観劇感想精選(190) 劇団そとばこまち 「五右衛門」
劇団名はとにかく有名なそとばこまち。辰巳琢郎、上海太郎、生瀬勝久らが座長を務め、関西の名物劇団とも呼べる存在になっている。元々は京都大学の演劇サークルとしてスタートし、京大生と京大OB・OGによる劇団となるが、同志社大学出身の生瀬勝久が座長になったことからもわかる通り次第に京大色を薄めていき、現在は本拠地も大阪である。
現在では、劇団員からなる女性アイドルグループをプロデュースしていたり、俳優養成所を併設するなど活動は多岐にわたる。
「五右衛門」は劇団そとばこまちの実に第114回目の公演演目。作・演出は現在のそとばこまち座長の坂田大地。出演は、竹村晋太朗(劇団 壱劇屋)、田中尚樹、新谷佳士、南園みちな、佐藤美月、土井隆、くぼたゆういち、岡崎裕樹、井本涼太、坂本真菜、石原正一(石原正一ショー)、オオサワシンヤ、川内信弥(劇団レトルト内閣)、酒井高陽、白木三保、中道裕子、福山俊朗(は・ひ・ふ・の・か/syubiro theater)、後藤啓太ほか。客演の俳優も多い。ゲスト出演:桜 稲垣早希。
石川五右衛門は義賊という伝説そのものの設定。ある日、五右衛門(竹村晋太朗)は、阿漕な豪商・大和屋(後藤啓太)の家に忍び込み、金庫を開けていくつかの宝を盗む。しかし、その中に実は重要な文書が含まれていた。
この劇では、五右衛門は伊賀忍者の息子ということになっている。親が誰なのかはわからなかったが、天正伊賀の乱で伊賀忍者勢が壊滅しそうになった時に、当時の伊賀忍者の総領であった百地丹波(オオサワシンヤ)から、実は自分と妾の間の子供が五右衛門なのだと告げられる。そして丹波の娘である理久(南園みちな)とは義兄妹であるということも。織田信長の勢いは凄まじく、このままでは伊賀忍者自体が滅んでしまう。そこで丹波は理久に記憶喪失の術を施し、五右衛門と共に伊賀から脱出させる。記憶をなくした理久はお凛という名を与えられ、茶店である伊勢屋の看板娘になる。「父上と共に討ち死にしたい」と申し出るほど勇ましい女性だった理久は忍術によって可愛らしい性格へと変えられていた。五右衛門も五郎と名を変え、伊勢屋で働くことになる。
五奉行の一人で京の治安を任されていた前田玄以は元々五右衛門一味には手を焼いていた。しかし、大和屋の一件以来、言動がせわしなくなる。同じく五奉行の一人である石田三成(田中直樹)は実は以前に五右衛門と出会ったことがあり、顔馴染みでもある。しかし今は敵同士であり複雑な関係である。
豊臣秀吉(酒井高陽)が関白を退いて太閤と呼ばれるようになり、秀吉の甥である豊臣秀次(土井隆)が関白を継ぐ。秀次の家臣である木村重茲(きむら・しげこれ。福山俊朗)は師である千利休が切腹に追い込まれたことを今も恨みに思っており、秀吉の首を密かに狙っていた。
大坂城内ではまだ正式に秀吉の側室とはなっていない茶々(木村真菜)が物思いに沈んでいる。秀吉は茶々の父親である浅井長政と母親のお市の方を共に死へと追い込んだ憎き敵。とてもではないが秀吉の側室になる気分になどなれない。
茶々が落ち込んでいるというので、日の本一の芸人として桜 稲垣早希が呼ばれる(この公演では毎回、吉本のお笑い芸人が呼ばれる)。「笑えなかったら切腹だ」と茶々は言う。
アスカのコスプレで登場した早希ちゃんは、「私が誰のコスプレをしているかわかりますか?」と茶々に聞き、顔の前で手を振りながら「わからない」というポーズをされると、「あんたバカぁ~?!」とお馴染みのセリフを繰り出す。
