コンサートの記(289) 小澤征爾音楽塾オペラ・プロジェクトXV 歌劇「カルメン」京都
シカゴ・リリック・オペラのプロジェクトによる上演である。
約8年ぶりに接することとなる小澤征爾指揮の実演。その間に小澤は癌を患い、克服したものの、一晩を通したプログラムを演奏する体力がどうしても戻らないため、今回も村上寿昭との二人体制での指揮となった。
なお今年の夏に松本市で行われるセイジ・オザワ松本フェスティバルの公式プログラムが発表になったが、小澤が指揮するのはベートーヴェンのレオノーレ序曲第3番とピアノ協奏曲第3番(ピアノ:内田光子)のみであり、他のプログラムはファビオ・ルイージ、ナタリー・シュトゥッツマン、デリック・イノウエが指揮する。
小澤征爾音楽塾が京都で行われるのは今回が2回目。昨年の第1回はヨハン・シュトラウスⅡ世の喜歌劇「こうもり」が上演され、今年は「カルメン」である。日本はプログラムが重複する傾向があり、京都でも昨年の暮れに京都芸術劇場春秋座で室内オペラスタイルの「カルメン」が上演されたばかり。更に今年に入ってから山田和樹指揮日本フィルハーモニー交響楽団ほかによる藤原歌劇団の「カルメン」も東京と名古屋で上演されたが、小澤征爾音楽塾による「カルメン」も今後、東京と名古屋で上演される予定である。
ロームシアター京都メインホールでオペラを観るのは今日で3回目。過去2回ともオペラハウスとしての優秀な音響に感心したが、今回も同様で、音に限れば日本最高のオペラハウスであると断言出来る。
今日は2階下手側のバルコニー席2列目での鑑賞。例によって、足置きの着いた、高い位置にある席であったが、今日はなんとか体力が持った。
今日の席からは、オーケストラピット内も指揮者もよく見えるし、舞台も比較的見やすい。また字幕を表示する機械(G・マークというらしい)も上手のものが真正面で、見やすかった。
また、トランペットによる舞台裏でのバンダ演奏があるのだが、私の席から調光室を見ると、指揮者を正面から捉えたカメラ映像が見えたため、モニターを見てバンダ演奏をしていることがわかった(音を外したりタイミングが合わなかったりと、今日のバンダ演奏は不調であったが)。
譜面台と総譜が2つ並んで用意されており、上手のものを小澤が、下手のものを村上が使用する。二人ともノンタクトでの指揮。小澤は近年はノンタクトでの指揮が基本だが、村上に関しては不明である。一人が指揮棒を使い、もう一人が使わないではオーケストラも歌手もやりにくいだろし、すぐ横に小澤がいるのに指揮棒を使うのは危険でもある。
小澤征爾についての説明は不要だと思うが、一応しておくと、1935年に旧満州国の奉天(現在の中国遼寧省瀋陽)生まれの指揮者。成城学園高校を中退して桐朋女子高校音楽科(共学)に第1期生として入学。桐朋学園短期大学で齊藤秀雄に指揮を師事した後、船に乗って渡欧。たまたま知ったブザンソン国際指揮者コンクールで優勝して名を挙げ、ヘルベルト・フォン・カラヤンの指揮セミナーを受講後、レナード・バーンスタインに指揮を師事。20世紀後半を代表する二大指揮者に師事するという幸運に恵まれたが、そのため「ヘルベルト・バーンスタイン」などとからかわれることもあったそうである。タングルウッド音楽祭ではオーディションを勝ち抜いてシャルル・ミュンシュに師事している。レナード・バーンスタインの下でニューヨーク・フィルハーモニックの副指揮者を務め、日本に凱旋帰国も果たした。
日本では1961年にNHK交響楽団の指揮者に任命されるが、N響事件によって指揮台を追われ、国外に活動の場を求めるようになる(日本ではその後も「日フィル争議」に巻き込まれ、新日本フィルハーモニー交響楽団を設立している)。まずトロント交響楽団の首席指揮者を務め、その後、サンフランシスコ交響楽団の音楽監督に転身。そしてかつてシャルル・ミュンシュが黄金時代を築き、レナード・バーンスタインがタングルウッドで指揮していたボストン交響楽団の音楽監督を29年の長きに渡って務めて「世界のオザワ」の名声を確固たるものにする。ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団とも共演多数。指揮者として小澤よりも先にデビューしていた岩城宏之は、小澤のあまりの出世ぶりに、「小澤を殺してやりたくなった」と自著で告白している。
2002年からはウィーン国立歌劇場の音楽監督を務めた。
村上寿昭は、私と同じ1974年生まれの指揮者である。東京生まれ。桐朋学園大学卒業後、ベルリンとウィーンに留学し、オーストリアのリンツ州立歌劇場やドイツのハノーファー国立歌劇場の常任指揮者として活躍したほか、長年に渡って小澤征爾のオペラ公演のアシスタントを務めており、今回の小澤征爾音楽塾でも小澤と二人での振り分けを担うことになった。
小澤征爾音楽塾は今年で15回目を迎える音楽アカデミーで、メンバーは日本を含むアジア各国からオーディションを勝ち抜いた優秀な若者によって構成されている。毎年のようにオペラ公演を行っているが、時折、オーケストラ演奏のみの年もある。
小澤征爾は、ジェシー・ノーマンのカルメンで、歌劇「カルメン」全曲をフィリップスにレコーディングしているが、私は未聴。EMIにフランス国立管弦楽団を指揮した「カルメン」組曲もレコーディングしているが、こちらは歴代屈指の出来といっても過言ではなく、小澤のフランス音楽への適性を示している。
