コンサートの記(245) サッシャ・ゲッツェル指揮 京都市交響楽団第601回定期演奏会
現在はボルサン・イスタンブール・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督であり、神奈川フィルハーモニー管弦楽団の首席客演指揮者でもある。今後、東京二期会の歌劇「フィガロの結婚」でタクトを執る予定である。
曲目は、ニコライの歌劇「ウィンザーの陽気な女房たち」序曲、モーツァルトのフルート協奏曲第1番(フルート独奏:ワルター・アウアー)、バルトークのバレエ組曲「中国の不思議な役人」、ラヴェルの「ラ・ヴァルス」。
開演20分前から指揮者のゲッツェルによるプレトークがある(英語でのスピーチ。通訳:尾池博子)。
ゲッツェルはまず、京都の自然の美しさを褒め、ウィーンとの共通点であるとする(もっとも京都の街中は「公園」という概念のなかった昔ながら街なので自然は少ないが)。
そしてプログラムにもウィーンという縦糸を通していると語る。歌劇「ウィンザーの陽気な女房たち」序曲を書いたオットー・ニコライはウィーン・フィル創設に尽力した一人である。
ウィーンで作曲活動を行ったモーツァルトのフルート協奏曲第1番のソリストはウィーン・フィルのソロ・フルート奏者であるワルター・アウアー。
一端、脇道に逸れ、20世紀に入って、自分の出自を探るような音楽を作った人物としてバルトークの作品が演奏される。そして、ラヴェルの「ラ・ヴァルス」。ラヴェルはフランス人だが、「ラ・ヴァルス」はウィンナワルツへのオマージュということで、再びウィーンへの回帰となるとゲッツェルは説明する。
前半のニコライとモーツァルトは変わった編成での演奏。弦楽器の並びが下手手前から時計回りに、第1ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、第2ヴァイオリンとなっている。コントラバスはチェロの後ろにいる。丁度、ドイツ式の現代配置の第2ヴァイオリンとヴィオラを入れ替えた編成である。なおホルンはニコライでは舞台上手で、モーツァルトでは舞台下手に移動して演奏した。
今日のコンサートマスターは泉原隆志。フォアシュピーラーに渡邊穣。オーボエ首席奏者の髙山郁子は全編に出演。フルート首席には今日は客演首席奏者としてザビエル・ラックが入る(バルトークからの出演)。クラリネット首席の小谷口直子(元々ショートカットだったが更に短くしてボーイッシュな髪型になっている)もバルトークからの出演である。
ニコライの歌劇「ウィンザーの陽気な女房たち」序曲。ゲッツェルの指揮スタイルであるが、指揮棒の振り幅は小さく、全体的にエレガントな雰囲気が漂う。また指示はとてもわかりやすい。
京響の丁寧なアンサンブルを生かし、盛り上げるところでは思いっきり盛り上げるというスタイルである。見通しが良く、五月の風の薫るような演奏であった。
モーツァルトのフルート協奏曲第1番。ワルター・アウアーは、音の輝きや技巧の面では先日聴いたエマニュエル・パユには敵わないが、上品で自然体な演奏を披露する。
アウアーもゲッツェルもウィーン・フィルという共通項を持っており、おそらく共演も多いのだろう。アウアーが第1ヴァイオリンに指示し、その間にゲッツェルが第2ヴァイオリンやチェロを指揮するという共同作業も見られた。
派手さはないが実力派であるアウアー。アンコールとしてパガニーニの「24のカプリース」より第11番(フルート編曲版)を吹いた。
バルトークのバレエ組曲「中国の不思議な役人」。大編成での演奏。編成時代はドイツ式の現代配置に変わっている。ヴァイオリンのコルレーニョ奏法、ミュートを付けたチューバ、ピアノ、チェレスト、パイプオルガンの導入など、20世紀音楽ならではの斬新さがある。
京響は抜群の鳴り。ゲッツェルと京響の変拍子の処理も巧みであり、力強い演奏となる。京響は弦も管も打楽器も全てが絶好調だ。この曲ではクラリネットが大活躍するのだが、演奏を終えてからクラリネット首席の小谷口直子がゲッツェルに立つよう指示され、喝采を浴びた。
ラヴェルの「ラ・ヴァルス」。フランス系の指揮者に比べると冒頭からくっきりしており、ワルツの旋律が鮮明になってからの弦楽器の歌なども華やかというよりもリアルだ。結果としてパリ風でもウィーン風でもないラヴェルが意図した「概念としてのワルツ」を楽しむことが出来た。
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