「京都文化力プロジェクト推進フォーラム」@ロームシアター京都サウスホール
主人(鈴木実)が、金がないのに「お前、酒屋の主と顔見知りだからなんとかしろ」と太郎冠者(茂山千三郎)を酒屋に使いに出す。酒屋の主(茂山逸平)相手になんとか酒樽をものにしようと、酒樽を千鳥に見立てたり山鉾に見立てたりとあらゆる手を使い……。
終演後、茂山千三郎が司会のイワサキマキ(漢字は不明)に呼ばれて登場。イワサキの「なぜ『千鳥』を選ばれたんですか?」という問いに「なんででしょうね?」と答えるが、「この作品は京都が舞台で、京都から見た地方(尾張国津島神社)の姿が描かれているから」というようなことを語っていた。
続いて、主催者あいさつ。山田啓二京都府知事、門川大作京都市長、立石義雄京都商工会議所会頭の3人が挨拶を行った。
リレー対談「京都の文化力」。京都大学総長である山極壽一(やまぎわ・じゅいち)が進行役を担当して、大蔵流狂言師の茂山千三郎、料理研究家の杉本節子、京都国立博物館長である佐々木丞平の3人と、1対1でリレー形式で対談していく。
まず一人目の茂山千五郎と山極壽一の対談。山極壽一はゴリラ研究の専門家なのだが、狂言方の腰を落とした姿勢がゴリラを連想させると述べる。山極は、「西洋人は背筋を伸ばして胸を張ってという感じですが、日本人はお辞儀もこうやって(背をかがめて)しますし、なんかこう、縮まった感じ」と言う。茂山千三郎によると、西洋人相手に狂言のワークショップを行ったりもしているのだが、西洋人は足が長すぎて、日本人狂言方と同じような姿勢を取ることは「物理的に不可能」だそうである。実はチェコのプラハには白人のみによる狂言のプロ団体もあるそうだが、「腰が全体的に高い」そうである。茂山は、日本人は床に座り、部屋の中でも裸足になるということから、床の文化に着目しているという。
二人目である杉本節子。四条室町にある重要文化財・杉本家住宅の出身である。町屋は軒が低いのだが、これは太陽の光が直接差さないようにということを山極が話して始まる。京都は夏暑く、冬寒いのだが、町屋は夏向けに特化した構造で、夏には涼しい風が家の中を抜けるようになっているそうである。京都の場合、夏は熱中症対策をしないと死に至るが、冬は寒くても凍死するほどではないということで、「冬は寒いけど我慢してくれ」ということなのだろう。北海道などの場合はこれとは真逆になる。
杉本家住宅の先代のご当主は、井上章一の『京都ぎらい』に登場するのだが、杉本節子の感覚だと、「京都」というと、「祇園祭で山鉾を出す山鉾町」というイメージだそうである。山極壽一は、「いろんな京都があっていい」と語った。
最後となる佐々木丞平。京都は人口約147万人であるが、首都のあった街としては人口が少ないという話から入る。ただ、これは悪いことではなくて丁度良いサイズだという風に話は進む。
自然も多くあり、山もあって車で30分も走ると山奥に着いてしまう。それでいて中心部は都会的である。そうした様々な要素が詰まっているのが京都というものなのだという。
「なにを話すか決めてないんですけど」と近藤。京都市文化功労者表彰を受けたのだが、「祇園に生まれ、鴨川の水で産湯に浸かり、27~8の頃まで京都にいたのですが、『東京の方に金が転がっているらしい』というので」東京に向かい、以来、ずっと東京で京都はご無沙汰だったため、京都市功労表彰といわれて戸惑ったという話をする。ちなみに歴代の京都市文化功労者には近藤姓がもう一人いるのだが、その近藤悠三は近藤正臣の実の叔父だそうである。その後、人間国宝にまでなった清水焼の陶芸家であったが、人間国宝になった途端に作品の値打ちが上がり、その結果、売れなくなってしまったそうで、「名誉は得たがお金は……」という状態だったそうだ。
ということで、「『古いものは守らなあかん』ばっかりではあかんのかも知れません」と語った。
京都は大規模爆撃がなく(「いくつかありましたが」と近藤は語る。西陣空襲と東山馬町空襲は比較的有名である)、「第3の原爆が京都に落ちる予定だったという説もありますが」とした上で、「『こういう街を爆撃したらあかん』という話がアメリカの将校の間にあったという話も聞いております。京都の歴史、伝統、文化が街を守ったということではないかと私は考えます」という考えを披露した。
また文化庁の京都移転については、近藤は「(文化庁があるのは)そもそもここ(京都)じゃないと駄目だろう」とも語っていた。
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