伏見の明治天皇
※ この記事は2018年1月9日に書かれたものです。
慶応2年12月25日、京都御所(禁裏)において孝明天皇が崩御。翌慶応3年1月9日(西暦1867年2月13日)、のちに明治天皇となる睦仁天皇が践祚されました。当時14歳でした。京都最後の天皇(即位の礼を京都で執り行った最後の天皇は昭和天皇です)にして東京最初の天皇となった明治天皇。御一新を推し進め、大国との二度の戦争で勝利を収めた時代の天皇として明治大帝と呼ばれることもあります。東京を始め、広島、名古屋、千葉県習志野市などにその足跡を残している明治天皇ですが、この京都市伏見区にも明治天皇ゆかりの場所が存在します。いや、ここ伏見にこそ明治天皇は眠っているのです。
実は京都の人もあまり知らなかったりするのですが、明治天皇の陵墓は伏見に存在します。伏見城本丸跡にある伏見桃山陵がそれです。
明治天皇の時代から一世一元の制が施行されていますので、明治天皇が崩御されたのは明治45年だとすぐにわかるわけですが、当時の東京市民は明治天皇は東京にお眠り下さるものだと思っていました。しかし明治天皇陵は伏見に築くということが発表され、それも明治天皇が早くからお決めになっていたことだと知った東京市民は動揺。「体は京都に眠るとしても御魂は東京に御止まり頂きたい」ということで、明治神宮の創設計画が立案されるということになります。
明治神宮の話はいずれどこかで書くとして、明治天皇伏見桃山陵の存在こそが伏見という街の価値を一層高めていることは疑いの余地がないでしょう。
伏見桃山陵があるのは先にも書いた通り豊臣秀吉が築城し、徳川家康も居城とした伏見の城跡。伏見城は二度築城されていますが、第一期の指月伏見城ではなく、第二期の木幡山伏見城の方です。徳川家光によって伏見城が廃城になった後、木幡山には桃の木が植えられ、桃山の別名が生まれます。「安土桃山時代」の桃山です。またかつて城があったということも庶民には知られていたようで、幕末の京・伏見の地図を見ると「城山」との記述があります。
その伏見城の本丸に明治天皇は自らの墓陵を築く計画を立てました。
(木幡山)伏見城は築城の名手である豊臣秀吉の最高傑作ともいうべき堅城です。今でも周囲の状況を検分すると、難攻不落ぶりを確認することができます。そして天下人の城だけあって眺望も抜群です。一国の主が眠るには最適の場所と申せましょう。やはり明治天皇は慧眼の持ち主だったと見てよいと思います。
明治天皇伏見桃山陵前からの眺めがこちら。
写真でも眺めの良さは確認できると思いますが、肉眼で見るとまさに絶景。遠く大阪まで眺めることが出来ます。
ちなみに伏見城二の丸跡から本丸跡にある御陵に向かう途中にあるのが、
ご覧の巨大急階段。伏見城本丸がいかに急峻な場所にあったかがわかります。伏見城に籠城する鳥居元忠を攻めた石田三成勢は本丸を落とすのに四苦八苦するわけですが、それもむべなるかなです。
伏見桃山御陵へのアクセスは、近鉄に桃山御陵前駅というそのままずばりの駅があるほか、JR桃山駅、京阪本線の丹波橋駅と伏見桃山駅、京阪宇治線桃山南口駅などから徒歩で向かうこと出来ます。いずれも15分~30分ぐらい掛かるので、アクセス良好というわけではありませんが、人が押し寄せるような観光地でもありませんし、明治帝が心安らかに眠るためには騒がしくない方が良いため、こうした環境は適切だと思われます。京阪丹波橋駅で降りて伏見桃山陵に向かうと、途中で最初の京都天皇である桓武天皇の陵墓(柏原陵)にも立ち寄ることができるのでお薦めです。
少し北に上がったところに近鉄が建てた伏見桃山城天守閣が伏見のシンボルとして聳えている(耐震の問題で、現在は中には入れません)他、その周辺の、以前に伏見桃山城キャッスルランドという近鉄の遊園地があった場所は、現在は京都市によって整備され、伏見桃山城運動公園となっています。ここの野球場では日本女子プロ野球の試合などが行われています。模擬とはいえ天守の見える野球場なので、お城と野球の両方が好きな方にはもってこいです。
明治天皇伏見桃山陵の周辺には他にも乃木希典を祀る(京都)乃木神社が鎮座し、伏見城大名屋敷の名残が地名に残っているなど、日本の歴史を感じられる場所が数多く存在しています。
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