さよならモーツァルト
※ この記事は2017年12月5日に書かれたものです。
1791年12月5日、「神童」ことウォルフガング・アマデウス・モーツァルトがウィーンの自宅にて死去しました。享年35。遺骸はその日のうちに共同墓地に埋葬され、現在に至るまで死因も眠っている正確な場所もわかっていません。その死については一種のミステリーとなっており、映画化もされたピーター・シェーファーの戯曲「アマデウス」などに描かれています。
モーツァルトが生まれたのは、現在のオーストリアのザルツブルク。当時はまだハプスブルク家があり、オーストリアという国家は存在しておらず、モーツァルト自身は「ドイツ語圏の」という意味での「ドイツ人」という認識でした。父親は今では教育パパとして知られるレオポルト・モーツァルト。
ウォルフガングは5歳で初めての作曲を行うなど極めて早熟でした。
当時のザルツブルクは宗教都市であり、コロラド大司教が支配していました。後にモーツァルトはこのコロラド大司教と衝突してザルツブルクを飛び出すことになります。
大司教に関しては、「モーツァルトの作品に対して無理解だった」という説が有力ですが、「モーツァルトの才能を誰よりも理解しており、独占しようとした」という話もあり、文学作品などではそう描かれていることもあります。
ともあれ、モーツァルトはザルツブルクより出奔。ウィーンに移ります。当時の音楽家というのは雇われ仕事で、貴族や宗教家の注文を受けて作曲し、生活を成り立たせていました。しかしモーツァルトは史上初のフリーランスの音楽家を志したのです。
貴族向けの予約演奏会(現在の定期演奏会に当たる)というものを発案し、自作自演を行ったモーツァルト。当初は連日の満員であり、モーツァルトは一晩で貴族の五年分の収入を手にしたともいわれています。
しかし、経済的な成功を得ながら、父親のレオポルトが亡くなった頃からモーツァルトは困窮し、友人に借金を重ねるようになります。モーツァルトも妻のコンスタンツェも経済観念に乏しく、加えてモーツァルトが自身が所属していたフリーメイスンの活動にのめり込み、莫大な寄付を行っていたことも事実のようです。また陽気な性格の教養人ではありましたが社会性には乏しかったようで、「才能は今の半分でいいから、社会的な能力が倍欲しい」と手紙に記していたりします。
予約演奏会を開いても聴衆が集まらないようになったモーツァルトは「レクイエム」を作曲中、困窮のうちに亡くなりました。
モーツァルトは幾多の傑作を残しましたが、ここにお薦めの音楽作品を紹介しておきます。
歌劇「魔笛」
古今東西あらゆるオペラの中で一番人気とされる「魔笛」。日本での上演機会も多いです。王子タミーノ(日本人という説もあります)が、夜の女王の娘である王女パミーナを救出するために、ザラストロの宮殿に向かうというRPGのような筋書きを持っており、宮本亜門の演出では実際にRPG内のお話として上演されました。自然児のパパゲーノと彼女として現れるパパゲーナの話も笑えます。
夜の女王のアリア(「復讐の心は炎と燃え」)や「パパパの二重唱」など名アリア多数です。
第1幕を定評あるオットー・クレンペラーの指揮でお聴き頂けます。
交響曲第25番ト短調
モーツァルトの交響曲は傑作ぞろいで、特に後期六大交響曲と呼ばれる作品群は全て傑作ですが、ここでは敢えて初期の交響曲である25番を紹介しておきます。映画「アマデウス」の冒頭で鳴り響いた作品です。この曲を作曲したとき、モーツァルトはわずか17歳。青春の疾風怒濤がダイレクトに伝わってくる驚異的な作品です。
レナード・バーンスタイン指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏でお聴きくださいい。
ピアノ協奏曲第27番
モーツァルト最後のピアノ協奏曲。まさに至純の境地とも呼べる作品です。みずみずしさあふれる第1楽章、彼岸を見つめる境地のように穏やかな第2楽章、自作の歌曲「春へ憧れ」を基にした愛らしい第3楽章など、聴きどころ満載です。
少し古い録音ですが、ミエチスワフ・ホルショフスキのピアノ、チェリストとしても知られるパブロ・カザルスの指揮するペルピニャン祝祭管弦楽団の伴奏でお楽しみ下さい、
セレナード第9番「ポストホルン」
モーツァルトのセレナードというと、第13番「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」が最も有名ですが、郵便配達夫が鳴らすポストホルンをモチーフにした音が第6楽章に出てくるこの作品が楽しさでは上です。モーツァルトがザルツブルク時代に最後に書いたセレナードであり、このころにはコロラド大司教とは犬猿の仲で解雇寸前の状態だったようですが、そんなことを微塵も感じさせない愉悦感に満ちた秀作です。
ピアノ・ソナタ第11番「トルコ行進曲付き」
誰もが知っている「トルコ行進曲」を第3楽章に持つピアノ・ソナタ第11番。第3楽章ばかりが有名かもしれませんが、穏やかな主題による変奏曲である第1楽章、軽快な第2楽章も傑作です。
「トルコ行進曲」は元々はシンバル付きの特殊なピアノのために作曲されました。モーツァルトが企図した通りの特殊ピアノ版演奏を収めたCDも出ています。
20世紀最高のモーツァルト弾きの一人であるリリー・クラウスのピアノでどうぞ。
「レクイエム」
モーツァルトの絶筆となった「レクイエム(死者のためのミサ曲)」。ヴェルディ、フォーレの作品とともに三大「レクイエム」の一つに数えられています。
モーツァルトは「ラクリモーサ(涙の日)」を作曲中に他界。残りは弟子のフランツ・クサヴァー・ジュースマイヤーが仕上げました。ジュースマイアー補作版はモーツァルト自身が残した指示によってジュースマイヤーが仕上げているため決定版とされていますが、ジュースマイヤー自身の作曲能力に問題があり、またジュースマイヤーがモーツァルトの遺言に従わなかった(もしくは従えなかった)部分があるため、後世の作曲家や音楽学者が補作したバージョンが複数存在します。バイヤー版、モーンダー版、レヴィン版などが比較的知られています。
将来を期待されながら高波にさらわれるという事故で若くして亡くなったイシュトヴァン・ケルテス指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団ほかの演奏で。
「アヴェ・ヴェルム・コルプス」
混声四部合唱のために書かれた宗教曲。演奏時間は短いものの、モーツァルト至高の楽曲の一つとして知られており、「自分の葬儀にはこの曲を流して欲しい」と希望する音楽家が多いことでも有名です。
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