観劇感想精選(204) ミュージカル「フランケンシュタイン」2017大阪
ビクター・フランケンシュタイン&ジャックとアンリ・デュプレのちのフランケンシュタインの怪物はWキャストで、今日はビクターを中川晃教が、アンリ・デュプレを小西遼生が演じる。
原作:メアリー・シェリー、脚本&歌詞:ワン・ヨンボム、音楽:イ・ソンジュン、訳詞:森雪之丞、音楽監督:島健、潤色&演出:板垣恭一、振付:森川次郎&黒田育世。出演:中川晃教、小西遼生、音月桂、鈴木壮麻、相島一之、濱田めぐみ他。子役も出ていたが、ビクターの少年時代を演じてた少年(石橋陽彩)はえらく芸達者である。
今回は、主要キャストの全員が一人二役を演じる。
まず、ビクター・フランケンシュタイン(中川晃教)が怪物(小西遼生)を生み出そうとしているシーンから始まる。ビクターの姉であるエレン(濱田めぐみ)の「ビクター! やめて、あなたのしようとしていることは間違ってるわ!」と言う声と、執事のルンゲ(鈴木壮麻)の「坊ちゃま!」と呼ぶ声が聞こえる。怪物が目を覚ましたところで時は遡る。
ナポレオン戦争の最中。怪我人の手当をしていた優秀なフランス人医師であるアンリ・デュプレ(小西遼生)にビクターが話し掛ける。ビクターはアンリが何者か知っていた。
アンリは生物の再生と創造の可能性を探っていたのだが、諦めていた。それを知ってビクターは助手としてアンリを雇おうとしたのだ。ビクターも生物の再生方法を試していた。「人間はそのうちに滅びる」ので、遺体再生そして「生命そのものの創造」の手段を考えていたのだ。「命の創造を神はお許しにならない」とアンリは反対する。「あなたは神を信じないのですか?」というアンリに、ビクターは、「信じている。だが、神は至福ではなく呪いをもたらすものだ」と答える。生物の創造に反対していたアンリだが、ビクターの信念と希望を信じる心に惹かれ、助手となる。ビクターは著名人のようで、ウォルターという医学生の若者はビクターのファンである。
ビクターの幼なじみであるジュリア(音月桂)は、ビクターのことをずっと恋い慕っていた。ビクターがアンリを連れて留学から戻ってきた。ビクターとは今も両思いのはずだとジュリアは思っている。
しかし、ビクターに嫌がらせをする人達もいる。エレンはジュリアに「ビクターの呪い」について話す。ビクターの父親も医師であったが、妻(ビクターの母)をペストで亡くしていた。しかし、ビクターが母親を生き返らせたという話が広がる。ジュリアは幼い頃にビクターがジュリアの飼っていた犬を生き返らせ、自分が噛まれて怪我をしたことを思い出した。
ジュリアの父で町の名士であるステファン(相島一之)もビクターの才能を買っている。
人間を創造するのには、死んだばかりの人間の脳がいる。それが手に入らないことを悩んでいるビクター。執事のルンゲが「葬儀屋に行ってはどうか」と提案し、ビクターは「どうしてそれに気がつかなかったんだ!」と早速、ルンゲに手配を頼む。だが、葬儀屋はふざけた真似を行った。ビクターを慕っているウォルターを殺してその首を提供したのだ。激怒したビクターは葬儀屋を殴り殺してしまう。
ビクターの成功を信じているアンリは自分が身代わりとなって名乗り出て逮捕される。姉のエレンにアンリを実験道具にしたいのかと問われたビクターは、法廷で「自分がやった」と告白するが、ステファンがそれを妨害。かくしてアンリは断頭台の露と消えた。
しかし、ビクターはアンリを生き返らせようとする。「人間は愚かでテロや戦争をする。それを乗り越えるための創造を」
冒頭のシーンが繰り返され、アンリはフランケンシュタインの怪物として再生した。しかし、怪物はもはやアンリではなく、ビクターの言うことを聞かない。ルンゲを殺した怪物をビクターは狙撃するが、怪物は窓から飛び降りて逃げ出す。
