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2018年3月 8日 (木)

コンサートの記(357) 下野竜也指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団京都特別演奏会2006

2006年3月11日 京都コンサートホールにて
 
午後3時から、京都コンサートホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団京都特別演奏会を聴く。

今日、大阪フィルを指揮するのは下野竜也。1969年、鹿児島生まれの若手指揮者である。2001年にブザンソン指揮者コンクールを制し、一躍注目を浴びた。大阪フィルとはナクソスに大栗裕作品をレコーディングしており、高い評価を受けている。またユニークなblogを書き、彼の文章のファンも多かったが、残念ながらblogは今年の2月をもって更新を停止した。

ウェーバーの歌劇「魔弾の射手」序曲、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲、ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」というポピュラーなプログラムのためか、会場はほぼ満員。

大阪フィルは京都でも開演30分前ごろから団員が思い思いにステージに出て来て楽器をさらいはじめ、ステージ上の団員数が段々増えていき、最後にコンサートマスター(今日のコンサートマスターはロバート・ダヴィドヴィッチ)が出て来るというスタイルを採っていた。こういうスタイルを持つ楽団は、少なくとも私が知る限り大阪フィルだけである。開演直前に楽団員が袖から並んで出てくる、というのが一般的な登場スタイルだ。なぜ大阪フィルだけが一般的でないスタイルを採っているのだろうか。

今日はヴァイオリンが両翼に来る古典的配置が採用されていた。

下野竜也の実演に接するのは今日が初めてである。下野は見た目からして「薩摩隼人」というタイプの指揮者だった。本州の人間とは顔も体つきも違う。

2階のステージ下手後方、もう少しでP席という場所で聴いていたので、下野の指揮姿がよく見える。下野の棒は流麗ではないが非常にわかりやすい。どの楽器にどんな音を要求しているのかすぐにわかる。楽団員も演奏しやすいだろう。
そのためかどうか、普段の大阪フィルの演奏に比べて精度は高く、音も輝かしい。

「魔弾の射手」では、下野は造形重視の指揮を見せる。よく整った演奏だ。だが、単なる優等生的演奏ではなく、クライマックスでは情熱的な指揮ぶりを披露。好感の持てる指揮者だ。

メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲(通称:メンコン)のソリストは玉井菜摘。京都生まれで、世界各国のコンクールを制覇し、現在は東京藝大の助教授も務めているという。
玉井のヴァイオリンは非常にスマートだ。テクニックも完璧。ただ冒頭などはスマートすぎて、憂いに欠けるきらいがあり、最終楽章でももっとチャーミングな表情が欲しいと思った。今のところは、表現よりもテクニック先行の奏者という印象を受けた。

メインの「新世界より」。下野は速めのテンポを基に飛ばす。非常に若々しく魅力的な表現だ。「基に」と書いたのはたまにテンポをぐっと落とすところがあるからだ。この曲での下野は表現重視の指揮を見せる。ただ、ブラスを煽りすぎなのが気になった。第4楽章では、金管を強調する余り、一瞬、音型とバランスが崩れる場面もあった。

アンコールはメンデルスゾーンの交響曲第5番「宗教改革」から第3楽章という非常に渋い選曲。曲同様、演奏にも派手さはないが、細部まで仕上げが丁寧である。下野竜也という指揮者、今のところカリスマ性は感じないが独特の個性が光っており、将来が楽しみである。

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