが」と語っていたが、「谷茶前」では自然な形で手拍子が起こる。


組踊「銘苅子(めかるしー)」。玉城朝薫(たまぐすく・ちょうくん)により、18世紀に作られた組踊である(初演の年は不明だが、1756年に上演されたという記録がある)。組踊とあるが、音楽に合わせて動くシーンはあるものの、踊りらしい踊りがあるわけではなく、音楽劇のことを組踊と呼んでいるようだ。
上演前に嘉数道彦の解説がある。琉球王朝は長い間、中国の王朝と冊封体制を結んでおり(一方で薩摩の島津氏に下り、江戸幕府にも従うという二重朝貢が続いた)、琉球王が変わるたびに明や清の皇帝から新国王と認めて貰うために冊封使というものを中国から招き、歓待したという。ただ当時の沖縄には資源も観光名所もなく(嘉数は「今なら美ら海水族館に案内したりするのですが」と冗談を言う)、海外交通が発達していなかった時代なので冊封使の滞在が半年にも及ぶことがあったため、何とか無聊を慰められないかということで生み出されたのが組踊であるという。創始者は「銘苅使」の作者でもある玉城朝薫(1684-1737)とされる。玉城朝薫らは芸術でおもてなしをしようという発想をしたのである。玉城朝薫が踊奉行というものに任じられたのが1718年のこと。現在でも沖縄県は芸能が盛んなところとして知られるが、300年ほど前に芸能興隆の芽吹きがあったということになる。
「銘苅子」は日本全国のみならず世界中にある羽衣伝説を題材にしたものである。銘苅子という農民の男が、天女が水浴びをしている隙に羽衣を奪い取り、天女と結婚。天女は子供を産むも結局は天へと帰るという話である。組踊の特徴は、「必ずハッピーエンドである」というところにあり、「銘苅子」でも、銘苅子と二人の子供を哀れに思った琉球王が銘苅子のもとに使者を送り、娘を首里城内に住まわせ、息子を将来出世させると約束、農民であった銘苅子も士族に取り上げられる。
「銘苅子」の出演は、嘉手苅林一(銘苅子)、宮城能鳳(みやぎ・のうほう。人間国宝指定者。天女)、眞境名正憲(まじきな・せいけん。首里城からの使者)、古堅聖尚(ふるげん・せな。銘苅子と天女の娘。子役)、宮城隆海(みやぎ・るあ。銘苅子と天女の息子。子役)、佐辺良和、新垣悟、儀保政彦。

背後には天女が羽衣を掛ける松の木。能や歌舞伎とは違って左右に枝を拡げておらず、岩に沿って真っ直ぐに生えているが、これは背後に階段があり、天女が天へと帰る時に階段を昇っていくという仕掛けがあるためでもある。

地謡は、西江喜春(にしえ・きしゅん。人間国宝指定者。歌三線)、玉城和樹(たましろ・かずき。歌三線。国立劇場おきなわ組踊研修修了生)、大城貴幸(おおしろ・たかゆき。歌三線国立劇場おきなわ組踊研修修了生)、池間北斗(箏。国立劇場おきなわ組踊研修修了生)、宮城英夫(笛)、又吉真也(胡弓。いわゆる二胡ではなく小型のものである)、比嘉聰(ひが・さとし。太鼓)


ダイアローグよりもモノローグの方が多く、思ったことを全て語るというスタイル。銘苅子は登場して自分で名乗り、能と同じスタイルである。歌も旋律が同じものが何回も繰り返される。
清国からの使者をもてなすために作られた作品であるが、清国からの冊封使はウチナーグチはわからない。ということで、言葉がわからなくてもなんとなく伝わりそうなスタイルが取られているのだと思われる。先に書いたとおり、今日は大和言葉訳が上手下手両方に電光字幕で表示される。

嘉数の解説によると、中国の人は儒教を大切にするということで、「忠孝」が内容に盛り込まれており、また琉球王室の寛大さなどが冊封使にわかるようアピールされているという。

演者の動きやセリフはゆっくりなのだが、展開は異様に速い。銘苅子は羽衣を取り上げるとすぐに天女に結婚を迫るし、二人が退場してしばらくすると、天女が9歳の娘と5歳の娘を連れて出てきてしまう。あっという間に10年ほどが経っているのである。
その代わり、「情」を前面に出す場面では徹底して時間を掛け、丁寧に描く。天女と子供の別れの場面はじっくりと描かれる。情が勝ちすぎていて理が後退しているようにも感じられるが、それは現代人の感覚なのかも知れない。
首里城(この作品では「しゅりぐすく」と呼ばれる。ヤマトグチの「じょう」に読み替えるということはされていない)からの使者がやって来て、銘苅子の娘を首里城内で育て、銘苅子の息子の将来の出世を約束し、銘苅子は士族に取り立てられるという突然のハッピーエンドになって、首里城からの使者が「機械仕掛けの神」と同様の役割を担っていることがわかる。洋の東西を問わず、考えることは大体同じらしい。ただ冷静に考えると、母をなくした子供の寂しさは解消されることはないので、「? ハッピーエンド???」なわけなのだが、そのへんは「てーげーやさ」なのだろうか。冊封使に「琉球というのはこんなにも慈悲深い王朝なのですよ」とアピールするのが第一だったので、現代の観客は深く考えない方が良いのかも知れない。

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