美術回廊(8) 名古屋市美術館 「画家たちと戦争:展 彼らはいかにして生きぬいたのか」
フランスで活躍していた藤田嗣治(ふじた・つぐはる。レオナール・フジタ。オダギリジョーが藤田嗣治を演じた映画が制作された)は、ずっとフランスで活動しており、ヨーロッパの戦況が不穏だというので(実際、後にパリは陥落する)日本に戻っていたのだが、日本の戦争のために画を描いた。これに戦後になって「戦争鼓舞の責任」などと言いがかりをつけられた藤田は激怒。再びパリに渡りフランスに帰化。本名もレオナール・フジタとして終生日本に帰ることはなかった。
全聾の画家、松本竣介は上京後画家となるが、戦争協力の要請には応えずに仄めかしに留まる画を描いている。今回の「画家たちと戦争」展のポスターに使われているのは松本の「立てる像」だ。松本本人の自画像だという。
北川民次の画を観た第一印象は「メキシコの画家の絵みたい」であったが、実は北川民次はメキシコでも絵を習った経験があるそうで、メキシコの画家の作風に似ているのは当たり前なのだった。名古屋市美術館はメキシコ人画家の絵を多数所有しており、常設展示もしているので比較も可能である。
最も有名だと思われる横山大観は戦争に荷担した側である。直接戦争に関与したわけではないが、彼の画いた富士山の絵の数々は戦費捻出に利用されたという。
恩地孝四郎が描いた「あるヴァイオリニストの印象」に描かれているのは諏訪根自子(すわ・ねじこ)だそうである。
個人的には山口薫の、「銃」という画が最も印象深かった。赤茶けた背景の中で、機関銃が三脚のように立てかけられている。三脚の機関銃の束は少なくとも三つはある。今丁度戦いの最中なのか、戦を待つ機関銃なのか、一戦終わった後の機関銃なのか。それはわからないが、何とも言えない禍々しさが画から伝わってくる。
常設展では、モディリアーニの「おさげ髪の少女」や、ユトリロの「ノルヴァン通り」を観ることが出来た。
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