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2016年7月10日 (日)

コンサートの記(249) 京都市交響楽団みんなのコンサート2016「夏だ祭りだ! ワクワク・クラシック」

2016年7月3日 京都市伏見区丹波橋駅前の京都市呉竹文化センターにて

午後2時から、丹波橋にある京都市呉竹文化センターで、京都市交響楽団みんなのコンサート2016「夏だ祭りだ! ワクワク・クラシック」を聴く。今日の指揮者は京都市交響楽団常任指揮者兼ミュージック・アドヴァイザーの広上淳一。
京都市内各所にある文化施設で京都市交響楽団が演奏会を行う「みんなのコンサート」。年に3度あり、今回は2度目。同一演目2回公演で、昨日は右京ふれあい文化会館で演奏会が行われ、今日は伏見区の呉竹文化センターでの公演となる。

曲目は、前半が、ファリアの「恋は魔術師」から“火祭りの踊り”、ドヴォルザークの序曲「謝肉祭」、ヨハン・シュトラウスⅡ世のポルカ「花祭り」、オッフェンバックの喜歌劇「天国と地獄」から“カンカン”、サティの「2つのジムノペディ」から第3番(ピアノ版第1番。ドビュッシー編曲)、ブラームスのハンガリー舞曲第1番。
後半は全てチャイコフスキーのバレエ組曲「くるみ割り人形」からで、「行進曲」、「こんぺい糖の踊り」、「ロシアの踊り(トレパック)」、「中国の踊り」、「あし笛の踊り」、「花のワルツ」

今日の京都市交響楽団のメンバーは全員、創設60周年記念Tシャツの白バージョンを来て登場。広上淳一も同じTシャツを着て指揮をした。京響のスタッフは創立60周年で人間に例えると還暦であるため、赤に背番号60の白抜きのあるもう一つのバージョンのTシャツを着ている。

今日は16列目だったため、後ろの方の席かと思ったが、呉竹文化センターは後ろの方の番号が若いため、実際は前から2列目であった。

今日のコンサートマスターは渡邊穣、泉原隆志は降り番でフォアシュピーラーには尾﨑平。ドイツ式の現代配置での演奏。チャイコフスキーではコンサートマスターとヴィオラソロの掛け合いがあるため、コンサートマスターとヴィオラソロが向かい合うドイツ式現代配置の方が効果的である。


京都市呉竹文化センターに来るのは3度目。前2回はいずれも観劇であったため、コンサートを聴くのは初めてである。

呉竹文化センターは平成2年竣工と比較的新しいが、音響設計はされておらず、残響はほぼゼロ。ということで、クラシックの演奏会を聴くには余り適していない。
今日は前から2列目であったため、音量は十分であったが、直接音が間近から聞こえるので、鈍重な印象を受けてしまうが仕方ない。なお、ステージが狭いため、フルオーケストラが配置された場合にグランドピアノを置くスペースがないようでキーボードで代用されていた。

指揮台のそばにマイクが置かれ、広上が演奏の合間にスピーチを挟みながらのコンサート。ライブラリアンがスコアと共にファーバーグラス製の指揮棒を広上の譜面台の上に置いたが、広上は木製の指揮棒を持って登場。最初のうちは木製の指揮棒で指揮していたが、オッフェンバック以降はファイバーグラス製の指揮棒に持ち替えて指揮を行っていた。

今日は前の方の席だったため、管楽器奏者の顔はほとんど見えず、誰が吹いているのかはわからない。オーボエ首席奏者の髙山郁子は前半から吹いており、クラリネット首席の小谷口直子は後半には登場していたのは確認出来た。トランペットとして出演していたのは早坂宏明と稲垣路子、西馬健史で、首席奏者のハラルド・ナエスは降り番のようだった。
首席フルートは男性の客演奏者だったが誰だったのかは不明。


ファリアの「恋は魔術師」から“火祭りの踊り”。ホールの音響が良くないため、色彩は今一つだったが、それでも怪しげな雰囲気は十分に伝わってくる。
演奏終了後、広上はマイクを手に、曲の紹介をするが、“火祭りの踊り”の日本語名を忘れてしまい、手元に用意してあったパンフレットを確認して曲名を読み上げた。

その後、ドヴォルザークが大鉄道好きで、汽車の煙を見たり、列車の走る音を聴きながら作曲をするのが好きだったということを広上は紹介し、序曲「謝肉祭」を聴いて「ああ、なるほどと思われるかも知れません」と語った(推進力のあるところは鉄道的かも知れない)。謝肉祭は「カーニバル」のことだが、キリスト教の行事で、悪霊払いをしたり、自然や農作物の恵みに感謝する祭りであったという。

京都市交響楽団によるドヴォルザークの序曲「謝肉祭」は、京都コンサートホールでの演奏を何度も聴いているのだが、音響設計のされていないホールで聴くと立体感に欠ける。音響の評判が良くない京都コンサートホールであるが、こうして聞き比べると普段はかなりのアドヴァンテージを得ていることがわかる。
ただ、音の迫力自体は流石。弦の厚み、管の輝き共に十分である。

ヨハン・シュトラウスⅡ世のポルカ「花祭り」。ウィーンの市民庭園には有名なバラ園があるそうで、そこで行われた祭りを描いた曲だそうである。余り演奏されることはないが、広上は「ウィーン・フィルのニューイヤーコンサートでは指揮者によっては必ず取り上げられる曲です」とも語る。
この曲では身を縮めるような仕草で指揮をした広上。今日もジャンプをしたり、指揮台の上でステップを踏んだりと楽しい指揮姿を見せる。
チャーミングな曲と演奏である。


