コンサートの記(333) フィリップ・ジョルダン指揮ウィーン交響楽団来日公演2017名古屋
日本特殊陶業市民会館は、JR金山駅(名鉄と名古屋市営地下鉄も乗り入れており、金山総合駅の総称もある)で降りて北へすぐの所にある。
日本特殊陶業市民会館フォレストホールは、以前の名古屋市民会館大ホール。ネーミングライツによる中京大学文化市民会館オーロラホールを経て現在の名称になっている。1972年竣工というもあって、翌年完成した渋谷のNHKホールに内装がよく似ている。
ということで音響が不安だったのだが、良く聞こえるホールであった。
ベートーヴェンの交響曲第5番とブラームスの交響曲第1番という王道プログラムでの演奏会である。
フィリップ・ジョルダンは、私と同じ1974年生まれの指揮者。父親は名指揮者として知られたアルミン・ジョルダンである。チューリッヒに生まれ、同地で学んだ後、歌劇場のコレペティートル(下稽古のピアニスト)から音楽キャリアをスタートさせるという、叩き上げの王道を経て、若き日のヘルベルト・フォン・カラヤンが君臨したことで知られるウルム市立歌劇場のカペルマイスターに就任。1998年から2001年まではベルリン国立歌劇場でダニエル・バレンボイムの助手を務めている。2001年にグラーツ歌劇場とグラーツ・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者となり、2004年まで務める。2006年から2010年まではベルリン国立歌劇場の首席客演指揮者。現在はパリ・オペラ座の音楽監督とウィーン交響楽団の首席指揮者の座にある。2020年からはウィーン国立歌劇場の音楽監督に就任することがすでに決まっている。
ウィーン交響楽団は、ウィーン・フィルハーモニーに次ぐ、ウィーンの第2オーケストラ的団体として知られている。ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団はウィーン国立歌劇場管弦楽団のメンバーからなるオーケストラであり、定期演奏会の数が少ない。「もっと恒常的にオーケストラコンサートを聴きたい」というウィーン市民の声に応える形で結成されたのがウィーン交響楽団である。1900年創設。歴代のシェフには、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、ヘルベルト・フォン・カラヤン、ウォルフガング・サヴァリッシュ、ヨーゼフ・クリップス、カルロ・マリア・ジュリーニ、ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー、ウラディーミル・フェドセーエフ、ファビオ・ルイージというビッグネームが並ぶ。近年では最晩年のジョルジュ・プレートルとの名盤が評判を呼んだ。
一方で、「暴れ馬のようなオーケストラ」という評価もついて回っている。
ヴァイオリン両翼だが、弦楽の配置は下手から時計回りに、第1ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、第2ヴァイオリンで、一般的な古典配置のヴィオラとチェロを逆にしたスタイルである。コントラバスは舞台最後部に横一列に並ぶ。ティンパニは舞台下手奥に陣取る。
フィリップは全曲暗譜での指揮。いかにも才人といった風の身のこなしである。
ベートーヴェンの交響曲第5番。
冒頭の運命動機のフェルマータは自然な感じで伸ばす。ピリオド・アプローチを採用しており、弦楽器よりも管楽器において古楽風スタイルが顕著である。旋律のラストは伸ばさずにサッと引っ込む感じで刈り上げる。ティンパニが硬い音を出しているのも特徴。
ウィーン交響楽団は各楽器の音色が濃く、音の情報量が豊かである。
フィリップは、管楽器、特に金管、就中ホルンの浮かび上がらせ方が巧みであり、立体的な音響を生んでいる。
楽章間はほとんど開けず、4楽章を通して1曲という解釈による演奏。ベーレンライター版の譜面をかなり忠実に再現しており、第4楽章の掛け合いでは、通常の「タッター、ジャジャジャジャン、タッター、ジャジャジャジャン」ではなく「タッター、タッター、タッター、タッター」と同音反復を採用。ピッコロの活躍も目立っていた。
フィリップが手を差し伸べた楽器群が光度を増す様は、あたかも手品を見ているかのようである。
一方で、細部は結構粗めで、ウィーン交響楽団の個性が出ている。
ブラームスの交響曲第1番。冒頭は情熱を抑えて、悲哀を強調した解釈。音もブルートーンである。この曲は、ベートーヴェンの運命動機と同じ「ジャジャジャジャン」という音型が何度も出てくるのだが、フィリップはそれを強調することはなかった。ウィーン交響楽団の音の密度はベートーヴェンの時よりも更に濃い。
ウエットな音がラストに向けて輝きを増していくという演奏であり、第4楽章は晴れがましくも輝かしい名演となる。
アンコールとして、まずブラームスの「ハンガリー舞曲」第5番が演奏される。ウィーン的な情趣とハンガリーの民族音楽的味わいが上手くミックスされた演奏である。
フィリップが、「ウィーンからのご挨拶(Greeting from Wien)」と言って、ヨハン・シュトラウス2世の「トリッチ・トラッチ・ポルカ」が演奏され、更に「雷鳴と電光」も続く。両曲とも日本のオーケストラが演奏する機会も多い曲だが、本場・ウィーンの演奏であるだけに、音の切れも輝きも密度も段違いの出来である。ウィーン交響楽団のメンバー全員がオーストリア人というわけではないはずだが、やはり子供の時からウィンナワルツに触れ、誇りとしてきた楽団員が多いだけに、他国のオーケストラの追随を許さないだけのレベルに達することが可能なのだろう。
なお、シンバルと大太鼓は、本編ではティンパニを叩いていた奏者が一人で演奏。かなり楽しそうであった。
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