観劇感想精選(194) 「DISGRACED ディスグレイスト 恥辱」
作:アヤド・アフタル、テキスト日本語訳:小田島恒志&小田島則子、演出:栗山民也。出演:小日向文世、秋山菜津子、安田顕、小島聖、平埜生成(ひらの・きなり)。
作者のアヤド・アフタルはパキスタン系アメリカ人であり、イスラムの視点を取り入れて書かれている。
アミールはパキスタン生まれなのであるが、現在では苗字も変え「英領インド出身」ということにしている。実際、アミールが生まれた時にはその場所は英領インドだったのだが、アミールが生まれた翌年にはイスラム教圏であるとしてインドより分離独立している。アミール自身も青年時代まではイスラム教の信徒として過ごしていたのだが、今は棄教している(ムスリムにとっては本来はイスラム棄教は「死に値すること」である)。
アミールは優秀な弁護士であるがユダヤ人弁護士二人が連名で運営する弁護士事務所の雇われであり、人種差別もあってうだつは上がらない。そこで同じ弁護士事務所に所属するジョリー(小島聖)と共に今の弁護士事務所から独立しようと考えている。
アミールの甥であるエイブ(平埜生成)がアミールのアパートメントを訪ねてくる。エイブは現役のイスラム教徒であり、彼が入れあげているイスラム教尊師がテロリストの容疑で逮捕されたのでアミールに弁護してくれるよう頼む。エイブは「おじさんこそが誰よりも尊師の立場を理解してくれる」というのだが、アミールは弁護をする気はない(結局は裁判には弁護士ではなく傍聴者の立場で出て、つい「イスラムだから」という理由を否定する発言を行ったための、イスラム側の弁護士と誤解されることになるのだが)。
ちなみにエイブは元の名をフセインといったのだが、サダム・フセインと重なるために改名している。ただアミールは「フセイン」と呼び続けている。
エミリーはWASPで、主婦業の傍ら画家としても活動している。知り合いでホイットニー美術館のキュレーターをしているユダヤ人のアイザック(安田顕。クラシック音楽に詳しい人はご存じだと思われるが「アイザック」というのはユダヤ人が好んで付けるファーストネームである)に作品を観て貰い、自作をホイットニー美術館に展示して貰うのが夢だ。
エミリーの作品はイスラム風の唐草模様(アラベスク)を効果的に取り入れたものである。エミリー自身はキリスト教徒であるが夫が元イスラム教徒ということもあり、イスラム教は信じないがイスラム芸術には興味があり、詳しい。そして「コーラン」に一番共鳴しているのも実はイスラム棄教のアミールではなくエミリーだ。
実はアイザックとジョリーは夫妻である。ある夜、夕食を共にしようとした4人は宗教観のことで揉め始める……。
*イスラム教(天使ガブリエルがムハンマドに命じて暗唱させた「コーラン」を聖典とする他、天使ガブリエルが登場するからも分かる通り、キリスト教の聖書も神聖視する。最初からキリスト教補完を目指した宗教である。唯一無二の神(アラー)を信じ、アラー以外の神を信じることは邪教として排するという性質を持つ。かつてはスペインとポルトガルを支配下に治めていたことがある。偶像崇拝は厳禁)
アイザックはシオニズムには反対であり、イスラエルを認めていないが、アミールの「『イスラエルなんて地中海に沈んでしまえ!』と言ったらどうする?」という発言に激怒する。
コーランには「絵と犬のいる家には幸いはやってこない」という文句がある。絵に関しては「偶像崇拝に繋がる」という理由が明確であるが、なぜ犬が駄目なのかは不明のようだ。宗教なので合理性はない。エミリーの作品についてアイザックはイスラムからの影響を指摘するが、エミリーはアラベスクに関しては「アルハンブラ宮殿にだってあるわ。それよりずっと前にも」とイスラムだけが特別であることを否定する。
イスラム棄教後もイスラムの精神からは完全に抜け出ていないアミールは9.11事件の際、WTCに聖戦を挑んだイスラムの若者を誇りに思ったと告白する。作者のアフタルの深層心理とも受け取れる。
その後も、コーランにある「妻が従わなかったら殴れ」というものが伏線になった出来事などが起こるのだが、最終的にアミールを押しつぶすのは資本主義である。対イスラムの構図は宗教同士ではなく、イスラム教対資本主義という捻れたものである。エイブは「アメリカ人達は世界を占領した。これは我々に取って恥辱だ!」と叫ぶが、アメリカ人が世界征服に動いたのはプロテスタントのためではなく資本的理由からである。そしてこれも資本的理由からなのだがアルカイダを結果としては生むことになってしまう。
出演者は全員日本人であるが、外見によって解釈が歪むということがないため却って作者の意図が通じやすいという結果になっている。
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