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2018年2月 6日 (火)

「港が見える丘」は何を語るのか

※ この記事は2018年1月4日に書かれたものです。


1919年(大正8)1月4日、歌手の平野愛子が生まれました。

平野愛子の大ヒット曲として知られているのが、「港が見える丘」です。横浜市に港の見える丘公園がありますが、この公園は「港が見える丘」という歌にインスパイアされて造設されたものです。それほどの影響力があった曲です。

作者の没後50年が経過していますので、歌詞を載せておきます。

横浜の海(5) 港の見える丘
横浜 港の見える丘公園から見た横浜港の風景



「港が見える丘」 作詞・作曲:東辰三

あなたと二人で来た丘は
港が見える丘
色あせた桜 唯一つ
淋しく咲いていた
船の汽笛 咽(むせ)び泣けば
チラリホラリと花片(はなびら)
あなたと私に降りかかる
春の午後でした

あなたと別れたあの夜は
港が暗い夜
青白い灯り 唯一つ
桜を照らしてた
船の汽笛 消えて行けば
チラリチラリと花片
涙の雫できらめいた
霧の夜でした

あなたを想うて来る丘は
港が見える丘
葉桜をソヨロ訪れる
しお風 浜の風
船の汽笛 遠く聞いて
ウツラトロリと見る夢
あなたの口許 あの笑顔
淡き夢でした


出会いと別れを描いた恋愛の王道曲ですね。ただ、この二人がなぜ別れたのかに思いを馳せると別の側面が浮かび上がります。

「港が見える丘」が発表されたのは、1947年(昭和22)。終戦後2年目のことでした。このことを考えれば、戦争が影響を与えているのはむしろ当然のことのように思われます。

このカップルの男性の方は、実は戦争に行ったのではないでしょうか。そして女性の方が、今も男のことを思っているということは、不可抗力の別れがあったことを暗示しているように思えます。つまり男性は、海外の戦地で戦死したのではないかという想像が出来ます。男性はこの港から船で戦地へと赴き、港に戻ってくることはなかった。そう考えれば、極めて悲劇的な楽曲と捉えることが可能です。というより1947年当時の人々はそう受け取ったのではないでしょうか。

桜というのは日本を象徴する花であり、咲いたと思ったらすぐに散る花です。戦地に散ったあの人を想うのに相応しい花のような気もします。

港が見える丘に佇む女性の姿は、あたかも映画「慕情」(封切りは「港が見える丘」よりも遅い1955年ですが)のラストシーンを想起させるものがあります。


戦争の悲劇を歌った曲だと思って聴けば、また別の感興が起こる曲です。


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