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2016年9月 9日 (金)

コンサートの記(253) ユージン・ツィガーン指揮 京都市交響楽団第603回定期演奏会

2016年7月30日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から京都コンサートホールで、京都市交響楽団の第603回定期演奏会を聴く。今日の指揮者は若手のユージン・ツィガーン。京響には二度目の登場である。


1981年生まれのツィガーン。日米のハーフであり、そのため黒髪が印象的である。ジュリアード音楽院に学び、2008年にゲオルグ・ショルティ国際指揮者コンクールで2位に入ったことで注目され、その直後に北西ドイツフィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者に指名されて、2014年まで務めている。
ポーランドのカトヴィツェで行われたフィテルベルク国際指揮者コンクールでは1位を獲得している。


曲目は、シューベルトの交響曲第7(8)番「未完成」とマーラーの交響曲第5番。現代の王道プログラムである。

今日のコンサートマスターは客演の小森谷巧(こもりや・たくみ)が務める。小森谷は読売日本交響楽団のコンサートマスターの一人であり、先月行われた読響の大阪定期演奏会(メインプログラムはマーラーの交響曲第5番)でもコンサートマスターを務めていた。演奏したばかりで曲を熟知しているということから起用されたのだと思われる。
泉原隆志は降り番で、フォアシュピーラーに渡邊穣。管の首席奏者で前半のシューベルトにも登場したのはオーボエの髙山郁子だけである(第1楽章で有名なオーボエとクラリネットのユニゾンがあり、首席奏者を配しておきたかったのだろう)。

ヴァイオリン両翼の古典配置での演奏。


開演20分前からあるプレトークに登場したツィガーン(英語でのスピーチ。通訳:尾池博子)。マーラーの交響曲第5番についての解説を詳しく行う。マーラーの交響曲第5番には作曲者自身が残したピアノロールがあること、第3楽章では表情が目まぐるしく変わること、第4楽章はルキノ・ヴィスコンティ監督の映画「ベニスに死す」や、ジョン・F・ケネディ米大統領追悼のためにレナード・バーンスタインが取り上げたことなどから「死」に纏わるイメージがあるかも知れないが、そうではなく、第4楽章の主題は「愛」であり、のちに夫人となるアルマ(作曲もこなす才女であったが、同時に悪女としても知られることになる)に捧げられたものであることなどを述べる。

シューベルトの「未完成」については明るい部分と暗い部分、光と闇が明滅する音楽として、マーラーの交響曲第5番第3楽章および全体に繋がるものがあり、「未完成」では物足りない人はマーラーの交響曲第5番を聴けるよう配慮したプログラムであるという。


前回、京響に客演した時にはとにかく棒が分かりにくかったツィガーン。特にベートーヴェンでは意図不明な場面が見られたが、今回はかなり明快な指揮姿に変貌している。ただ、シューベルトではやや動きが硬く、マーラーでは溌剌としていた。やはり若い指揮者にとって古典派は難しいのかも知れない(「未完成」は内容から行くとすでにロマン派であるとも考えられるのだが)。


シューベルトの交響曲第7(8)番「未完成」。ツィガーンの作る音楽に毒はほとんど感じられないが、京響から美しい響きを引き出しており、整える技術に高いものがある。
チェロが盛大にビブラートを掛けている一方で、ヴァイオリンやヴィオラはそれほどでもなく、ティンパニには堅い音を出させるというピリオドとモダンの折衷タイプの演奏である。


マーラーの交響曲第5番。無料プログラムに第1部、第2番、第3部という区分けが示されており、5楽章の交響曲というのみならず3部構成の楽曲というマーラー自身の解釈が取り上げられている。
第1部である第1楽章と第2楽章の後、第2部である第3楽章の後にそれぞれ小休憩を取り、オーボエがAの音を出してチューニングを行う。

若さの放射力が存分に発揮されたエネルギッシュな演奏となる。ステージを擂り鉢状に組むようになってから京都コンサートホールの響きも向上したようで、今日はかなり残響が長い。


第1楽章の冒頭のトランペットを奏でるハラルド・ナエス、第3楽章でソロのような扱いになるホルンの垣本昌芳はいずれも技術が高く、音色も輝かしく、ブラスの見本のような演奏を行う。
ツィガーンは、第1部ではマーラーの内面にはそれほど踏み込んではいないように感じたが、それでも第2楽章の戦きなどは十分で出ており、前回とは別人のような達者な指揮を見せる。

第4楽章(第3部前半)のテンポはかなり速めだが、速度指定はアダージェットであるため、本来は今日の演奏のようなものの方が標準的なのである。レナード・バーンスタインがケネディ追悼のために入魂の演奏としてかなり遅いテンポを採り、その後も「私がマーラー」と語るほどのマーラー演奏の権威となったバーンスタインが第4楽章を遅く演奏し続けたため、いつの間にか遅い演奏がスタンダードになってしまっている。今日のような「速いな」というテンポでも濃厚なロマンティシズムを聴かせることは可能なのである。


第5楽章(第3部後半)ではスケールの大きな演奏を聴かせたツィガーンと京響。たまにフォルムが崩れることがあったが、外面よりも内面を重視した結果であり、迫力も密度も十分な域に達していた。
あたかも瑞々しい若葉のような、まだ青春のマーラー演奏である。


演奏終了後、ツィガーンはまずトランペット首席のハラルド・ナエスのところまで向かい握手、その後、ホルン首席の垣本昌芳とも握手を交わす。
その後、パート毎に起立させて、喝采を向けるが、ツィガーンが「木管パート全員」と指示したものの上手く伝わらず、金管奏者も立ってしまったのはご愛敬である。
やはり若い指揮者は成長のスピードが速いということが確認出来たコンサートだった。

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