前奏曲であるが、フランス国立管とレコーディングしたものに比べるとグッとテンポが遅くなっており、強弱の付け方もそれほど頻繁ではない。指揮者は高齢になるに従ってテンポが遅くなるのが恒例だが、小澤の場合もそうなのかどうかはよくわからない。コンサート用とオペラ用の演奏が異なるのは当然であるし、会場にも左右される。
「闘牛士」の前奏曲が終わり、前奏曲の後半が始まると幕が上がり、壁を背にドン・ホセが立っているのがわかる。ライフルを担いだ憲兵が数名現れ、ドン・ホセを取り囲む。ドン・ホセの処刑のシーンであることがわかる。佐渡裕が指揮した兵庫県立芸術文化センター大ホールでの「カルメン」でも、ドン・ホセ処刑のシーンがあり(その時は電気椅子での処刑だった)、ドン・ホセのラストを描く演出が流行であるようだ。
小澤は、煙草工場の休憩時間に入るところまでを指揮して村上にバトンタッチ。同じオーケストラを指揮しているのであるが、小澤と村上とではやはり個性が違う。小澤の生み出す音楽が輝きを特徴にしているのに対して、村上の音楽は渋めでタイトだ。同じ製菓会社のミルクチョコレートとビターチョコレートのような関係というべきか。
小澤はフルートやピッコロを浮かび上がらせる術に長けており、前奏曲や間奏曲ではフルートの浮遊感や旋律美が光っていた。第4幕に出てくるオーケストラによる「闘牛士」は村上が指揮したのだが、小澤とは違い、フルートやピッコロを際立たせることはなかった。
ミカエラが去った後からは小澤が再び指揮を行った。
舞台は、第1幕、第2幕、第4幕では背後にコロシアムの壁が立っており、上部にも人が現れて効果的に用いられる。
第1幕では煙草工場は下手に設けられたバルコニーの袖にあるという設定であり、カルメンはバルコニーに現れて下に降りてくる。
「降りる」というのが一つのキーになっており、エスカミーリョはコロシアムの壁の上に現れて、階段を伝って下に降りてくるし、刑期を終えたドン・ホセもコロシアムの壁の上から素舞台へと階段で降りてくる。どうも、下にあるのは「醜い世界」であり、人々はそこに降りてくるようだ。
ミカエラというと、カルメンとは対照的な清楚な女性というイメージなのだが、今回のミカエラは、ステップを踏みつつ迫ってくるズニガに同じステップでやり返すなど、強気な面もある女性として描かれている。確かに強気な面がなければ、一人で盗賊団の群れに乗り込もうとは思うまい。ミカエラ役のケイトリン・リンチは少し太めの体型だが、そのために弱々しさが表に出ないという利点もある。
ドン・ホセがミカエラとキスするのをカルメンはテラスの上から見ている。ということで、今回の演出ではカルメンがホセに近づくために意図的に暴力事件を起こしたという解釈が取られていることがわかるようになっている。
カルメンが逃げるときも、ジプシーの盗賊団仲間がズニガに拳銃を向けて動けないようにするという演出が施されている。
第2幕では、まず村上が指揮。舞台左手には小さなステージが設けられ、フラメンコダンサーが踊っている。ギター奏者役の男性も二人いるがギター演奏はしておらず、ハープの音に合わせて弾く真似だけをしている。
エスカミーリョが去るまで村上が指揮して小澤にバトンタッチ。小澤はドン・ホセが再び現れるところまで指揮して、後は2幕の終わりまで村上に指揮を託した。
小澤征爾音楽塾オーケストラであるが、臨時編成であるため、統率力という意味では常設のプロ団体には及ばないが、音色は美しく、腕も立つ。
カルメン役のサンドラ・ピクス・エディは、第2幕ではフラメンコダンサー達に混じって自身もフラメンコを舞うなど、妖艶な雰囲気を醸し出している。その姿は、恋に生きる女そのものだ。ある意味、文学的解釈を廃した、純粋な「本能としての女」を炙り出しているようにも見える。
第3幕は小澤の指揮でスタートし、歌のナンバーごとに指揮を交代するというスタイルを取る。第3幕のみコロシアムの壁は登場せず、巨大な岩のオブジェが配されて、岩山が表現されていた。
装置転換のために幕を下ろした状態で少し待ってから第4幕がスタート。前半を村上が指揮し、カルメンとホセの二人だけの場面になってからラストまでは小澤が指揮した。
大合唱による場面はほぼ全て村上に任せられており、オペラ指揮者としての村上の腕を小澤が買ったものと推測される。ロームシアター京都メインホールは残響は長くないため、合唱が大音量で歌っても壁がギシギシいうということはほとんどない。
袖で聞こえる合唱の声がカルメンには希望に、ホセには絶望に聞こえるという場面。カルメン役のサンドラ・ピクス・エディもドン・ホセ役のチャド・シェルトンも演技が上手く、心の葛藤を上手く描き出す。エディ演じるカルメンはホセを臆病者だと信じ切っており、「刺せるものなら刺してみなさい」と仕草で挑発する。そのことが実際に刺されたときの驚きの表情をより効果的なものとしている。
ホセが、「俺を殺せ!」と歌うと、ライフルを担いだ憲兵達が現れ、前奏曲後半の場面が繰り返される。銃声の轟きが全編の幕となった。
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