観劇感想精選(199) 春秋座「能と狂言」2017 狂言「節分」&能「鵺」
演目上演の前に、企画・監修の渡邊守章と能楽研究家で京都造形芸術大学舞台芸術研究センター所長の天野文雄によるプレトークがある。
狂言「節分」であるが、替と書かれており、新演出で行われるという。鬼を演じる野村万作が、「年なので鬼の面を付けるのが苦しい」ということで鬼の面なしで演じるそうだ。鬼の面は他の能面よりも重いらしい。ただ狂言の場合は衣装を簡略化することは絶対にないそうだ。
節分は季節が冬から春に変わるとき。何かの変わり目には間が現れるという考え方が中国にあり、そのため春節(旧正月)には爆竹を鳴らして魔が入らないようにする。
節分の鬼も中国の考えに由来し、そのため、季節の変わり目には鬼が出るので、豆まきをして追い払う。
日本でも穢れを払うために、人形(ひとがた・にんぎょう)を流したり、櫛を流したりする風習が昔からある。
世阿弥作の「鵺」であるが、例えば世阿弥による「忠度」では和歌に対する平忠度の執着があったり、同じく「実盛」では白髪を黒く染めた斎藤実盛の亡霊が、己の最期がきちんと知られていないために成仏出来なかったりするのだが、鵺は苦しみがあるのはわかるがそれが何なのかはわからないと天野文雄が語る。渡邊によると「実存」のようなものとなるらしいのだが、渡邊は、伝説上では能の創設者とされる秦河勝(秦氏の末裔を名乗る長宗我部氏の記述によると諱は広隆で、秦氏の氏寺である広隆寺は秦河勝の諱を寺院の名前にしているとされる)が現在の赤穂市内にある坂越(さこし)に流刑になり、祟り神となったことと関係があるのではないかと述べた。坂越には秦河勝を祀る大避(おおさけ)神社という社があるそうである。大避神社には船祭りなるものがあるようだ。
「鵺」には、「空舟(うつおぶね)」という船が出てくるのだが、天野は「字の如く空っぽの船」で、普通の船ではないそうである。
渡邊が、「鵺」の最後で和歌が詠まれるのだが、こうした能は珍しいという。
渡邊は以前、観世寿夫がジャン=ルイ・バローと行った「立合い―演劇行為の根拠」という公演を行ったときに「鵺」を取り上げ、鵺をタートル・ネックにズボンという姿で演じたことを覚えているという。
「節分」も「鵺」も、共同体から追い出された者の悲哀が描かれていることは見ていてわかる。
まず野村萬斎が現れる。女役ということで頭巾を被っている。「この辺りに住まい致すものでござる」と自己紹介した後で、夫が出雲大社に参拝に行っていて留守であることと、今日が節分であることを告げる。
この作品では鬼は特に悪いことをしていない。それどころか宝物を与えるという福の神のような存在であるにも関わらず、追い出されてしまうのだ。理由は「鬼」だからである。
無料パンフレットに台本(上演詞章)が載っている。
舞台は、現在でいうところの兵庫県芦屋市。熊野三山に詣でた僧侶が今度は西国巡りをしようと思い立ち、信太、松原、難波を経て芦屋の里に着く。そこで宿を請うのだが、里人は、洲崎の御堂になら誰でも泊まれると答える。だが、御堂には化け物が出るそうだ。僧侶は、「法力で泊まろう」と言い、里人は「ひねくれたお方だ」と呆れる。
春秋座では、橋がかりではなく花道を用いて能の上演を行う。異形の人の面を付けた舟人が現れ、成仏出来ないことを嘆く。この舟人の正体が秦河勝なら、栄華の日々が忘れられないのだろうが、舟人の正体は秦河勝ではなくて鵺である。舟人は僧侶には「自分は海士だ」と語るが、世捨て人のようなものなので、法力を持って弔ってくださいと僧侶に頼む。
舟人は、自分は近衛天皇の御代に、源頼政(源三位頼政。三位頼政の名前でも有名である。源氏の出身でありながら、平治の乱では平家に味方し、従三位まで出世。その後、以仁王に宣旨を依頼して、源氏再興のために以仁王と共に挙兵するが敗れ、宇治平等院にて自刃)により、射殺された鵺であると告げる。近衛天皇の時代、帝が夜な夜なお苦しみになったのだが、高僧らに聞いても原因がわからず、祈祷を行っても苦しみは晴れない。丑の刻になると東三条の森から黒雲が立ちこめ、御所の上をその黒雲が覆った時に帝は震えるという。そこで、源氏平氏の武将達を集めて、その中で兵庫頭であった源頼政が選ばれた。家臣の猪の早太と共に黒雲が御所の上を覆うのを待ち、怪しいものが見えたので「南無八幡大菩薩」と唱えて弓で射た。怪しいものは落ち、猪の早太がそれを九度、刀で刺した。それは頭は猿、尾は蛇(くちなわ)、足と手は虎という鵺であった。
舟人と僧侶が会話を交わし、舟人は去る。
里人が再び現れたので僧侶は話す。化け物の正体は舟人で、それは鵺の怨霊だと。
僧侶が読経していると、鵺の亡霊が現れる(能面はより怖ろしげなものに変わっている)。鵺は、「帝が苦しむのは自分の力だと傲っていたが、頼政の矢に当たって命を落とすことになった。頼政はその功により、獅子王という剣を拝領した。獅子王は悪左府として知られる藤原頼長によって頼政に手渡されたのだが、その時、郭公が鳴いたので、頼長は「ほととぎす名をも雲居に上ぐるかな」と上の句を読み、頼政が「弓張月の射るにまかせて」と返したという。頼政はそのことで名声を上げたが、鵺である自分は淀川に流され、淀川の芦の名所である鵜殿と同じ芦の名所である芦屋の浦に流れ来て、あの世へと移ってしまったのだと嘆き、山の端の月のように後生を照らして欲しいと言って、消えていく。
源頼政、藤原頼長なども絶頂期を迎えた後に悲惨な末路を辿った人物である。鵺もまた、帝を悩ませたが射られて死んでいる。
秦河勝伝説とも連なるものもあるのだが、鵺が成仏出来ないのは鵺によると鵺だからであり、生まれながらにして悪であり、そのことが悩みのようである。そこが秦河勝や三位頼政、藤原道長とは違うところだ。劇中で語られることはないが、頼政や頼長はおそらく人間だからという理由で成仏出来ているのであろう。
なお、「鵺」には現行五流(観世、金春、宝生、金剛、喜多)にはない部分があり、人間の生への執着と、始皇帝の時代に蓬莱(ここでは日本のこと)を眺めて見たいと空舟に乗った人(徐福のこと)がいたことを思い出すも、今の自分は芦屋に隠れ住んでいるだけで、いつまでこの境遇に耐えなければならないのか、という舟人の嘆きが語られているという。秦河勝は、秦の始皇帝の末裔と称していたので、同じ秦でありながら、始皇帝との差を嘆く秦河勝は繋がっている。
ちなみに、作者である世阿弥も秦河勝の後裔を称しており、世阿弥自身の嘆きが込められていると見ることも出来る。そうした場合、祖である秦河勝が悲惨な末路を辿ったように、この世は苦に満ちているという思いをくみ取ることは可能であるように思う。
また、能楽はもともと猿楽といい、猿楽に携わるものは身分が低いとされていた。そこに世阿弥の悲哀があったのかも知れない。
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