美術回廊(5) 「メアリー・カサット展」京都
メアリー・カサット(1844-1926)はアメリカに生まれ、祖国とフランスで活躍した女流画家。学生時代は古典美術を描いていたが、渡仏後に印象派に作風を変え、その後、独自の画風を生み出してアメリカ画壇の先駆者となっている。
現在の米ペンシルベニア州ピッツバーグの生まれ。現在は斜陽都市として知られるピッツバーグだが当時はまだ景気が良く、父親は成功した株式仲買人、母親は銀行家の娘で、金銭的には恵まれた幼少期を過ごした。
フィラデルフィアの絵画アカデミーで絵を学んだメアリーは、プロの画家を目指すために渡仏。普仏戦争により一時帰国するも再びヨーロッパに渡り、パリでカミーユ・ピサロに師事した。その後、ドガの描いた絵に激しく惹かれ、ドガと対面。ドガの勧めもあって印象派の作品を発表するようになる。
まず「画家としての出発」という、学生時代の作品の展示から始まる。「フェルメール」という言葉が説明に用いられているが、影響は一目見ればわかる。顔を分厚く塗って立体感を持たせた油彩画であり、構図もいかにもフェルメール的である。
渡仏後には作風をガラリと変え、柔らかで淡い感触の絵が並ぶ。絵画なので当然ながら静止しているのだが、カンヴァスの向こうから光が差し込んでいるように感じられたり、描かれた対象が今にも「揺れ」そうなイメージ喚起力を持っている。
「浜辺で遊ぶ子どもたち」からは、潮騒が聞こえてきそうだ。
メアリーは観劇を好んだそうで、劇場に集う婦人達の絵画を発表している。好んで観劇をする女性は、当時、時代の先端を行く新たな女性像でもあった。女性達が家庭から自由になりつつあったのである。
印象派の画家であるため、「ジャポニズム」の影響も受けており、浮世絵にインスパイアされた「化粧台の前のデニス」など、合わせ鏡の絵を描いている。
個人的にはこの「化粧台の前のデニス」が最も気に入ったのだが、絵葉書などにはこの絵は採用されていなかった。
その後の絵画は、タッチよりも内容重視であり、何かを求める赤子の姿を通して、「新たなる生命を求める存在」を描くようになる(作品としては、「母の愛撫」、「果実をとろうとする子ども」など)。内容重視と行っても絵画の技術をなおざりにしたわけではなく、三角形を二つ合わせた構図(北条氏の家紋を思い浮かべるとわかりやすい)を用いて安定感を出している。ドライポイントで描かれた「地図」(「レッスン」とも呼ばれるそうである。二人で何かを熱心に読んでいる子供の姿である)という絵にも惹かれた。
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