コンサートの記(294) 小泉和裕指揮日本センチュリー交響楽団 「センチュリー豊中名曲シリーズ Vol.1」
豊中市立文化芸術センター大ホールであるが、思ったよりも小さく、このキャパだと施設によっては中ホールに分類されるところもあるだろう。兵庫芸術文化センターKOBELCO大ホールのサイド席をなくして、2回りほど小さくしたような内観である。ステージ背後と、ホール側面の壁には木材がイレギュラーな形で突き出しているが、これは音の適度な分散を図ったものだと思われる(同様の趣向は京都コンサートホールの天井にも施されている)。
音であるが、ナチュラル且つスマートで、残響は1秒前後と短め。残響というより自然な形で客席後方へと飛んでいくという印象を受ける。大きめのライブハウス(大阪でいうと、なんばHatch)のような音響であり、クラシックよりもポピュラー音楽に適しているのではないかとも思われる。
豊中市立文化芸術センターは、閉館して取り壊された豊中市民会館の跡地に建てられたものだが、大小のホールに練習室や展示室、カフェなど多くの施設を詰め込んだため、共通ロビーやホワイエなどは狭い。また大ホール内のビュッフェは、ホール自体がオープンしたばかりということもあって、まだ稼働していない。
日本センチュリー交響楽団の豊中での定期演奏の第1回となる「センチュリー豊中名曲シリーズ Vol.1」の演目は、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番(ピアノ独奏:小山実稚恵)とブラームスの交響曲第1番という、第1番を並べたもの。まさに第1回に相応しい選曲である。
小泉和裕は、2003年から2008年まで日本センチュリー交響楽団の前身である大阪センチュリー交響楽団の首席指揮者を務め、2008年からはセンチュリー響の音楽監督に昇進。2014年まで務めている。
ピアノ独奏者の小山実稚恵は現在、日本センチュリー交響楽団のアーティスト・イン・レジデンスとして企画に携わっている。
今日のコンサートマスターは、センチュリー響首席客演コンサートマスターの荒井英治。ドイツ式の現代配置だが、指揮者の正面にはティンパニではなくトランペットが配され、ティンパニはやや下手寄りに陣する。
チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番。豊中市の花は薔薇だそうで、市内には豊中ローズ球場という名の野球場まである。それを意識したのかどうかはわからないが、ソリストの小山実稚恵は、ローズレッドのドレスで登場。
記念すべき第1音、ホルンによる序奏は残念ながら少し音がずれた。まだこのホールで演奏し慣れていないので仕方ないだろう。
小山は例によって情熱を叩きつけるような堂々としたピアノ演奏を展開する。このホールではピアノの高音がかなりクリアに響くようだ。
最近のピアニストは個性的な人が多いが、小山は正真正銘の正統派。野球に例えると剛速球エースというタイプである。
有無を言わさぬ圧倒的な技巧による演奏を展開した小山。第3楽章のコーダでは、新ホールでの第1曲ということもあってか、「ピアノの弦も切れよ」とばかりの激烈な演奏を展開。聴衆を熱狂させた。小泉指揮のセンチュリー響も冴え冴えとした伴奏を行った。
小山のアンコールは、ショパンのマズルカ作品67の4イ短調。仄暗さを生かしつつ、センチメンタルには陥らない演奏であった。小山はそもそもセンチメンタリズムを嫌う傾向があるように思われる。
後半、ブラームスの交響曲第1番。小泉和裕は暗譜での指揮である。
小泉はまずスケールを固めてから細部を詰めていくというタイプの指揮者であり、それゆえブルックナーなどは得意として、センチュリー響でもよく取り上げていた。
豊中市立文化芸術センター大ホールの音響と、中規模編成で立体感のある演奏を特徴とするセンチュリーの個性は、小泉の作り出す音楽に上手くマッチしている。
どちらかというとシャープなブラームスであり、雄々しさや威圧感のようなものは余り感じられない。小泉の指揮からは閃きも煌めきも感じられないが、その代わり確かな造形力がある。大風呂敷を広げることのない、ある意味日本人指揮者の王道を行くブラームスである。
小泉は基本的に真っ正面を向いて拍を刻むことが多い。時折、左右を向くが、「あれ? 次、ホルンのはずなのに逆を向いたぞ」という場面もあって、ある程度奏者の自発性に任せているところもあるようだ。
アンコールは、シューベルトの「ロザムンデ」より間奏曲第3番。中編成のオーケストラによる演奏ということで、愛らしい出来となった。
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