3年後。ビクターとジュリアは結婚している。だが、ジュリアの父親で市長になっていたステファンが森で行方不明になったという報告があり、皆で捜索に向かう。そこでビクターの前に紳士の格好をした怪物が現れる。あたかも「嵐が丘」のヒースクリフのように。怪物は、これまでの「血と涙」の3年間を語り、「創造主よ。なぜ俺を生んだ」となじる(怪物はビクターを常に「創造主」と呼ぶ)。
3年前、怪物は、森で熊に襲われていたカトリーヌ(音月桂二役)を助けた。怪物は熊を返り討ちにした上に食べてしまったらしい。「熊、美味しい」と語る怪物。カトリーヌは闘技場で下女として働く貧しい女性。幼い頃に父親から性的虐待を受け、他人から唾を吐きかけられるなど蔑まれて生きてきた。人間が嫌いなカトリーヌは怪物に「北極に行きましょう。あなたが好きな熊もホッキョクグマがたくさんいるわ」と夢を語る。「誰からも傷つけられない国」へ行きたいと語り、怪物と踊るカトリーヌ。そこへ現れた闘技場の主の妻エヴァ(濱田めぐみ二役)は、怪物を見て、「怪物じゃない。金よ」と言う。闘技場に怪物を出して儲けようと考えたのだ。エヴァは怪物を牢に閉じ込め、邪険に扱う。
闘技場(COLISEUMと電飾がついている)の主であるジャック(中川晃教二役)は金貸しのフェルナンド(相島一之二役)に多額の借金をしている。フェルナンドは自分の部下であるチューバヤという屈強な青年に勝てる者がジャックの身内にいたら借金を帳消しにすると提案。エヴァもジャックも怪物を出そうとするが、フェルナンドも怪物の存在は知っており、カトリーヌに、「これを怪物に飲ませれば自由にしてやる」と薬を渡す。「生きる意味がない。生きていても辛いだけ」と考えているカトリーヌは、「それでも自分が必要とされる時が来るなら」と希望は捨てておらず、「自由にしてやる」という言葉を信じて怪物に薬を与えてしまう。
怪物はビクターに復讐心を抱いていた。「俺と同じ目に遭わせてやる」と。まず、ステファンが殺され、エレンが犯人に仕立て上げられる。そして妻のジュリアが……。
望んでいない怪物として蘇った男の悲哀は、不幸なカトリーヌの姿に繋がる。二人とも蔑まれた存在だ。だが、最初から蔑まれた存在だった訳ではない。蔑まれた存在は生み出されたのだ。人間によって。人間の「心」が差別や蔑まれる存在を生み出しているのである。社会から捨てられた者の悲哀と孤独。それは当事者だけでなく人間であることの悲しみであり、他者を隔てることで生まれた孤独である。
そして人間は生み出す。己のために己の信念を貫くために悲劇を、戦争やテロといった「怪物」を。己の正義は誰かを踏みにじることによって生きる。「正義」と「悪」はあたかも一人二役のように背中合わせの「怪物」だ。敵の死を願い、実行してしまう人間はフランケンシュタインの怪物よりもずっと凶暴な怪物なのである。
「神のご意思」というものがあるのかどうかはわからない。だが、信念といった美化されやすいものは、「許されざる領域」に安易に踏み込めてしまう。「生み出せる」という「奢り」は、生み出されるものの思いも生み出した結果も想像することすらない。
人間に出来る最高の救済はあるいは孤独の分かち合いなのだろか。
ミュージカルのトップスターの一人である中川晃教は歌も演技も圧倒的。存在感もある。小西遼生も優れた演技と歌を披露する。何度も上演に接している濱田めぐみも圧巻の出来。
元宝塚歌劇団男役トップの音月桂は、昨年、「十二夜」のヴァイオラとシザーリオ役で主演した舞台を観ているが、歌声を聴くのはこれが初めて。ジュリアとカトリーヌの演技のみでなく歌声の違いも聴かせるなど、実力の高さが窺える。
東京サンシャインボーイズ出身の相島一之だけは、ミュージカル畑の人でないため、歌は余り上手くなく、演技のスタイルも微妙に違うのだが、お得意の悪役では流石の演技を見せていた。
イ・ソンジュンの音楽は要所要所で3拍子の楽曲を用いるのだが特徴である。かなりの高音が要求される部分もあるのだが、出演者達は楽々クリアしていた。やはりトップスターはものが違う。
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