今回の演目はフリップ芸「関西弁でアニメ」。吉本の劇場ではよくやられている演目である。早希ちゃんのネタの中では特に良い方というわけでもないのだが、今日の会場は大受け。お笑いを見慣れていない人にはかなり面白く映るネタのようだ。
「残酷な天使のテーゼ」の替え歌である「残酷な天王寺のロース」は歌い出しから終わるまで客席の笑いが止まらず、早希ちゃんも上機嫌であった。
茶々(演じる坂本真菜は最初から最後まで大笑いしていた)から、「そなたは声が可愛すぎるので切腹じゃ!」と言われる早希ちゃんであったが、「なにが切腹よ! あんたバカぁ~?!」と言って帰ってしまう。
ちなみに女性は切腹はしません。自刃です。
木村重茲は、たまたま五右衛門が盗んだ宝の中にある連名状が入っているのを発見する。それは秀吉の朝鮮出兵反対の連名状で、筆頭に名が記されているのは千利休。二番目に記された名前は前田玄以だった。前田玄以は連名状に名を連ねたことが露見した場合、利休同様切腹に追い込まれる可能性が極めて高いことから連名状を取り返そうとしていたのだ。連名状には徳川家康や前田利家らの名前もあった。重茲は連名状を秀次に見せ、秀吉を殺害して秀次が天下を取ることを皆が望んでいると唆す。重茲は天正伊賀の乱で伊賀忍者でありながら甲賀の忍者として伊賀忍者討伐に動いた多羅尾光俊(井本涼太)を配下とし、秀吉暗殺へと動き始める。
一方、播磨時代(姫路時代)の秀吉に滅ぼされた播磨石川氏の末裔である案山子(石原正一)と蜻蛉(くぼたゆういち)の兄弟も石川五右衛門を名乗り、洛中で金子を撒いているのだが、その量は本物の石川五右衛門に比べるとお話にならないほど少額で、京の民を呆れさせる。
そんな中、伊勢屋が襲撃される。お凛は逃げることが出来たが、佐吉(今中美里)らが人質に取られる。石川五右衛門は佐吉の命を救いたければ秀吉の首を取るよう命じられ、やむなく大坂城に向かう。
一方、記憶を取り戻した理久も伊賀を殲滅した織田信長の後継者である豊臣秀吉殺害を計画、大坂城へと向かっていた。
混乱する大坂城。重茲は、「混乱に乗じて援軍に来たと偽り、中から大坂城を落とすのです」と秀次に提案。秀次もそれに乗るのだったが……。
殺陣をふんだんに取り入れたアクション時代劇。石川五右衛門が伊賀のしのびの末裔であるという設定が面白く、理久がラストで「狸」という言葉を使って徳川家康の世となることを暗示するなど(服部半蔵が家康に仕えていたため、服部半蔵系の伊賀忍者は天正伊賀の乱を免れている)上手く繋がっていく。
ポルトガル人宣教師が、実は堺の商人と組んで日本人を奴隷として売りさばいていたという史実を千利休切腹に結びつけるのも巧みだ。
基本的にストーリーで見せる劇であるが、ダンスなども存分に取り入れられ、華やかな舞台となっている。
ただ、日本の場合、小劇場の観客層は若い人が中心となるということもあり、話もそれに合わせた軽めのものになっている。人物造形が薄っぺらいのは避けられないのかも知れない。
私は大人が楽しめる舞台を観てみたいと京都に来たときから思っていたし、欧米の劇作家の本による公演は大人の鑑賞に堪えうる。
小劇場の方向性がこのままで良いのか悪いのかはわからない。同じそとばこまちでも小原延之の本は重めであったし(ただ酷い出来であった)、そとばこまちがいつも今回のような作風であるとは限らないが、今日観たそとばこまちの劇がある意味、関西の小劇団のメインストリームであるということはいえると思う。そして「関西の小劇場のメインストリーム」などと纏めることが可能なのも問題ありなのではないかと思う。
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