ここで、京都市交響楽団のインスペクター(パーソナル・マネージャー)である森本芙紗慧が呼ばれる。広上はインスペクターについて、「学校で例えるなら学級委員長。いや、風紀委員。日直、は違うな。やっぱり学級委員かな。リハーサルが始まる前に、オーケストラメンバーに開始時間を教えたり、指揮者にそろそろ出番ですよと教えに来たりする人です」というように紹介。

森本は、今日のコンサートのサブタイトルや前半の曲が祭りにまつわっていることに触れるのだが、「お祭りというと屋台が好きなのですが、広上さんは子供のころ何の屋台が好きでしたか?」と音楽に余り関係のない質問。広上は、「私は焼きそばが好きでした。それから綿飴も必ず買ってました。金魚すくいが大好きでしたね。いつも失敗してましたが」と応える。ちなみに、森本は金魚すくいで獲得した金魚を一年間生き延びさせることに成功したそうである。
ここで森本は、屋台の中で体に良いものの話をする。イカが良いそうである。広上が「イカすって言いますからね」と言ってすべるがお客さんは優しいので拍手を貰う。
イカには疲労回復に効くタウリンが多く含まれており、更にダイエットにも良いらしい。広上は高血圧で悩んでいるそうだが、高血圧にも効果的なようだ。
更に綿飴であるが、一見すると砂糖の塊のようで健康に悪そうだが、ほとんどは空気なので、カロリーはかなり低いらしい。
ちなみに次の曲目は、「天国と地獄」なのだが、森本によると「私にとっては今の時間が地獄です」とのことで笑いを取った。

その「天国と地獄」より“カンカン”。演奏も小粋だが、広上の首を振りながらの指揮姿も面白い。ちなみに広上は右利きのはずだが何故か右手に腕時計をはめている。何故なのかは不明。


サティとブラームスが演奏される前に、今度は京都市交響楽団ヴィオラ奏者の多井千洋(たい・ちひろ。男性)が呼ばれ、ヴィオラという楽器の紹介をする。広上によるとヴァイオリンとヴィオラは兄弟関係にあるのだが方向性がちょっと違うそうで、「おすぎとピーコのような」という例えをして笑いを誘う。多井はヴィオラの魅力について語り、要約してしまうが「名脇役」のようなところが魅力的だそうだ。多井はサティについても語り、「自分は(音楽家としては)余りピアノが弾けないのですが、サティの曲には弾けるものが多くて親しみが持てます」と語る。またブラームスはヴィオラを愛しており、美味しい旋律をヴィオラに与えたりするのだが、そのためブラームスという作曲家自体が好きだそうである。多井は「ブラームスが好きでないとヴィオラ奏者になれない」と言われていると紹介する。確かにブラームスは作品自体がヴィオラの音域によく合うような作品が多い。程良い渋さが魅力である。

サティ作曲、ドビュッシー編曲の「ジムノペディ第3番」(ピアノ版1番)。サティはジムノペディという小品3つ書いたが、そのうちの第1番と第3番をドビュッシーがオーケストラ用に編曲している(ドビュッシーの意思により番号は入れ替えられている)。
フランスのオンフルールに生まれたエリック・サティは、13歳でパリ音楽院に入学するなど早熟であったがアカデミズムを嫌い、軍隊に入り、その後復学するが、結局音楽院を中退し、バーのピアノ弾きになったり、信者が一人だけ(つまりサティだけ)の新宗教の教祖になったり、何故か中年になってからパリ音楽院のライバル校であるスコラ・カントルムに入学して優秀な成績で卒業したりと、様々な変わったことをしながら過ごした。ドビュッシーの才能に惚れ込み、「同性愛?」とも受け取られかねない手紙を残していたりする(そういう関係ではなかったらしいが)。その後、反ドビュッシーを掲げるフランス六人組の頭目に担がれたりするが、サティのドビュッシーに対する友情は生涯変わらなかった。

ホールの残響がないということもあってか、少し速めのテンポ設定。直接音が強いため、洗練されたタイプのフランス音楽を聴くにはこのホールのこの席では厳しいようだ。
弦は情感が出ていなかったが、管の洗練された歌い方は十分に伝わってくる。


前半最後となるブラームスの「ハンガリー舞曲第1番」。広上は「最初はそれほど売れるとは思わず、ピアノ連弾用の楽譜で出したところ大ヒット」と語る。「大ヒット、今でいうと乃木坂46ですとか」と広上は語る。広上さん、相変わらずアイドル大好きのようである。ただブラームス本人による管弦楽曲編曲がなされたのは第1番含めて数曲だけで他の曲は別の作曲家により様々な編曲が施されている。ブラームスの「ハンガリー舞曲」というと以前は第5番が圧倒的に有名であったが、90年代以降は作曲者によって編曲がなされている第1番の方が人気となっている。
スウィング感がなかなかの演奏。広上の上半身を揺らせながら行う指揮も見ていて楽しい。


後半、チャイコフスキーの「くるみ割り人形より」。この手の音楽は広上の十八番である。叙情味、ロマンティシズム、愛らしさ、華麗さ、躍動感、ユーモアなど、全てが高い次元で統合されたチャーミングな演奏である。


アンコールとして演奏したのは、和田薫の「土俗的舞曲」。伊福部明の高弟である和田薫。先日、ロームシアター京都で行われた伊福部明のゴジラコンサートの指揮も手掛けている(チケットを入手しながら行けなかったが)。和田と広上は同じ東京音楽大学出身ということもあって若い頃からの友人だそうで、広上は和田の作品をスウェーデンのマルメ交響楽団とレコーディングしているそうだ。

「土俗的舞曲」は元々は吹奏楽のために書かれた作品のオーケストラ用編曲。一聴しただけで、和田が伊福部の弟子だとわかる面白い作品である。

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