コンサートの記(290) 高関健指揮 京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2016(年度)「オーケストラ・ミステリー」第4回“大作曲家の秘密~音楽家の真実”
今日の指揮者は京都市交響楽団常任首席客演指揮者の高関健。ナビゲーターはロザンの二人。
京都市交響楽団のポストは現在は3人体制で、常任指揮者兼ミュージック・アドヴァイザーの広上淳一、常任首席客演指揮者の高関健、常任客演指揮者の下野竜也(来月から常任首席客演指揮者に昇格の予定)であるが、どういうわけか全員小柄である。高関健も公称162cmの菅弘文と同じぐらいの身長しかない。
曲目は、ストラヴィンスキーの「サーカス・ポルカ」、ベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」より第1楽章、ジョゼフ・ジョンゲンのオルガンと管弦楽のための協奏交響曲第3楽章と第4楽章(オルガン:福本茉莉)、スメタナの連作交響詩「わが祖国」より「モルダウ」、ショスタコーヴィチの交響曲第5番第4楽章。
ストラヴィンスキーとジョンゲンの作品を聴くのは初めて。ジョンゲンに至っては名前すら知らなかった。
今日のコンサートマスターは渡邊穣、フォアシュピーラーは尾﨑平。フルートは上野博昭が首席奏者に就任し、前半、後半共に登場した。オーボエ首席奏者の髙山郁子も全編に渡って出演したが、年度末ということもあって教職などに就いている人は忙しいようで、他の管楽器パートの首席奏者はいずれも顔を見せなかった。
第2ヴァイオリンの客演首席奏者は上敷領藍子。ヴィオラの客演に灘儀育子という奏者が入っているが、なだぎ武と関係があるのかは不明である。調べてみると灘儀氏は全国に30名から40名ほどしかいない珍しい姓のようである。
ドイツ式の現代配置による演奏であるが、指揮者の正面はティンパニの中山航介ではなく、スネアやトライアングルを演奏する福山直子で、ティンパニはその下手隣という陣立てである。
まずはストラヴィンスキーの「サーカス・ポルカ」。アメリカ時代の作品である。1942年に、50頭のゾウと50人のダンサーによって、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンで行われたサーカス公演のために書かれた曲である。「ペトルーシュカ」や「春の祭典」のような変拍子と鮮烈にしてカオスな感覚は残しつつ、寄り洗練された音楽に仕上げた作品。ラストにはシューベルトの「軍隊行進曲」のパロディーがあり、ゾウがそれに合わせてのんびり動いたであろうことが想像される。
演奏終了後、高関がマイクを手に挨拶を行い、早速、ナビゲーターのロザンの二人を呼んで、トークを始める。高関は「この曲はゾウには不評だったようです。どう聞こえていたのかはわかりませんが」と話す。
高関は「サーカス・ポルカ」の変拍子の話をするが、菅ちゃんは、「変拍子は難しいです」と知ったかぶりをする。
高関は、「春の祭典」の話をし、「初演時は、バレエの上演だったのですが、大不評でして、ステージのトマトが投げ込まれたという話もあります」と説明する。宇治原史規が「なんでトマトを持ってきてたんでしょうね?」と言い、菅ちゃんも「投げるために持ってきていたとしか思えない」と続ける。
続く、ベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」であるが高関は、「これも初演の時に『春の祭典』と同じ目に遭っている」と語る。高関は、「当時は長すぎたし、全体では三拍子なのですが、変拍子の部分もあって、聴衆には難しいと感じられた」と説く。菅ちゃんは、「変拍子だけは(僕には)出来ない」と言って、宇治原に、「変拍子だけって(変拍子だけちゃうやろ)」と突っ込まれる。
「英雄」というタイトルについては、高関は「表紙だけ残っていて、そこに『ボナパルトに捧ぐ』と書かれていて、ナポレオンだったのは間違いない。ただ、その上に思いっきり書き殴って消してある」と話した。
そのベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」より第1楽章。ピリオド・アプローチによる演奏。弦楽奏者はビブラートを抑えめにして右手のボウイングがかなり多い。テンポも速めである。
高関はこの曲はノンタクトで指揮。細部を丁寧に整えた演奏であった。クライマックスのトランペットは当然ながら途中で消え、木管がそれを受け継いだ。
出てきた菅ちゃんは、変拍子について「ちゃんと出来てました」と述べる。
ジョンゲンのオルガンと管弦楽のための協奏交響曲。ジョゼフ・ジョンゲン(1873-1953)は、ベルギー出身のオルガニスト兼作曲家で、この曲はアメリカ・フィラデルフィアのデパートに設置された巨大パイプオルガンのために作曲されたものだという。ただ、オーケストラがなかなかデパートに行く機会がなく、デパートで初演されたのはジョンゲンの死から半世紀以上が経過した2006年になってからだそうで、地元の名門オーケストラであるフィラデルフィア管弦楽団を招いて演奏が行われたという。
パイプオルガン奏者の福本茉莉が紹介される。今日はポディウム席は真ん中は前2列だけ、上手下手は前3列だけを残して取り払われている。
