コンサートの記(334) 秋山和慶指揮 京都市立芸術大学音楽学部・大学院音楽研究科第156回定期演奏会
曲目は、メンデルスゾーンの序曲「フィンガルの洞窟」、シューベルトのミサ曲第2番、シベリウスの交響曲第2番。
秋山和慶指揮のシベリウスは、10月に日本センチュリー交響楽団の定期演奏会で交響曲第1番を聴く予定だったのだが、風邪のために参加出来なかったので、代わりに今日の演奏会を聴くことにしたのだ。
秋山和慶は、日本指揮者界の重鎮的存在である。桐朋学園大学で齋藤秀雄に指揮を学び、齋藤メソッドの第一人者ともいわれている。東京交響楽団音楽監督・常任指揮者を40年に渡って務め、レオポルド・ストコフスキーの後任としてアメリカ交響楽団音楽監督に就任。バンクーバー交響楽団音楽監督(現在は桂冠指揮者の称号を得ている)、シラキュース交響楽団音楽監督なども務めており、国際的なキャリアも十分である。この4月まで広島交響楽団の音楽監督を務めており、現在は同楽団の終身名誉指揮者。中部フィルハーモニー交響楽団の初代芸術監督・首席指揮者の座にもある。
京都市立芸術大学音楽学部・大学院管弦楽団であるが、日本の音楽教育の現状からいっても当然なのだがメンバーの大半が女性である。
メンデルスゾーンの序曲「フィンガルの洞窟」。細部が雑然とした感じなのは学生オーケストラなので仕方ない。余りドイツ的な感じのしない演奏であるが、弦楽の波などは一定のレベルに達していたように思う。
場面転換の間に京都市立芸大教授の下野竜也が登場。繋ぎのトークを行う。ちなみに下野は秋山の後任として広島交響楽団の音楽総監督に就任しており、また下野が鹿児島大学教育学部卒業間近になって指揮者を志したときに、秋山が主演のような形で出演している齋藤メソッドのビデオを何度も見て自己鍛錬を繰り返し、間接的ながら齋藤メソッドの継承者に名を連ねているという経緯がある。
「不審者ではありません」と下野はトークをスタート。シューベルトのミサ曲第2番について、「ベネディクトゥスは、ベートーヴェンの「フィデリオ」の4つめの曲と瓜二つ」と語り、18歳のシューベルトがいかにベートーヴェンを尊敬し、参考にしていたかがわかると話す。またラストの「アニュス・デイ」を短調で書いていることを初めて知ったときには、「やるな!」と感嘆したそうである。
シベリウスの交響曲第2番については、「寒い時期に聴くシベリウスは格別。明日は寒波が押し寄せるようですが、今夜はシベリウス日和、日和じゃないか、シベリウス・ナイト」と語っていた。
「今日は私は当然ながら指揮はいたしません」と言って下野は帰って行った。
シューベルトのミサ曲第2番。下野の話にもあった通り、シューベルトが18歳の時に書いた曲である。ソプラノ独唱は講殿由紀奈(こうどの・ゆきな。大学院音楽研究科声楽専攻2回生)、テノール独唱は木下紀章(大学院音楽研究科声楽専攻1回生)、バス独唱は廣田雅亮(大学院研究科声楽専攻1回生)。
京都市立芸術大学音楽学部・大学院合唱団はなかなかのハイレベルである。ソプラノ独唱の講殿由紀奈は可憐な声をしているが、呼吸が浅いようで、そのためか歌声に説得力を欠くように感じられた。テノールと木下紀章とバスの廣田雅亮は声量がもう一つのようである。
シベリウスの交響曲第2番。弦の音が素晴らしい。シベリウスの神秘性やリリシズム、透明感を余すところなく描き出している。一方で、管はホルン(5人全員が女性である)が冒頭で躓いたり、他の楽器も音程を間違えないようにと意識しすぎたためか、最初のうちは硬さが目立ったが、徐々に調子を上げていく。
秋山の指揮はところによりドラマティックに過ぎる箇所があるように感じられたが、全般的には語り上手で耽美的なシベリウス演奏を展開する。
第4楽章では歓喜のメロディーと内省的なパッセージが交互に訪れるのだが、秋山の生み出す音楽はとにかく美しいので、内省的な部分も暗さや懊悩がほとんど感じられない。作曲者の意図に沿ったものかというと微妙だが、磨き抜かれた聴き応えのある演奏に仕上がっていた。
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