美術回廊(1) 名古屋市美術館 「藤田嗣治展」
もう大分前に京都でも藤田嗣治(ふじた・つぐはる。仏名および洗礼名はレオナール・フジタ)の展覧会が行われ、私はそれも観ているが、正直、藤田嗣治の作風は好きになれなかった。ただ気になる存在ではあり、彼の作品を目にしない期間が長くなると、「やっぱり観てみたいなあ」という思いが強いことに気づいた。
実は、愛知県芸術劇場コンサートホールに向かう前には大抵、名古屋市美術館を訪れているので、例え今やっているのは「藤田嗣治展」でなくても名古屋市美術館には出向いていたと思うが。
藤田嗣治はやはり人気があるためか、一般的な展覧会に比べると入場料は高めである。
藤田嗣治を主人公にした映画「FOUJITA」が昨年公開され、藤田嗣治を演じたオダギリジョーが音声ガイドを担当している(私は音声ガイドは使わなかった)。
彼がまだパリに向かう前、東京美術学校を卒業するも成績はパッとせず、理解者もほとんどいなかった頃の絵から展示されている。彼が白い絵の具を分厚く塗った独特作風でパリ芸術界の人気者となる前の藤田の作風は色使いも構成もかなり陰鬱な印象を受ける。
そうした絵を観た後で、藤田の代名詞ともいうべき「白塗り」の絵を観ると、輝きの中にどこか孤独が宿っているような印象を受ける。藤田がそうしたものを意図的に取り入れた作品も存在するが、無意識に出てしまったのはないかと思われるものも多い。
第二次世界大戦が始まり、藤田は日本に帰国。戦意高揚の絵を描くことになったのだが、そうした作品の中に返ってフランスの絵画からの影響を強く受けていることがわかる作品がいくつかある。戦場などを描いた絵は構図がかなり西洋的である。ドラクロワの作だと言われれば信じてしまいそうだ。
戦後、画家としての戦争責任と問われることになった藤田は「無理矢理協力させておいてなんだ」とばかりに激怒。再び渡仏し、フランス国籍を取得。洗礼を受け、レオナール・フジタを本名とする。日本を捨てたのだ。そして二度と日本に戻ることはなかった。
フランス時代のフジタの作品からは、以前には感じられた影のようなものは感じられず、平明で無邪気ともいえる明るさが感じられる。
フランス帰化後の作品が人気のようだが、私は初期の暗めの作風による風景画の方が気に入った。藤田の心の底からの感情が仄かに滲み出ているのが良い。後期のフジタはどこか仮面を被っているような気がする。
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