コンサートの記(352) オリ・ムストネン指揮 京都市交響楽団第620回定期演奏会
2018年2月16日 京都コンサートホールにて
午後7時から、京都コンサートホールで京都市交響楽団の第620回定期演奏会を聴く。今日の指揮者はフィランド出身の才子、オリ・ムストネン。
1967年生まれのムストネン。90年代にまずピアニストとして注目を浴びる。表現力はもちろんのこと、J・S・バッハの平均律クラーヴィア集とショスタコーヴィチの「プレリュードとフーガ」を組み合わせて1つの曲集にするなど、斬新なプログラミング能力でも目立っていた。バッハとショスタコーヴィチの組み合わせで演奏会も行われ、私もサントリーホールに聴きに行っているが、CDならともかくとして実演でこれを聴くにはかなり体力と集中力がいったのを覚えている。途中休憩で帰る人も多いコンサートであった。
ピアニストとしての代表盤に、ヘルベルト・ブロムシュテット指揮サンフランシスコ交響楽団と録音した、ショパンのピアノ協奏曲第1番とグリーグのピアノ協奏曲イ短調がある。
その後、ムストネンは指揮者や作曲家としても活動を始めるようになっている。私もムストネンがヘルシンキ祝祭管弦楽団とレコーディングしたシベリウスの交響曲第3番とヒンデミットの「四つの気質」のCD(オンディーヌ)を持っている。
曲目は、ムストネンの自作自演で弦楽オーケストラのためのトリプティーク、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番(ムストネンの弾き振り)、シベリウスの交響曲第2番。
今日の京響は通常とは異なり、チェロがステージ前側に出るアメリカ式の現代配置での演奏である。コンサートマスターは泉原隆志、フォアシュピーラーに渡邊穣。第2ヴァイオリン首席はなかなか埋まらないようで、今日も瀧村依里が客演首席奏者として入っていた。
プレトークで、ムストネンは(英語でのトーク。通訳は小松みゆき)、トリプティークがある学者からの依頼によって書かれたものであり、学者の亡き妻の思い出に捧げる曲として作られたものであることを述べる。原曲は3台のチェロのための曲だったのだが、後に弦楽オーケストラのための曲としてリライトされたそうである。最後が喜びで終わることも語られる。
ベートーヴェンはムストネンにとってはヒーローだそうで、その重層的な構造の作品に触れると、「森の中を彷徨う時のように」いつも新しい発見があるのだそうだ。また、ベートーヴェンの作品は暗いまま終わることなく最後が勝利になるのが常と語る。
シベリウスについては、いつも自然と一緒にいるような作曲家であり、その点においてベートーヴェンと似ていると述べた。
ムストネンの弦楽オーケストラのためのトリプティーク。3つの曲からなり、第1曲が「ミステリオーソ(神秘的に)」、第2曲が「フリオーソ(熱狂的に、激しく)」、第3曲が「アド・アストラ(天へ)」である。
例えばシベリウスの交響曲第5番の第3楽章のように、あるいはこの後演奏される第2番の第4楽章のように、反復する音型が用いられた作品である。シベリウスに限らず、フィンランド出身の作曲家は透明な音像を用いることが多いのだが、ムストネンの作品もこの例に漏れず、瑞々しくも透明感に溢れる音響を大事にしている。
ムストネンの指揮はノンタクトであり、動きだけを見ていると指揮者というよりは運動選手のようだが、生み出す音楽が軽くなるということはない。
ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番。
ムストネンのピアノだが、入りではほとんどダンパーペダルを使わず、あたかもフォルテピアノで弾いているような音を生み出す。ただそれだけなら単なる個性的演奏なのだが、音に深味がある。ペダルを使わないために音の粒立ちが良く、ベートーヴェンが生きていた時代に聴かれたであろう演奏が説得力を持って現れる。一音だけ取れば乱暴に聞こえる表現もその後の展開をたどると緻密な計算の基づくものであったことがわかる。もう50代に入ったムストネンであるが今なおアグレッシブな表現に挑んでいることが聞き取れた。
京響もピリオドを意識した演奏。特にティンパニの硬い音と強打が効果的であった。
アンコールとしてムストネンは、バッハのインベンション第14番を弾くが、老眼鏡を持ってくるのを忘れたということで中断して退場。アイグラスを手に再登場して最初から最後まで弾いた。
シベリウスの交響曲第2番。ムストネンは京都市交響楽団から輪郭のクッキリとした音を引き出す。余り押しつけがましさのない演奏であり、シベリウスの交響曲の中でも叙事詩的とされるこの曲に対して叙景詩的なアプローチを行っているように思えた。
初演時から凱歌と受け止められた第4楽章に関しても物語的な演奏を行わず、フォルムのグラデーションを変えることで拡がりのある音の風景を描き出す。長調の部分は晴れやかな光景を、短調のところは風雪の日々を歌い上げているようであり、よくある「勝ちか負けか」の外にある解釈を示していたように思う。こうしたシベリウスの交響曲第2番を聴くのは初めてであり、ムストネンの怜悧さが際立っていた。
この一週間で、大阪フィルハーモニー交響楽団、大阪交響楽団、日本センチュリー交響楽団、そして京都市交響楽団を聴いたことになるが、やはり現在の実力でいえば京響がナンバーワンだと思える。音の密度が違う。
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