福本は東京生まれの東京育ちだが、性格はトークから受けた印象による限りは、「大阪のよくいそうな姉ちゃん」である。
文化庁新進芸術家海外派遣研修員として現在もハンブルク在住。
宇治原が福本に、「どこで練習してはるんですか?」と聞き、菅ちゃんが「夜中に(ホールに)忍び込んで?」とボケる。福本も「(練習は)しません」とボケ返した後で、「クラーヴィアというものがあって、それで練習します。後はドイツなので教会が一杯あるので、鍵を借りて練習したり」と答える。「オールナイトで練習することもある」そうだが、「あんまりうるさいと警察が来ちゃうので」と思いっきり演奏することは出来ないということも語る。
パイプオルガンの説明。福本は、「リコーダーはご存じだと思いますが、あれが何本も立っているような感じ」「全部で7155本」と語る。高関が「リコーダーは穴を指でふさいで演奏するけれど、オルガンだとふさげる人がいないので」と補足する。福本は「音を組み合わせることで、7155よりも多い音を生み出すことが出来ます」と語った。
ジョンゲンのオルガンと管弦楽のための協奏交響曲。第3楽章は雅やかな旋律をオーケストラが奏で、フランス音楽のように響きの美しさを優先させた神秘的な音楽がパイプオルガンと管弦楽によって演奏される。
第4番は、一転して映画音楽のようなど派手な音楽。オーケストラもパイプオルガンも盛大に鳴り響いて、爽快な演奏となった。
高関がロザンの二人に、「スメタナはチェコで初めてオーケストラ曲を書いたと言ってもいい人物なのですが、『モルダウ』は知ってますよね」と聞き、宇治原は「それはもう」と答え、菅ちゃんは第一主題を鼻歌で歌い、「モルダウよ」と合唱版での歌詞も歌う。宇治原が「音楽の教科書にも載ってる」と補う。
高関は、「『モルダウ』と言いますが、チェコでは実際は、ヴァルタヴァなんです」と言って、総譜の表紙を見せる。宇治原が「本当だ。ヴァルタヴァと書いてあります。vltava」と答える。
「わが祖国」については高関は、「全部で6曲からなっていて、一晩のコンサートがそれで終わるぐらいなのですが、その2曲目が『モルダウ』です」と言って、宇治原が「全曲やるわけではないということで」と聞くと、「別に全曲やってもいいんですよ」と答える。宇治原は「オーケストラの方達、イヤイヤしてます」と言う。
スメタナについて、宇治原が「聴力を亡くした」と台本にあることを聞き、高関が、「耳鳴りが酷かったそうです。『モルダウ』を書いた頃には、もう何も聞こえないぐらいに」。スメタナはその後、精神を病み、精神病院にて60歳の生涯を閉じた。
「モルダウ」。精緻なアンサンブルを京響は聴かせる。音色は明るく、高関の指揮も見通しが良い。
演奏終了後、菅ちゃんは、あの「ティララティラララというところが好きなんです」と冒頭のフルートの旋律を口ずさんだ。
宇治原が、「最後の曲となりました」と言うと、菅ちゃんは「『モルダウ』ですか?」とボケて、宇治原に「後で聴け。家帰って聴け。録音で」と突っ込まれる。
最後の曲であるショスタコーヴィチの交響曲第5番より第4楽章。
高関は、「ショスタコーヴィチは天才少年だったわけです。作曲だけではなく、ピアニストとしても優れていて、自作自演の録音が残っていて優れたピアニストだったということがわかるわけですが、若い頃はやんちゃな曲も書いていたそうです」、宇治原「やんちゃというと?」、高関「わざと汚い和音を出してみたり、とんがった音を出したり。交響曲第4番という曲を書いたのですが、それは引っ込めまして20年以上経ってから初演された。彼が10歳の時にロシア革命が起きまして、ソ連の不自由な社会がやってきたわけです」、宇治原「スターリンの音楽家にとっては良くない時代」、高関「はい。変なこと出来ない」、宇治原「したら捕まると」、高関「告げ口されますので(ソ連では密告が奨励されていた)」、菅「じゃあわからないように『ソ連アホ』と」
実は、ショスタコーヴィチはこの曲でも反抗を行っているのだが、高関は「言えない」と語る。
通常のテンポで演奏がスタートするが、その後加速する。高関は猛々しい部分には余り気を配らず、悲しみに溢れた場面は丁寧に演奏することで凱歌には聞こえないよう工夫する。
演奏終了後、菅ちゃんは前回同様、やはり自分が演奏の立役者でもあるかのように右手を挙げ、宇治原に制される。
菅ちゃんは、「格好いい曲ですね!」と絶賛した後で、「わかりました。シンバルです。叩く間に『ソ連アホ』とつぶやく」と言う。高関は左手の人差し指を左右に振って、「NO」と告げていた。
アンコールはショスタコーヴィチの「タヒチ・トロット(二人でお茶を)」。高関は、「天才少年ショスタコーヴィチに、『君、そんなに天才少年だっていうんなら40分あげるから曲を書きなさい』と言う人がいて、本当に40分で書いた曲」だと説明する。既成のジャズ曲をアレンジしたもの。高関は「二人でお茶を」の旋律を口ずさむが、宇治原から「小さくて聞こえない」、菅ちゃんから「後ろめたいことでもあるんですか?」と言われてしまう。
ソ連風とは一線を画した洒落た演奏。京響の明るめの音色もプラスに作用した。
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